12

――兄ちゃん、お母さんは?


 消え入りそうな声が聞こえる。言葉をかけようにも、喉が絞められているかのように声を出せない。

 白い部屋に置かれた簡素なベッド。レースのカーテンがかかる窓は閉め切られ、外は闇に染まっている。白黒しかない部屋の中で、ミイラのように干からびた身体だけがはっきりと浮き上がって見えた。


――お母さんはいつ治るの?


 繋いだ手を引くと、直哉は丸い瞳で彰を見上げる。何も言えず、彰はベッドへ目を戻した。生きているとは思えない身体に繋がれているのは無数のゴム管。

 深淵に繋がる穴のように落ち窪んだ二つの眼が彰を見た。骸骨のように骨ばった口元がゆっくりと動き出す。


――ごめん……なさい………………



「母さん…………ッ!」

「わァ――!」


 飛び起きると、脇腹に激痛が走った。逃げるように走り去っていく小さな足音がしたが、そんなことを気にしていられないほどの痛みだ。口の中もすっかり干からびている。彰は苦痛に顔を歪めながら、またベッドの中に身体を預けた。


「ベッド…………?」


 彰はベッドに寝かされていた。だが、周辺に街は無いとアクレスは言っていたはず。宿屋などもちろん無いはずだ。


 ベッドは硬く、上等なものではないが、微かに太陽の香りがした。ふと窓を見ると、白い光が目に飛び込んでくる。

 この部屋には、彰の寝ているのと同じようなベッドが幾つか置かれていた。病院か、とも思ったが、患者らしい人は誰も居ない。

 どこかの建物まで運ばれてきたらしい。何故か子供の笑い声が幾つも聞こえてきていた。


 あれからどれだけ経ったのだろうか。

 アクレスは。システィアは。それに九頭龍と言われていた男はどうなったのだろうか。記憶を探ろうにも、頭に霞がかかったようで何も思い出せない。


「元気?」


 突然聞こえた声の方へ目を向けると、部屋へ入ってきたリリアが見えた。彼女の手には湯の張られた桶や手拭い、包帯が抱えられている。


 知った顔を見て、彰も少し落ち着いた。どうやら九頭龍に捕まったわけではないらしい。


「…………元気に見える?」

「いや、まったく」


 彼女はベッド脇に持ってきた物を置くと、「起こすよ」と言ってぐいと彰の身体を抱き起した。不意に走った痛みに思わず顔をしかめる。


「わぁ、痛そう」

「……痛ぇんだから、優しく扱ってくれよ」

「我慢しな。男の子でしょ?」


 リリアは笑うと、脇に置いてあった水差しを寄越した。飲ませてくれるのかと思ったが、「それくらい飲めるでしょ」と言われてしまった。仕方なく自分で喉に流し込む。


「…………ここは?」


 喉が潤った彰は、やっと本題を尋ねた。


「山の孤児院、兼アタシの隠れ家。時々手伝いに来てんの」

「孤児院、って森の中に?」


 山は今や魔獣の縄張り。そんな中に孤児院なんかを建ててしまえば、すぐに彼らの餌食となるに違いない。

 すると、リリアは「魔獣避け。アンタらも焚いてたでしょ」と答えた。アクレスも焚いていたお香の事だろうが、かなり高価なもののはずだ。それを常用しているならば、ここはそれなりの金持ちが運営しているのだろうか。

 リリアは濡らした手拭いを桶で絞りながら尋ねた。


「お腹空いてない? もうお昼過ぎてるけど」

「まぁ、結構空いてる」

「じゃ、あとで作って来てあげるよ」


 そう言うと、リリアは彰の着ていた服に手をかけた。彰は慌ててその手を払う。


「ちょ、な、なにすんだよ!」

「なにって、体拭くの。服脱がなくちゃ、体拭けないでしょ?」

「体くらい自分で…………ってぇ!」


 脇腹を抑える彰を見て、リリアは「言わんこっちゃない」といった顔で上着を脱がせ始めた。手馴れた様子で包帯を解いていく。

 撃たれた傷を初めて見た彰は、思わず「うげッ」とうめき声を出した。


 どうやら弾丸は右脇腹の表層部を抉るように飛んでいったらしい。若干凹んでおり、脇腹が自分のものだとは到底思えないほどの傷だった。膿んだ傷跡の周りには、火傷の後にできるような水ぶくれまでできている。


