8

 中央都を焼き尽くした炎は、その後に降り始めた雨によって嘘のように収まった。

 公式発表によると、大火事は九頭龍の組織的犯行ということだった。ただ、実行犯の多くは地下街に暮らす貧困層の人々だったらしい。翌日の新聞では、「身分階級制度で生まれた歪」という見出しも出ていた。


 だが、それよりも大々的に一面を飾ったのが「マテラス国王崩御」の文字である。

 その中で書かれていたのは、火事から逃げ遅れたことで死亡したということだ。暗殺という言葉が使われた新聞は、少なくとも彰が見た限りでは無かった。


「これって『暗殺』ではないってこと?」


 新聞を読んでいるアクレスに尋ねると、彼は微妙な顔で息を吐いた。


「いや、暗殺だ。ただ、なんとか『九頭龍の暗殺が成功した』ってことにはしたくないんだろうな。奴ら、貧困層には支持者が多いらしいんだ。今回の事件で奴らの活動が激化するのを避けたいんだろう…………が、まぁ、国王が死んだことには変わりない。あぁー……あ、まったく。厄介なことになるぞ」

「貧困層には国王を支持する人とかいないの?」

「いねーよ。いや、いるかもしれんが、ごくごく少数だ。そもそも貧困層からの支持なんてのは、政治をする側からすりゃどうでも良いからなぁ…………」


 アクレスの眉間に深い皺が寄る。


「…………なぁ。お前から見て、この世界はどうだ?」


 不意にアクレスが尋ねてきた。


「え?」

「異世界人から見て、この世界はどう見える? お前たちの世界には、こんな格差とかってのはあんのか?」

「まぁ…………、格差はあるよ。これほど酷くはないけど」

「はは、そうか……。人間ってのは、どこに行っても変わんねぇな」


 彰は欠けたマグカップを手に取ると、白湯を口に含む。ぬるい液体が口の中の傷に沁みた。


 彰が居候しているアクレスの家は、中央都の郊外に位置していたため、今回の火事に巻き込まれることは無かった。

 家というが、アクレスの身体に似合わず、そこまで広くは無い。部屋も居間と物置のような寝室の二つだけで、三人くらい寝泊まりするのがやっと、という広さだ。置かれている家具も最低限のものだけで、生活感がまるで無かった。


「物騒な世の中だなぁ」


 アクレスが新聞を机に投げると、ガチャリと居間の戸が開いた。隙間から少女が顔を出す。


「お。どうだ、怪我の具合は」


 アクレスが尋ねると、その少女、リリアは首元に巻いた包帯を気にしながら「まぁ…………、大丈夫です」と頷いた。


 傷の深かった彼女を病院へ運ぼうとした彰だったが、「治療費を払えない」と彼女が頑なに断ったのだ。結局、行くところが無く、彼女も傷が治るまではアクレスの家で寝泊まりしていた。


 首元の刺青だが、運び込むときから布を巻いて隠していた。アクレスは刺青の存在を知らない。


「…………この貸しは、いつか返すから」


 リリアは彰をチラリと睨むと、ぼそぼそと呟いた。細かい奴だ。


「その…………………………、お世話になりました」

「なんだ、もう行くのか?」

「まぁ…………、長く居座るのも悪いんで」


 リリアはそれだけ言うと、パタンと扉を閉めて出て行ってしまった。


「じゃ、そろそろ俺も行くかな」


 アクレスは時計を見ながら言った。


「え? どこに?」

「シルヴァ中将に呼ばれてんのよ。国の今後についての重要な極秘の仕事だとか」

「…………それ、俺に言っていいの?」

「あ」


 アクレスは人差し指を立てて「誰にも言うなよ」と彰に言う。人選ミスではないだろうか。


「じゃ、俺は行くから。お前、休みだろ? 一応、買い出し行っといてくれ。買うもんは書いてあるから」

「はいはい」


 月島への出立は三日後だ。大火事が無ければ今頃向かっているのだが、今更それを言ってもどうにもならない。転移した当初は「すぐに帰れるだろう」と楽観的に考えていたが、どうも簡単にはいかないような気がしてきた。

 彰は置かれていた殴り書きのメモを取ってぼんやりと眺める。せっかく休みが取れたというアクレスだが、こんな事件が起こっては休みが無くなる可能性も高い。そうなると、月島行きは更に遠くなるだろう。

