第二章 山の一匹狼

10

 街道とは言っても、綺麗に整備されているのは一部分だけだ。大半は旅人によって踏み固められただけの道である。

 道中に宿でもあれば繁盛しそうなものだが、そうもいかない理由はすぐに分かった。


「アキラ! 下がってろ!」


 慌てて屈んだ彰の頭上をアクレスの剣が走り抜ける。直後に上がる、ギャンッという狼の悲鳴。獣臭い鮮血が地面を染めた。

 彰は慌てて立ち上がると、アクレスの背後へ転がり込む。


「なんだよ、このオオカミは!」

「ただの魔獣だ! いちいち騒ぐな!」

「魔獣に『ただ』もクソもねぇだろ!」


 出発から五日。街道沿いを歩いていた一行に、突如オオカミの魔獣が襲いかかった。


 目に入る生き物すべてに襲いかかるほどの獰猛性と、額に伸びる一本の赤黒い角。「魔獣」と呼ばれる突然変異体が現れ始めたのは、もう十年ほど前のことである。

 出現頻度は多くないものの、一般人が太刀打ちできる相手ではない。街道沿いの宿屋が軒並み廃業しているのは、これが原因だった。


「しっつこいなぁ!」


 システィアは襲い来る魔獣の腹に、思い切り右の拳をねじ込んだ。骨の折れる鈍い音とともに吹っ飛んだ獣は、岩に叩きつけられて動かなくなる。

 生身の拳とは思えない威力だ。


 アクレスの剣筋は以前にも見た通りの素晴らしいものだったが、システィアの立ち回りも鮮やかだった。太刀筋が似ているのは師弟だからなのだろう。

 二人とも死角からの攻撃すらも華麗に受け流し、魔獣たちを次々と叩き斬っていく。まるで背後にも目が付いているようだった。

 圧倒的な二人を見ていると、まるで魔獣が弱いかのように錯覚するがそんなことはない。一般人が飛び込めば、瞬きする間に喉笛を噛み切られるだろう。


 ただ、傷だらけでも立ち上がる魔獣特有のタフさに加えて数も多い。戦闘が長引くにつれて、アクレスの剣も次第に鈍り始めていた。

 何かできるわけでもないが、何もしないわけにもいかない。彰の手が自然と剣の柄に伸びる。

 しかし、その時。アクレスの声が響いた。


「あぁーい! 鬱陶しい! 二人とも伏せろ!」


 それを聞くなり、システィアはポカンとしていた彰の頭を抑えつける。


 突然、パタリと止んだ攻撃に、魔獣たちは一瞬固まった。だが、すぐに大きな隙を逃すまいと、一斉に飛びかかる。


「な、なに!?」

「いいから顔上げないで!」


 ものすごい腕力だ。これでは顔を上げたくても上げられない。

 すると、視界の端でアクレスの構えた剣が鮮やかな赤に燃え上がるのが見えた。錯覚か、とも思ったが、そうではない。

 そして魔獣の牙が目前に迫った瞬間、アクレスは思い切り剣で薙ぎ払う。

 吹き上がる熱風。夕暮れ時の小さな森で、赤い火柱が立ち上った。


◇◇◇


 すっかり日は沈み、西の空にはぼんやりと三日月が浮かんでいる。近くを流れる小川の音が暗い森の中から聞こえてきていた。

 辺りにはツンとした刺激臭がうっすらと漂っている。臭いの元は、焚き火近くに置かれた獣避けのお香だ。魔獣にも効くお香はかなり値段が張るらしい。


「いや、おかしいだろ!」


 パチパチと音を立てる焚き火を前に、彰はアクレスの剣を指さして叫んだ。


「なんで剣が火を噴くんだ!」

「だから魔法だって」


 こともなげにアクレスが答える。彼が弱くなった焚き火を枝で突くと、生き返ったように炎の勢いが上がった。


「別に魔法は珍しいものでもないでしょ」


 システィアは「何を今更」と言った表情で呟く。

 確かに、魔法らしい道具は何度か見ていた。中身がすぐに温まるポットや、宙を舞うナイフなんかがそうだ。


 だが、今回の火柱は話が別である。

 ただでさえ治安の悪いこの国。あれほどの火力を魔法とやらで簡単に出せてしまうのならば、この国は大混乱に陥っているはずだ。


「ほら、例えば私の右手もさ」


 システィアは右手を肩まで覆っていた長い手袋を取った。その下から出てきたのは、金属と木材で構成された義手。内部に彫られている楔形文字が淡く光ったかと思うと、その義手はカタカタと音を立てて動き出した。


「こんな感じで、普通の腕と同じように

「え? それ義手だったの?」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「なんでもありかよ…………」