「焼いて塞いだの。アクレスがね」


 リリアが言った。


「焼いた?」

「そう、止血するためにね。あの人が触れた指の先から火が出てそれでジュッとね。ただ、構築式らしいのが無かったんだよね……。魔法だとは思うんだけど」


 焼いて傷口を塞ぐ、なんてのはアニメやなんかで観たことはあったが、まさか自分がやられるとは思わなかった。リリアは「まだ膿んでるなぁ」と言いながら上半身を拭いていく。


「随分手馴れてるんだな」


 彰が言うと、リリアは「そりゃね」と答えたきり黙ってしまった。部屋は再びシンと静まり返る。


「…………そういやさ」


 沈黙に耐えきれなくなり、彰は口を開いた。


「お前、アクレスの家からお金盗んでっただろ」

「ん? お金……?」

「いやいや、この前の火事の後だよ」


 一瞬、彼女の手が止まった。


「……………………嘘は良くないよ。嘘つきは泥棒の始まりって言うし」

「お前が言うな! …………ってぇ」


 リリアは笑った。これほど楽しそうに笑うのか。あの時、街で出会った時の様子とはまるで違う。首元の刺青も隠していない。ここでは、彼女はただの十六歳の少女だった。


 リリアは体を拭き終えると新しい包帯を巻き始めた。やがてそれが終わると、チラリと彰の顔を見上げる。


「アンタさ、異世界転移者なんだって?」

「…………え?」

「あ、大丈夫。他の人には言ってないからさ。これも結構貰ったし」


 リリアは親指と人差し指で丸を作る。これ、というのは口止め料の事だろう。すると、転移者の件を言ったのはアクレスか。

 そういえば、アクレスとシスティアはどうしているだろうか。その所在をまだ聞いていなかった。


「アクレスたちは?」

「行っちゃったよ。優先しないといけないことがあるって」


 任務とやらのことだろう。それを聞いて、思わず彰は拳を握りしめていた。

 初めから任務優先というのは聞いていたし理解している。ただ、自分が彼らの足を引っ張ってしまったということが、情けなかったし悔しかった。 


 しばらくの沈黙。外から子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。

 その声を聴いて、直哉の姿が脳裏に浮かんだ。直哉もまた母と同じく癌を発症して入院している。彰が転移してから約一か月、彼は一人で病魔と闘っているのだ。


 脇腹の傷がジンジンと痛む。傷の治りを待っていては、月島へ着くのはいつになるか分からない。早く帰らなければ。早く帰って、直哉の元へ行かなければ。


「……俺の荷物ってある?」


 尋ねると、リリアはベッドの脇を指さした。彰の剣や一人分の旅の道具がまとめられている。アクレスが置いて行ってくれたのだろう。


「撃たれた場所から遠くないって言ってたよな。だとすれば、ここから西の方に行けば街があるんだろ?」

「あるけど……。え、ちょっと待ちなよ!」


 ベッドから降りようとする彰をリリアは慌てて止めた。


「そんな傷で出発するとか馬鹿なの?」

「こんくらい何ともねーよ。ナメんな」


 そう言って起き上がろうとした彰。その体をリリアが押すと、驚くほどあっけなくベッドの中に倒れこんだ。

 グルグルと天井が回って見える。このままでは、まっすぐにに歩くことすらできない。おそらく貧血のせいだろう。

 リリアは呆れた顔でため息を吐くと、彰の額を指で弾く。


「アンタさ、撃たれてすぐに旅に出られる訳ないでしょ?」

「リリアが二人に見える……」

「しっかり休んで傷治しなさい」

「三人に増えた…………」

「返事は?」

「わかりました………………」


 彰は呼吸を整えてから小さく呟いた。リリアはため息を吐きながら「分かればよし」と椅子に座り直す。


「ほら、これ」


 リリアは服のポケットから何か取り出すと彰に投げた。

 青色の宝石が付いた首飾り。システィアが身に付けていたものだ。


「お守りと願掛けだって。システィアさん、だっけ? あの女の人が渡してきた」

「願掛け?」

「二ヶ月くらいしたら迎えに来るから、その時ちゃんと無事に会えるように、だってさ」

「にかげつぅ…………」


 彰は宝石を見つめる。見ていると引き込まれるような深い青だ。

 以前システィアは、これは代々受け継がれてきた首飾りだと言っていた。自分にとって大切な「家族の証」だ、と。


「そんな待ってられるかよ。さっさと返さないとな」


 彰は宝石を握りしめて呟いた。


「アンタ、一人で月島まで行く気?」

「馬車の一つや二つあるだろ。行けるとこまで自分で行ってみたい」

「あっそう。ま、アンタの身体だから、勝手に行くのを止めはしないけどさ。傷治すのが先だからね」

「分かってるって」


 リリアは笑うと、「お粥持ってくるから」と部屋から出ていった。

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