3

 ノックするが返答は無い。アクレスは呆れたように息を吐いて部屋の扉を開けた。その拍子に何かがドサドサと崩れ落ちる音が聞こえてくる。

 足の踏み場もないほどに散らかった床。窓に半分カーテンがかけられた薄暗い部屋の壁際では、何人かの若い学者が小さな黒板を囲んで何やら熱心に議論している。突然部屋に入ってきた二人に見向きもしなかった。

 その部屋の奥。山積みの本に埋もれた机に、ぼさぼさの赤毛頭が一人突っ伏して寝ていた。


「おい、ソフィア。こんなに天気が良いってのに、昼間っから居眠りしてんじゃねぇよ」


 アクレスが声をかけると、その女性は呻き声を漏らしながら体を起こした。


「…………っさいなぁ。毒盛るぞ、筋肉だるまぁ」

「相変わらず恐ろしい寝起きだな」


 中央都の繁華街から離れた場所にあるレンガ造りの大きな建物。ここは王立中央総合研究棟。通称、赤レンガ棟である。


 その名前の通り、ここは王立の研究施設だ。国中から集められた天才、秀才たちが、切磋琢磨しながら科学技術を未来へと推し進めている。

 このソフィアと呼ばれた彼女もまた、その科学者の一人であった。


 ソフィアは青白い顔で小さく舌打ちをすると、本の山の上に置かれた眼鏡を手に取る。変わらず不機嫌なままだ。


「わざわざ起こしたってことは、それなりの事情があるんだろうなぁ」

「あぁ、もちろ

「無いなんて言ったら、その舌抜いて犬に喰わせるからなぁ」

「少しは話を聞け」

「はぁ………………。それで、話って………………」


 そこで、ようやくソフィアは彰の存在に気付いた。


「…………何? 隠し子?」

「ちげぇよ! 顔似てねぇだろうが!」


 アクレスは大きな手で彰の頭をがっしりと掴む。


「そこの森で拾ってきたんだがな。聞いて驚け。こいつ、異世界転移者なんだ」

「転移者…………」

「元の世界への帰り方を知りたいらしい」


 彼女の目の色が変わった。ちらりと彰の顔を見て少し考え込む。まるで、彰の存在が信じられない、といったような顔だった。


「…………もしかしてさぁ、アキラ君?」

「……え? なんで知ってんの?」

「まぁ、ちょっとね」


 曖昧に返すと、彼女はじっくりと彰を見つめた。美人に見つめられるのは悪い気はしないが、彼女の視線は完全にモルモットを見つめる科学者の目だった。しばらくそうしていると、「あぁ、初めまして。よろしく」と手を差し出してきた。戸惑いながらも「どうも」と手を握る。

 どこか抜けた感じの人だった。


 ソフィアは席に戻ってしばらく考えると、思い出したように口を開いた。


「あ、残念だけど私、専門家じゃないから、帰る方法とかは分からんよ。というか異世界転移に専門家も居ないけどね。…………ただ、一つ聞きたいことがあんだよね。よいしょっと」


 ソフィアは雑にモノが積まれた棚から、小さな木箱を取り出して渡してきた。手のひらに載るほどの小さな箱だ。振ると、カタカタと何かが入っているような音がする。


「アルフレッドって人、知ってる?」


 尋ねられるが、その名前に聞き覚えは無い。彰は首を横に振った。


「今から七年前になるかなぁ。ある一人の男が異世界転移してきたんだ。彼の名前がアルフレッド・フォン・アルバート。本当に聞いたことない?」

「ない。外国人の知り合い居ないし」

「でも、向こうは君のことを知ってたぜ。その箱も、君宛てに彼が残していったんだ」

「俺宛てに?」

「そう。二年前に、『これから転移してくるアキラってやつに渡せ』ってさ」


 アルフレッド・フォン・アルバート。やはり知らない名前だった。


 彰は改めて、手の上の小さな箱に目を落とす。

 会ったこともない人間が、自分のことを知っている。それだけでも不気味だが、更に彼は転移してくるという予言を的中させているのだ。


「それ開けてみなよ」


 ソフィアが言うと同時、不意に窓が風で音を立てた。彰は木の蓋を恐る恐る持ち上げる。

 箱の中身を見て、ソフィアは尋ねた。


「読める? それ、君の世界の言語だろ。私らじゃ読めないんだ」


 中身は折りたたまれた一枚の便せんだった。広げると、英語の筆記体がずらりと書き連ねられている。「Dear AKIRA」で始まるその英文は、高校生の彰でも手紙だと分かった。


 この世界では日本語が公用語のようだった。奇妙ではあるが、彰にとってはありがたい。しかし一方で、アルファベットを始めとした他の言語は、この世界では全く見なかった。ソフィアが英文を見て「君の世界の言語」と言ったのはそのせいだ。


