7

 肩に刺さったナイフを抜くと、そのナイフはふわりと宙を舞って飛び去っていった。

 チラリと背後を振り返ると、少年の姿は無かった。なんて薄情なやつ、と内心で毒づくが、すぐに「どっか消えて」と言ってしまったのを思い出す。


――――助けなんてのは期待するな。自分の力で生き残れ。


 亡き父親がいつか言った言葉が蘇った。そうだ。端から助けを当てにしてはいけない。最後に信用できるのは自分だけ。

 まぁ、今回は自業自得だが。

 ボタボタと垂れる血を片手で抑えながら、リリアは目の前の男を睨みつける。


「睨んでたって俺は死なねぇぞ」


 無傷の男は笑いながら言った。嘲笑うように彼の周りでナイフが踊る。

 

 リリアは短刀を握りしめると、再び地を蹴った。路地裏に張り巡らせた銀糸を足がかりに、三次元的に間合いを詰めていく。


「らァッ!」


 襲い来るナイフを躱して、男の心臓へ短刀を伸ばす。しかし、その刃はナイフで簡単に弾かれてしまった。

 だが、その動きは想定通りだ。

 リリアは男へ向かって右手を伸ばした。光るグローブの指先から伸びる糸が、男の片脚へと巻き付いていく。そのまま着地と同時に転がり込むと、勢いよく右手を引いた。


「うおッと!」


 支えを失った男はその場でひっくり返る。


 この技術は父親から教わったものだ。

 蜘蛛と呼ばれていた父は、髪の毛ほどの細い金属線で相手を絞殺する暗殺者だった。リリアは小さな頃から、その技術を間近で見て育ってきた。

 しかし八年前、父は目の前で殺されたのである。それも、最も信頼を置いていた親友に。


 あと少しで父親の仇が取れる。

 リリアは短刀を握ると、間髪入れずに立ち上がった。


「いッたいッ!」


 その瞬間、右足の太ももに激痛が走った。思わずその場に崩れ落ちる。


「勝ったと思って油断したな?」


 男はわざとらしくゆっくりと立ち上がった。転がった帽子を拾い上げて、土埃を払う。


「止めを刺すまでが暗殺だ。一瞬でも気を抜くな…………ってのは俺も教えたよなぁ」


 太ももからスルリとナイフが抜けた。赤い血が噴水のように溢れ出てくる。手のひらで抑えるが、指の隙間からボタボタと赤い雫が零れ落ちた。

 出血が多すぎる。顔から血の気が引いていくのが自分でも分かった。


 地下街で生きていれば、死体は何度も目にする機会がある。餓死、凍死はもちろん、喧嘩の末に殺され放置された死体もあった。どの死体も、もれなく肉が腐り落ち、虫に食われ、悪臭を放ちながら燃やされていった。

