2

「目が覚めたら森に居た?」


 男は眉間にシワを寄せた。


「夢遊病ってやつか」

「いや、違う……と思うけど」

「じゃあ何だ。瞬間移動でもしたってのか?」

「いや、知らねーよ。気付いたら森にいたんだって」


 彰はそう答えると、パチパチと燃える焚火に適当な枝を放り込んだ。火の上に渡された太めの枝には、煮立ったスープの入った鉄鍋が吊るされている。


 結局、ここが何処なのかは分からないままだ。「夜の森は危ない」と言う男に従って、とりあえず彼の野営地で休息を取ることにした。


 男はしばらく鍋をかき混ぜると、荷物の中から木の椀を二つ取り出す。


「そもそも、だ。お前の格好は何なんだ。荷物は無いし、服は随分と薄いし………………、の割には丈夫だな。素材はなんだ?」


 彰の着ていたTシャツを引っ張りながら、不思議そうな顔で尋ねてくる。特に珍しい服でもないはずなのだが。


「それは俺のセリフだよ。なんだよ、そのマントとか。それに剣はマズいだろ。銃刀法的に」

「銃刀法?」

「知らないの?」

「お前は何を言ってるんだ」

「アンタこそ何を言ってるんだ」


 日本語が通じることから、おそらくここは日本なのだろうが、先ほどから話が全く通じない。まるで別の時代の人間と会話しているようだ。

 男はボリボリと頭を掻くと、木の椀にスープをよそいながら呟いた。


「まぁ…………、悪い奴じゃなさそうだな。頭は少しおかしいが」

「おかしくねーよ」

「おかしい奴は皆そう言うんだ。とりあえず飲め。体が冷えるだろ」


 彰は一応礼を言って白い湯気の立ち上る椀を受け取った。作る過程を見ていたが、変なモノを入れたような様子はなかった。匂いも悪くない。

 まだ夏が終わったばかりで夜も暑さの残る時期のはずだが、今晩はやけに冷えていた。Tシャツ一枚では少し心許ない気温だ。温かいスープを飲むと、不安定に揺れていた心が幾分か落ち着いた。


「俺はアクレス。アクレス・ブラッドフォードだ。」


 彼はスープをよそいながら、真面目な顔でそう名乗った。明らかに日本人顔の男が、あまりに流暢な日本語で、あまり日本語では聞かない名を名乗ったのだ。


「え?」

「ん?」

「え、なんて?」

「アクレス・ブラッドフォード、だ」

「ははっ……、ふざけてる?」

「なんて失礼な奴なんだ、お前は」


 明らかに不機嫌な顔になりながら、アクレスと名乗る彼はスープを口に運ぶ。


「お前も名乗れ。そうするのが礼儀だ。お前は知らないかもしれないが」

「俺はアキラ。入谷 彰だ」

「アキラが家名か?」

「家名…………? あー…………っと、家名はイリヤの方だな」

「なら、アキラ・イリヤ、だろ」

「はぁ? なんでそうなるんだよ」

「なんでって……、知らねぇよ。そうするのが普通だ」


 アクレスはぶっきらぼうに言う。やはり、いまいち話が噛み合わない。


「とりあえず、それ食ったら寝ろ。お前の家探しは明日だ」

「寝ろ、って何処で」

「ここ以外ねぇだろ。野宿だ、野宿」

「野宿かぁ…………」


 不満はあるが、言ったところでどうにもならない。それにとても疲れていた。すぐにでも眠ってしまいたかった。

 彰は貰ったボロ布を敷くと、その上で横になる。アクレスは羽織っていたマントを投げて寄越した。


 眼の前には相変わらず冗談のような星空が広がっていて、このまま寝てしまえば全てが元に戻りそうな気さえした。やけに現実味はあるが、これはきっと夢なのだという、根拠の無い自信があった。

 彰は呑気に欠伸をして、ゆっくりと目を閉じた。



 初めての野宿は快適な物とは言えなかった。一枚布を敷いたとしても、その下は固い地面だ。眠ったかどうかも分からない内に、気付けば東の空が白んでいた。


 やはり夢ではないのか。

 森が風に揺れて、ざわざわと不気味な音を立てた。


 気温はまだ低かった。Tシャツに短パンという格好だった彰は、アクレスから借りたマントを上に羽織った。それでもまだ肌寒く、少し身震いしながら眠い目を擦る。

 どこかでカラスが鳴いた。



「ほら、街道だ。あと少しで街に着くぞ」


 小高い丘を登るとアクレスが言った。それまで欠伸混じりに不満を呟いていた彰だったが、目の前の光景を見て思わず言葉を失った。


 街道、と聞いて、自動車の行き交う幹線道路のようなものを想像していたが、そんなものは無かった。代わりに走っていたのは質素な荷馬車。道も地面を均しただけの簡単なものだった。道の両脇には木造の建物が軒を連ねている。何故か、うっすらと刺激臭がした。


