9

 中央都のある広い平野。それをぐるりと取り囲むように、山と呼ぶには背の低い丘が並んでいる。ずっと上を飛ぶ鳥の目からは、まるで大きなクレーターのように見えるだろう。

 街の東。立ち並んだ丘の一つで、木刀の打ち合う乾いた音が響いた。


「どう? 合ってる?」

「いや、動きは合ってるんだけどさ。いまいち弱いんだよね」


 彰の問いかけに、眼帯をした女性が首を傾げた。

 彼女はシスティア。アクレスの直属の部下らしい。彼女も月島への旅に、いや正確にはアクレスに与えられた任務に同行することになっている。

 システィアは青い宝石の付いた首飾りを揺らしながら、静かに木刀を構えた。


「踏み込みが弱いんだよ。もっと、こう…………、バァーン! みたいな感じで、思い切りさ。こうやって…………、よッ!」


 直後、空気が裂けるほどの音が響いた。彰の構えていた木刀は、頬を掠めて十メートルほど後方の地面に突き刺さる。


「と。まぁ、こんな感じかな」

「いや、できるか!」


 突如始まった剣の稽古。これも月島への旅に向けた準備である。

 彰が転移者である情報が流れてしまった以上、旅の安全は保証できない。彰も少しは戦う必要があるかもしれない、ということだ。


 異世界らしいとも言えるが、正直なところ、あまり気が乗らないというのが本音だ。仮にあの時の男が再び襲ってきたとして、勝てるビジョンが浮かばない。

 対して、システィアの方はやる気らしい。あやふやな指示ではあるが、熱心に教えてくれている。


「その程度で音を上げるとは、先が思いやられるなぁ」


 脇でぼんやりと見ていたアクレスが呟いた。それを聞いた彰は、不満げな顔で木刀を拾い上げる。


「アクレスも稽古するなら、なんか教えてくれよ。座ってるんじゃなくてさ」

「俺?」

「そうだよ。言い出しっぺなんだから」


 アクレスは木刀を持つと、のっそりと立ち上がった。


「おら、構えてみろ。そこまで言うなら稽古つけてやる。ほら、構えろ」


 そう言った瞬間、彼の目から笑みが消えた。

 頬がヒリヒリと焼き付くような緊張感。穏やかに聞こえていた鳥の囀りも消え、日の光が柔らかく降り注いでいた草原が、夜になったかと思うほどの重たい空気に包まれた。

 森で襲われたサルなんかとは比にならない。押しつぶされそうなほどの殺気に飲み込まれる。


「あ、ちょっと待……」

「行くぞォ!」


 アクレスはそう言うなり、大きく振りかぶった。彰は慌てて木刀を横に構えて、まっすぐ振り下ろされた剣撃を受け止める。

 豪快な音が辺りに響き渡った。


「いっでぇ!」


 両手がビリビリと痺れる。トラックにでもぶつかったのかというような衝撃。危うく異世界転生するところだった。こんなものを、剣を握ったばかりの初心者が受け止められるわけがない。

 アクレスは尻餅をついて転がる彰を見下ろしながら、木刀を肩に担いだ。


「まともに受けて、受け止められる訳がないんだよ。俺の筋肉を見てみろ。お前のほっそい腕とは比べ物にならんだろ」

「いったいな! 手加減してくれよ!」

「手加減したさ。しなかったら、お前潰れてたぞ」


 彰は「んなアホな」と叫びそうになったが、あながち冗談でも無さそうだ。


「ほら、次いくぞ」

「待てって! どうすりゃいいんだよ!」

「少しは頭使え」


 冷たく言うと、彼は先ほどよりも早く木刀を振り下ろした。彰は咄嗟に木刀で受けながら、体を横に逃がして剣撃を逸らす。

 が、勢い余って、そのままゴロゴロと丘を転がり落ちた。


「いってぇ…………」

「ほら、できるじゃねぇか」

「は?」

「今やっただろ? まともに受けずに流せば良いんだ。相手を殺そうってんじゃないだろ? 護身目的なら逃げてナンボだろうが」


 アクレスの言う通り。別に相手を打ち負かすような必要はない。逃げられるような隙を作り出せれば十分なのだ。彰は「まぁ、確かに」と納得して立ち上がると、のそのそと丘を上がる。


「どうだ。できそうな気がしてきたか?」


 アクレスが尋ねてきた。

 気が乗らない様子を悟られていたのだろうか。彰は少し目線を逸らして「まぁね」と答える。

 逃げるだけ。あのナイフ男を相手に勝つことは無理でも、逃げるだけならばできるかもしれない。そう考えると気持ちがだいぶ楽になった。


「でも、出発は明日だよな?」


 それを聞いて、アクレスとシスティアはピタリと黙り込んだ。


 月島へ発つのは明日だ。アクレスに課せられた任務の都合もあって、この日程は変更できない。稽古を始めた時から思っていたが、旅に向けての修行なら付け焼刃にもほどがある。