 死はどれも不快で醜く、孤独なものばかりだった。


 このまま自分も「それ」になってしまうのか。


 男がパチンと指を鳴らすと、宙に浮いていたナイフが一斉にリリアを向いた。よく磨かれた刀身に、チラチラと赤い炎が揺れている。

 ナイフは七本。立つことすらできない中で、この数は躱しきれない。

 これまでなんとか躱してきた「死の影」が、両手を広げて自分の背後に迫っているのを感じた。



「歯ァ食いしばんな!」


 突然聞こえてきた声に思わず顔を上げた。目に入ってきたのは、男の背後から飛びかかる一人の少年。その手には、どこかから拾ってきたのかボロボロのモップが握られている。


 あの少年は逃げてなどいなかったのだ。


「おらァ!」


 振り向いた男の顔めがけて、モップの柄を思い切り叩きつける。しかし、男はそのモップを左手で受け止めると、そのまま彰の方へ押し返した。


「同じ手食うかよ!」


 彰は素早く手を離すと、右の拳を振りかぶった。隙が大きすぎる。どこからどう見ても素人の動きだった。

 当然、男はそれを逃すほど甘くない。宙に浮いていたナイフに右手を伸ばし、カウンターを叩き込もうとしているのが見えた。


 思わず、リリアは男へ手を伸ばす。そして、彼の腕に糸を巻き付けると、目いっぱいの力を込めて引いた。


「だらァ!」


 両手が塞がり、完全に不意を衝かれた男の顔面を彰の右拳が貫いた。赤く燃え上がる炎の上を、男の欠けた歯が飛んでいった。

 リリアの手から力が抜けた。男の腕を縛っていた糸が緩む。


「チィッ…………」


 男は、更に連撃を叩きこもうとした彰の拳を躱すと、ガラ空きの胴に蹴りを入れた。蹴り飛ばされた彰は、うめき声を上げながら地面を転がる。


「やるじゃねぇか、ガキども………………」


 男は血の混じった唾液を吐き捨てると、嬉しそうな、それでいて不気味な声で笑った。


「仕方ねぇな……………………。この拳に免じて、今回は見逃してやるよ。また会おうぜ」


 男は浮かぶナイフを回収すると、フラフラと左右に揺れながら炎に包まれた中央都へと消えていった。 

 リリアはぼんやりとその後ろ姿を見送ると、その場で意識を失った。


◇◇◇


「大丈夫か! しっかりしろ!」


 アクレスは肩に担いだ初老の男に呼びかける。返事はないが、息はまだある。この男はアクレスでも知ってるほどの有力貴族の一人だ。

 運び出したのは何人目になるか分からない。燃える城の中には、他の貴族議員をはじめ何人もの人々が取り残されている。


 城の外では、アクレスの他にも救助のために駆けつけた人が何人かいた。


「師匠!」


 その中の一人。右目に眼帯をつけた女性が、アクレスに声をかけた。


「システィア。コイツを頼む」

「あ、は、はい!」


 システィアと呼ばれた彼女は、アクレスの運んできた議員を担ぎ上げる。首に掛けられた青い宝石が、炎の赤を反射して輝いた。


「師匠一人で大丈夫? わ、私も中に行ったほうがいいかな……?」

「いや、俺だけでいい」


 アクレスは答えると、システィアの肩を叩いた。


「火はまだ苦手だろ? ソイツと一緒に避難しろ」

「い、いや! もう克服したから!」

「無理すんな。どちらにしろ、この火じゃ俺以外は無理だ」


 システィアは震える左手で顔の火傷痕に触れると、小さな声で「了解」と呟いた。


「陛下は」


 アクレスはシスティアに尋ねる。しかし、彼女は首を横に振った。


「まだ……」

「分かった。気を付けて行けよ」


 アクレスはシスティアの背中を軽く叩くと、轟々と燃え続ける城の中へ再び足を踏み入れた。



 この城へは以前にも何度か招かれたことがある。荘厳さと繊細さを兼ね備えた美しい城だった。

 だが、その姿は今や見る影もない。


「…………クソッ!」


 黒焦げになった死体を横目に、アクレスは階段を駆け上がった。

 会議室や私室、謁見の間など、手当たり次第に探したが、未だに国王の姿は見つかっていない。城の内部に詳しいわけでもないが、この炎の中で動き回れるのはアクレスくらいだ。なんとかして見つけなければ。