 言語というものは国の根幹となるものだ。それが日本語であるということが何を意味するのか。この時の彰は考えもしなかった。


「まぁ……、読めるっちゃ読めるかもしれないけど。英語苦手じゃないし」


 彰は曖昧に返事を濁す。

 苦手ではないと言っても、せいぜい高校英語だ。母国語話者の英文をどれだけ理解できるかは怪しい。

 が、実際目を通してみると、意外とスラスラと読めてしまった。彰宛てと言うだけあって、英語の内容も高校レベルで書かれているらしい。

 彰はたどたどしいながらも、和訳して読み上げる。


「親愛なるアキラへ


 この手紙を読んでいるとき、私はその場にいないだろう。そして、君は私を知らないはずだ。だが、それは大きな問題ではない。

 君は今、大きな運命の波の中へ放り込まれていることを自覚しなければならない。しかし、君はそれに抗ってはいけない。その運命は、必ず一つの場所で収束する。

 既に気付いているとは思うが、私はこの異世界転移の秘密を知っている。それを教えることは容易いのだが、訳あって今は教えることはできない。君が『ツキシマ』へと向かうなら、そこへ辿り着くころには話してやっても良いかもしれないが。

 最後に、この世界は非常に危険だ。いざという時は、この世界の英雄を頼ると良い。


アルフレッド」


 推測もあるが、大意は間違いないはずだ。


 内容は完全に予言書だった。まるで、これから起こることを全て知っているかのような書き方だ。自分宛ての手紙で、おそらく害意は無さそうだが、どうにも気味が悪い。

 とにかく、あえて分かりにくく書かれたとしか思えない文面を解読するのが先だ。


「ツキシマって何?」


 尋ねると、アクレスが答えた。


「月島。西部にある島だな」

「そこへ行って、アルフレッドってのに会えば帰り方を教えてくれるってことか?」


 すると、ソフィアは首を横に振った。


「それは無いね。彼、捕まったから」

「………え、何したの?」


 困惑する彰を見て、彼女は少し笑う。


「あぁ。別に犯罪を犯したとかじゃないよ。君も異世界転移者だってことは口外しないことだね。じゃないと狙われるよ」

「狙われるって、誰に?」

「『転移者狩り』をする人たち。所謂、裏社会のヤツらさ」


 ソフィアは立ち上がると、カーテンが半分かかった窓を開けた。

 石畳を走る馬車の蹄。外で走り回る子どもたちの声。井戸端で繰り広げられる噂話。様々な音が風に乗って部屋に流れ込んでくる。

 夏の勢いが残る太陽を、白い雲が覆い隠した。部屋に大きな影が落ちる。


 彰は苦笑いしながら答えた。


「裏社会って……。俺を捕まえても意味ないでしょ。身代金を強請る相手もいないし……」

「だから好都合なのさ」


 ソフィアが言った。


「君はこの街を見て、何を感じた? 少し古いなって感じたんじゃない?」


 確かに、街に自動車は無いし、電気信号も、アスファルトの道路も無い。この街で見た何もかもが前時代的で、過去へタイムスリップしたのかとさえ思ったほどだ。


「もしも石器時代に銃があったら、それだけで神様になれるだろ? それと一緒で、異世界転移者ってのは私らにとっては神様になりうる存在なのさ」

「いやいやいや…………。いくら文明が進んでるって言ってもさ、俺みたいなのが知ってる知識なんて、大したことないだろ」

「それを向こうは知らないから問題なんだよ」


 つまり、転移者がどの程度の知識を持つのかは関係ないのだ。神のような存在になりうる可能性があるだけで、誘拐してみる価値は十分にある。


 では、誘拐してきた転移者が、彰のような何の知識もない人間だったら?

 その時は適当に「処分」してしまえばいい。彼らはこの世界に身寄りも居ないのだから、大抵の場合は事件の存在すら無かったことにできる。

 これまでに、一体どれだけの転移者が消されてきたのかは知る由もないが、ゼロではないだろう。


 彰は自分の置かれている状況を理解して背筋が凍りついた。

 もしも転移者狩りに捕らえられたら。誰に知られることもなく、悲しまれることもなく、この世から消えてなくなってしまうのだ。

 それは、ただ殺されるよりも恐ろしく感じた。


「男がなに情けねぇツラしてんだよ」


 すっかり青ざめた彰の背中をアクレスが力強く叩いた。


「元の世界に帰りたいんだろ? そんならシャンと胸張りな」

「そうそう。悪いこと考えたって動けなるだけさ。状況が悪いときこそ、前向きに考えんだよ」


 なんとも能天気な二人だ。だが、その楽観主義が伝染ったのか、多少気が楽になった。


「住むとこも無いんだろ? 俺の家に来い。お前が帰るまで協力してやるよ」

「え、本当に?」

「おう。いつの世も人は助け合いさ」


 手紙にもあったが、この世界は異世界転移者にとって危険なことは多いだろう。だが、この世界の全てが危険なのではない。アクレスやソフィアのように、身元不明の彰のために動いてくれる人がいる。

 全てを拒絶していては、彼らのような人さえも失ってしまう。

 彰はアルフレッドからの手紙を箱へしまうと、二人に礼を言った。

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