 思えば、魔獣を殴り飛ばしたときにも硬い音がしていた気がする。あまりに滑らかな動きで気付きもしなかった。

 こんな義手が現代社会にあっただろうか。生身の腕と何ら変わらずに動かすことのできる義手が。この世界の文明は一部分では日本の科学力を超えている可能性がある。


「そもそも、魔法ってなに? どんな原理で火が出るんだよ」


 彰は尋ねた。

 剣と魔法といえば異世界らしいが、はいそうですか、と納得できるわけがない。空想上の話ならどうとでもなるが、現実に目の前で「魔法」という非科学的な現象が起こっているのだ。

 あらゆる自然現象が元の世界と同じ物理法則に従って発生しているこの世界で、何故か魔法だけは当たり前のように法則に反しながら共存しているのである。


 すると、二人とも眉間にシワを寄せて考え込み始めた。が、唸るだけで何も返答は無い。

 彰は少ししてから、この二人が頭を使うのが苦手なことを思い出した。


「…………まぁ、いいや。今度ソフィアさんとかにでも聞いてみるよ」

「おいおい。俺たちが馬鹿だからって諦めるなよ。………………そうだ。お前の居た世界って精霊いないのか? まずそこからだ」

「精霊?」


 おとぎ話では聞いたことがある。テレビやネットで「霊が見える!」と主張する人もいたが、それを信じる人は多くないだろう。

 現状、彰のいた日本では「精霊」と呼ばれる存在は確認されていない。

 それを伝えると、アクレスは「そんな世界もあるんだなぁ」と呟いた。どうやらこの世界では「精霊」の存在が一般的なようだ。


「魔法ってのは、……まぁ、俺もよく分からんが、精霊の力を借りて、自然現象を操るらしい。構築式は精霊に出す命令みたいなもんだ」

「…………?」

「つまりは俺たちの魔力を使って、精霊に自然現象を操ってもらうんだよ。ただ俺の場合は、精霊と直接契約してるから、………………まぁ、俺自体が魔法ってことだ。分かるだろ?」

「分かるわけねぇだろ」


 その後もアクレスの口から出てくるのはファンタジーな内容ばかり。

 とりあえず分かったのは、この世界には「精霊」が居て、そのおかげで魔法が使えるということくらいだ。それ以上は彰の常識では理解できない。


 システィアを見ると、彼女はとうに説明を諦めて今晩の寝床を準備していた。準備と言っても、薄い布を敷くくらいのものだが。宿が無いせいで、街へ辿り着くまでは野宿しなければならない。


「じゃ、今晩も先に寝ちゃって良いかな?」


 なおも説明を試みるアクレスを遮って、彼女はごろりと横になった。アクレスは一応上官のはずだが、それを気にするような素振りは無い。この図太さは見習いたいところではある。

 アクレスはあくび混じりに「あぁ……、おやすみ」と答えた。


 お香を焚いているからといって、絶対に魔獣が襲ってこないとも限らない。寝込みを襲う野党だっているだろう。この旅の間、夜は交代で火の番をすることにしていた。

 アクレスは懐から金の懐中時計を取り出してネジを巻くと、彰に投げてよこす。


「それじゃ、今晩も頼む。二時間で起こしてくれ」


 そう言うと、彼も布を敷いて横になった。火の番は彰が二時間、その後は二人で三時間ずつだ。

 質素な生活をしているアクレスにしては、ずいぶんと良い懐中時計だった。裏面に刻印されていたのは竜と太陽が描かれた紋章。確か、マテラス王国の紋章だったはずだ。きっと何かの記念に貰ったのだろう。


 街道沿いの森からは秋の虫の音が聞こえていた。夏の暑さはすっかり消え、長袖の上着を涼しい風が撫でていく。

 二人は早々に静かな寝息をたて始めていた。硬い地面でこの寝つきの良さは羨ましい。いびきをかかないのは敵に居場所を悟らせないためだと言っていた。

 十二分割された文字盤を正確に移動する秒針を目で追いながら、ふと彰は首を傾げた。


 なぜ、この世界でも十二進法が使われているのだろうか。


 割り算がしやすいから、と言えばそうなのかもしれないが、違和感は拭えない。時間の長さも、これは彰の体感だが、元の世界と同じような長さなのだ。異世界に居るというのに、こんな偶然が有り得るのだろうか。


 そもそも、ここは本当に異世界なのだろうか。


 彰は懐中時計に目を落とした。答えが出ることは無いだろうが、考える時間はある。これまでの記憶を一度整理すれば、何かが見えてくるかもしれない。


「――――『アキラ』だな」


 不意に背後から男の声がした。振り返ろうとした頭を、手でがっしりと押さえつけられる。

 足音は無かった。気配も無かった。まるで風が吹き抜けるように、誰にも気取られることなく彰の背後を取ったのだ。

 かなりの腕前の暗殺者。彰の脳裏に浮かんだのは「九頭龍」の文字。


「下手に動くなよ」


 首元にヒヤリと金属の感触がした。

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