 しばらくして、机の上にメモを投げると、大きくため息を吐いた。


 余談ではあるが、二人がリリアの盗みに気付いたのは、これから二日後の朝であった。


◇◇◇


 シルヴァ中将には入隊直後からよくお世話になっている。特に五年前の戦争からはなにかと気にかけてもらっていた。

 彼の邸宅へ着くと、すぐに応接間へ通された。


「あら、相変わらず大きいわね」


 珍しそうに言う女性は、スカーレット・セージ・グランシア。シルヴァの妻だ。


「主人の若いころにそっくりですわ」

「そ、そうですか?」

「まぁ少し小さいですけれども。主人も昔はかなり筋肉質でしたわ。あたくしも主人も、今はすっかり老いぼれてしまって……。年は取りたくないものですわね」

「はぁ」

「そういえば、このお紅茶。カメリヤ家の奥様からの頂きものなのですけれども、香りが良くありませんこと? うちの主人、紅茶にはいろいろと厳しいのはご存じでしょ? それなのに、このお紅茶は…………」


 話が止まらない。ここへ来るといつもこうだ。こちらが考える間もなく、コロコロと話題が切り替わっていく。

 だが、今日はあえて普段通りにふるまっているように見えた。アクレスの細かい表情から心境を察したのだろう。その細かい気遣いがありがたい。

 適当に相槌を打ちながら紅茶を啜っていると、しばらくして応接間の戸が開いた。


「おや、遅れてしまって申し訳ありません。会議が長引いてしまって」


 シルヴァの目の下には濃いクマが浮かんでいた。休む間もないのだろう。

 彼はアクレスの向かいに座ると、小脇に抱えていた書類の束を机に置いて息を吐いた。すぐにスカーレットが紅茶を淹れる。


「スカラ。これから重要な話をするから」


 シルヴァが言うと、スカーレットは何も言わずに部屋を出ていった。


 穏やかな沈黙が流れる。アクレスは香りの良い空気を吸い込むと、チラリと窓の外を眺めた。

 向こうに見えるはずの美しい城は、その面影を欠片も残さず黒く焼け焦げてしまっている。あの瓦礫の下には、まだ何人も埋まっているはずだ。連絡の取れない友人も、火事で亡くなった友人もいた。あの光景を見ているだけでも気分が重くなる。


「…………友人の死というものは慣れないものですね。自然死でない場合は特に」


 紅茶を飲みながらシルヴァが呟いた。埋まっていた中に彼の友人もいたのだろう。


「早速で申し訳ないのですが、この前話した通り、一つ重要な仕事があります。今度、月島へ行くということですね」

「いや、仕事なら出ますよ。月島よりも重要でしょう」

「いえ、月島へ行くのは構わないのです」

「へ?」


 てっきり休みが消えることになると思っていたアクレスは、つい気の抜けた返事をしてしまった。


「その際、これを届けていただきたい」


 シルヴァが取り出したのは漆塗りの木箱。開けると、中には紙の束が入っていた。一番上の紙には「機密」という文字が書かれている。


「マテラス十三世の一人息子、ユーテル・ラウノス・マテラス皇太子は、現在月島の総督府にいらっしゃいます。この書簡には事件の詳しい経緯と、今後の方針について書かれています。これを誰の目に触れることもなく、無事に月島の皇太子まで届ける必要があります」


 それを聞いて、ティーカップを持つ手が固まった。


「お、俺がですか?」


 思わず間抜けな質問をしてしまう。


「アクレス君なら、賊に襲われたとしても返り討ちにできるでしょう? まぁ、あえて君を襲おうとする人間もいないとは思いますが」

「まぁ…………確かに」

「ユドラー大将が月島にいます。現地では彼の指示に従ってください」


 ユドラー大将といえば、その優れた知略と豪胆な性格から「軍神」の異名を持つ男だ。以前、剣の稽古をつけてもらったことがあったが、全盛期を過ぎたとはいえアクレスと同等以上の剣さばきを見せていた。


「皇太子はご無事なんですか?」


 アクレスは尋ねた。

 国王が暗殺されたとなれば、次に矛先が向くのは王位継承者だ。更に、それが一人息子であるならば、余計に狙われやすい。

 すると、シルヴァが微妙な顔で頷いた。


「やはり襲撃があったようですが、ご無事です。今は警備も固めた上にユドラーも居ますから、危険にさらされることは無いでしょう」

「…………なんです? その微妙な顔は」

「皇太子を救った、という用心棒なのですが。…………報告によると、元『瓦屋』らしいという情報があるんです」


 月島の瓦屋。それが月島の皇族直属の諜報部隊を指すことはアクレスも知っていた。ただその組織自体は、三十年前に月島がマテラス王国の属国となった際に解体されている。

 シルヴァは、その戦争に参加して瓦屋をはじめとした月島軍相手に数々の戦績を挙げた一人だ。


「まったく…………、なんの因果か。まさか瓦屋がマテラス王国を救うことになるとは、夢にも思いませんでしたよ」


 シルヴァは相変わらず微妙な顔で言うと、冷めた紅茶を啜った。

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