「よう。アンタ、アクレスだろう? そんなに慌ててどうしたんだ」


 突然、背後から声をかけられた。この火事の中で、これほど冷静な声で話せるのは一般人ではないだろう。

 アクレスは腰の剣を抜きながら振り返った。


「女にでも逃げられたか?」

「お前は誰…………」


 思わず言葉を失った。

 立っていたのは右手に刀を携えた小柄な老人。だが、驚いたのは彼の左手に持っているものだ。

 グシャグシャに握られた長い白髪。額から左目にかけて大きな傷のある、その特徴的な顔は、まさに探しているマテラス国王の顔だった。

 ただし、その首から下は無く、ボタボタと赤い血が滴っている。


 その小柄な老人は、わざとらしく驚いてみせると、国王の首をアクレスの前に投げた。


「おっと。コイツを探してたのか? 悪いな。もう斬っちまった。首しかねぇが、お前にやるよ」


 その言葉はもうアクレスの耳に届いてはいない。アクレスは床を抉るほどの強さで蹴り、一瞬で老人の首元へ剣を走らせた。

 老人はその刃をギリギリでいなすと、大きく後方へ飛び退く。


「か――――ッ! なんてェ威力だ! 流しきれねぇたァ驚いた!」


 嬉しそうに刀を構える。今の斬撃で破れた袖の隙間から、九つの龍の首が顔を覗かせた。


「九頭龍か……!」

「おうよ! 九頭龍の『蛇』と言やァ、俺のことだ! 構えろ、英雄! 月島草風流の奥義で沈めてやるぜェ!」


 アクレスの腕輪が鋭く光った。それと同時に、周囲の炎が凪いだように静まった。

 自然ではありえない現象。異常を感じ取った「蛇」は興奮を抑えきれない様子で笑う。

 そして次の瞬間。アクレスの剣は鮮やかな紅に燃え上がった。


「来やがれ、英雄!」


 アクレスが踏み込もうとした、その時。一発の銃声が響いた。放たれた弾丸はアクレスの剣を掠め、火花を上げて後方へ消える。


 一瞬の硬直。その隙に一人の青年が蛇の体を担ぎ上げて駆け抜けていった。


「おい、狼! 離せッ! 奴とやらせろ!」


 蛇は青年の背中を叩きながら叫んだ。「狼」と呼ばれた彼は、ため息を吐きながら呟く。


「ここで死なれちゃ困んだよ。アンタ、まだ仕事が残ってんだろ」

「うるせェ! ンなことよりも奴を斬らねェと、俺の刀が収まらねェんだよ!」

「元気な爺さんだな…………」


「待て!」


 追おうとしたアクレスの背後で、城の屋根が焼け落ちた。燃える梁が、国王の首のすぐ横に突き刺さる。

 アクレスは国王の首を抱えると、拳を握りしめて城の床を殴りつけた。


◇◇◇


 目を覚ますと、視界に飛び込んできたのは、自分の太ももをベタベタと触る少年の姿だった。

 リリアは思わず拳を握ると、その少年の横っ面を殴りつける。


「触んないでよ! 変態!」

「変態じゃねーよ! 止血だ、止血!」


 殴り飛ばされた少年は頬をさすりながら叫んだ。改めて太ももを見ると、確かに血が止まりかけている。

 辺りを見回すと、炎は勢いを増して燃えていた。火事の中、気を失っていたのだ。


「あぁー…………っと、ごめん。混乱してて……」

「あぁ、そうかよ」

「………………アンタさ、逃げなかったんだ」


 すると、少年はリリアの傷にボロ布を巻きながら「まぁな」と小さく答えた。


「あそこで逃げたら男じゃないだろ」

「そんな理由? 男がどうだとか……、バカじゃないの」

「お前なぁ!」

「アンタさ、名前は?」

「は? あぁ、彰だよ。イリヤ……、じゃなくて、アキラ・イリヤ」

「ふーん。変な名前」

「お前……、失礼な奴だな」


 呆れた顔で呟くと、彼はボロ布をきつく縛った。


「立てるか……って、立てるわけねぇよな」


 そう言って、彰は「ほら」手を差し出す。リリアは咄嗟にその手を取ろうとしたが、すぐ我に返って彼の手を弾いた。


「何が目的?」

「は?」

「タダで人助けなんて、そんな話あるわけないでしょ? アンタみたいな奴、これまで何度…………」


 それを聞いて彰は舌打ちすると、無理矢理リリアを担ぎ上げた。


「うわ、ちょ! 離してよ!」

「うるせぇな! 人助けんのに理由もクソもあるかよ! 火がそこまで来てんだ! サッサと逃げんぞ、バカ!」

「いや……っ! 離して!」

「おい、暴れんなって……!」


 リリアはバタバタと藻掻いて地面に転がり落ちた。慌てて彰が駆け寄ると、彼女は何か恐ろしいものを見るような目で彰を見上げた。


「こ、来ないで………………!」


 小さな体が震えている。それを見た彰は、その場で立ち尽くすしかなかった。


 彼女に何があったのか分からない。だが、この異世界で生きる人間たちも、背筋が凍り付くような不気味な「暗さ」を持っているのは確かだった。


 背後で家が焼け落ちた。だからと言って、ここで焼け死ぬのを待つわけにはいかない。こじつけでもなんでも良い。とにかく彼女が納得してついて来てくれるための理由が必要だ。

 彰はしゃがんでリリアと目線を揃えると、恐怖に飲み込まれた目を真っ直ぐ見つめた。


「俺は借りを返すだけだ」

「………………え?」

「お前も、殺されそうだった俺を助けてくれただろ? だから、ここで俺がお前を助けて、貸し借り無し。ここから逃げられたら、それで解散だ。俺は家に帰るし、お前も勝手に家に帰れ。分かったな?」


 彰は「ほら、行くぞ」と右手を差し出す。リリアはしばらく見つめると、静かにその手を取った。

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