 すると、システィアはごまかすように彰の肩をバンと叩いた。


「大丈夫! なんとかなるって! 私もついて行くからさ!」

「いや、大丈夫なわけあるか! 旅の途中で狙われたらどうするんだよ! 集団で来られたら目も当てられないぞ!」

「その時は…………、まぁ気合で逃げろ」

「気合って!」

「だぁいじょうぶだ! 俺たちも頑張るから!」


 なんという計画性の無さだ。竜心堂の前で「旅は命がけだ」とか言っていた男と同じ人物とは思えない。

 とはいえ、一人で街に残るというのも危険だ。彰の選択肢としてはアクレスとともに旅へ行くしかないのである。

 やはり先行きは不透明。今はただ、竜神とやらに祈るしかないようだった。


◇◇◇


 中央都、地下街。景色の変わらない入り組んだ道は、初めて見る者には迷路のようだが、歩き慣れた者にとっては街の様々な場所へとつながる便利な道だ。

 だが、その全貌を知る者はほんの一握り。誰にも知られない道、部屋。そんなものは掃いて捨てるほど存在する。


 そんな誰も知らない小さな一室に集う、数人の人影。


「空気が重てぇな。空気屋の野郎、仕事サボりやがったなぁ」


 男は帽子を取ると、パタパタと団扇のように扇ぐ。すると、薄暗い部屋にいた小男が気味悪く笑いながら答えた。


「ヒヒ…………。アイツは三日前に死んだじゃないか。同業者と喧嘩してな」

「そうだったか?」

「お前、『鴉』って言う割には記憶力が悪いなァ。鳩か鶏に改名した方が良いぜ」


 その瞬間、小男にナイフが飛んだ。そのナイフは、眉間に触れるか触れないかの位置でピタリと宙に浮く。


「ネズモール。口には気を付けろよ」

「お前こそ、態度に気を付けろよォ。情報を持つヤツを敵に回して良いのかァ? あと偽名とはいえ名前で呼ぶんじゃねェ。俺ァ『鼠』だ」


「はぁ……。おい鴉。始めるなら早くしてくれ」


 部屋にいた男が言った。

 鴉。そう呼ばれた男は、「あぁ。そんじゃ、始めるかい」と帽子を被り直して片手を挙げた。輝く指輪に呼応するように、ナイフが彼の手に帰っていった。

 彼は懐から葉巻を取り出して咥えると、マッチで火を点ける。


「毎回恒例、作戦後の幹部反省会だが…………。相変わらず集まりが悪いな。女狐はどこ行きやがった」

「ヤツはとっくに月島に向かったよ」

「あーぁ。まぁいいか」


 部屋に居るのは四人。それぞれが思い思いの場所に腰を下ろしている。

 彼らは、いずれも裏の世界では名の知れた暗殺者だ。そして、彼らの共通するのは、腕に彫られた九頭龍の刺青。


 その中の一人。白髪の老人、九頭龍の『蛇』は刀を置くと、長椅子に横になりながら大あくびをした。そんな態度には目もくれず、鴉は葉巻の煙を吐き出す。


「さて、まずは共有したい情報だが

「ここは茶の一つも出ねェのか。なァ、鴉」

「黙ってろジジイ。ボケが進んでんなら、脳天カチ割って診てやろうか」

「あいあい。悪かったよ」

「転移者の情報は鼠が寄越したモンで、面も名前も間違いはねェようだった。裏も取ってきた」

「信用ねェな」

「当たり前だ」


 鴉は葉巻を吸うと、ため息とともに煙を吐き出す。


「さて、こっからが本題だ。まぁ、転移者ってのは後回しで『計画』を最優先。ってのが俺たちのやり方だったが、今回は変更になった」

「なんだ? 転移者を先に捕まえろってのか」


 男が口を開いた。彼は『狼』と呼ばれる男だ。


「何しろ、お得意様からの注文だからな。断れねェ」

「『戦争屋』か」


 戦争屋。この名前も知らない者は居ない。

 その男は武器商人。果物ナイフから大砲まで、人を殺すものならば何でも取り扱う男だ。商売相手は裏社会だけではなく、五年前の戦争では国相手にかなり儲けたという噂がある。


 九頭龍の使うナイフや刀も、ほとんどが彼から供給されたものだった。そんな相手からの注文であれば、九頭龍とは言え断ることはできない。


「急に何があったんだ? 確かに転移者に関しては煩かったが、最優先にしろと言ってきたことは無いだろう」


 狼が尋ねると、鴉は首を傾げた。


「よく分からねェよ。ただ、今回の転移者、『アキラ』ってやつが、何よりも重要な存在らしい」

「アルフレッドと同じか。顔絵からすると学者にしちゃ若そうだが」

「だから知らねェ、つってんだろ」


 短くなった葉巻を机に押し付ける。酷い臭いの煙が立ち上った。

 鴉は吸い殻を床に投げ捨てると、バンと音を立てて踏み潰した。


「他の連中にも追々連絡するが。まぁ、とりあえず『計画』と『転移者狩り』は同時並行で進める。以上だ」

「おい、待て待て」


 締めようとした鴉を遮って、蛇が口を挟む。


「何故逃した。アキラに会ったんだろう? そこで捕まえれば終いだったじゃねェか」

「あぁ? まぁ、そりゃ………………」


 鴉は言い淀むと、頬をポリポリと掻いてニヤリと笑う。


「あんまり良い拳だったんでな」

「何言ってやがる、気持ち悪ィな」


 蛇は渋い顔で吐くと、部屋から出ていこうとしていた狼を呼び止める。


「追えるか?」


 すると、彼はちらりと振り返って答えた。


「もちろん。狼は鼻がいいんでね」

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