 思考が停止した。背中にじんわりと汗が滲む。


 ここは何処だ。どう見ても日本ではない。


「……………………ここどこ?」

「どこって……、もうすぐ中央都だ」

「チュウオウト?」

「おう。向こうに見えるだろ」


 彼の指さした方角を見ると、確かに大きな街が広がっていた。ただ、その中央にそびえるのは巨大な城。


「ここ…………、日本だよな?」


 彰は震える声で尋ねる。アクレスから返ってきたのは、予想通りの答えだった。


「日本? なんだそれは。ここはマテラス。マテラス王国だ」


◇◇◇


 街の建物はどれも木造、あるいは石造りで、コンクリートでできているような構造物は見当たらない。当然ながら電柱も電線もなく、建物の背も低いために頭上の青空がとても広く感じる。呆然としながら石畳を歩く彰の横を、ガタゴトと馬車が走り抜けていった。


 これだけでも日本でないことは明確だが、さらに奇妙な点がある。それは、道を往く人々だ。

 これほど多様な人種の人間が、同じ街の中で生活している光景は初めて見た。そして、見ている限り彼らの間に人種的な隔たりは無く、当然といった顔で対等に会話をしている。

 それも何故か日本語で。


「お前、ここに住んでるんじゃないのか? そんで、寝ぼけて街を出た」


 商店街を歩きながら、アクレスが呑気に尋ねてきた。

 お昼時ということもあってか、数歩先すら見えないほど商店街は賑わっていた。客寄せや値下げ交渉の声が至るところから聞こえてくる。

 思わず足取りが軽くなりそうな喧騒の中、神妙な面持ちで歩く男が一人。


「いや…………。初めて来る街だ」

「えぇ? お前、どこに住んでたんだよ」

「日本……の東京」

「知らん。聞いたことねぇな」


 日本語が第一言語の国は、日本以外に無い。おそらく、ここは今まで住んでいた世界とは全く違う世界なのだろう。街中の看板の中に、見たこともないような漢字がいくつかあった。

 異世界転移、といえば聞いたことはあるが、あくまでもフィクションの話だ。そんなことが現実で起こるとは考えられない。

 平行世界の存在を唱える学者もいるらしいが、彰のしていたことと言えば、家の布団でひと眠りしただけだ。次元を超えるような真似をした覚えはもちろん無い。


「あ。あれか、異世界転移ってやつか」


 アクレスが思い出したかのように言った。


「そうなんだよな。そうとしか考えられ……ん? なんて?」

「異世界転移」

「え?」

「たまに居るんらしいんだ。こことは違う世界から転移してきたって奴が。俺も前に…………、なんだその何とも言えん顔は」

「………………いや、あまりにも簡単に言うからさ。俺みたいなのって珍しくないの?」

「珍しいが、居ることには居る」


 聞けば、これまでにも何人か、片手で数える程度だが、異世界転移してきた人間が居たらしい。信じられないような話だが、彰自身も異世界転移している以上、あり得ない話とは言い切れない。


「帰る方法は…………?」


 尋ねると、アクレスは首を横に振った。


「聞いたことないな」

「おいおい、困るって! 帰れた奴は! 居ないのかよ!」

「帰ろうとした奴は居たな。『これは夢だ!』とか言って、首を括ったやつが」

「………そいつは?」

「無縁墓所に埋葬されたよ」


 十中八九、その人は元の世界へ帰っていないだろう。一瞬だが同じことを考えていただけに、彰は顔を青くした。

 アクレスは少し考えると、何か思いついたように指を鳴らした。


「そうだ。俺より詳しいやつが知り合いに居るんだ」

「え、マジ?」

「会ってみるか?」

「そりゃもう! 是非とも!」

「よし。それじゃあ、とりあえずは俺の家に荷物を置いて……」


「ちょォっと待ちなァ! そこの兄さん!」


 突然、二人の目の前に一人の男が躍り出てきた。

 小柄な上に猫背なせいで、彼の身長は彰の肩くらいしかない。不自然な出っ歯で辺りをキョロキョロ見回す様子は、小さなネズミを連想させた。

 アクレスは彰をかばうように半歩前へ出る。


「客引きなら他所でやりな」

「客引きじゃねェよォ〜、旦那! 俺ァ、ネズモール・モットーってんだ! 向こうで服屋をやってる、普通の商人さ!」


 ちらりと横を見ると、アクレスは明らかに不機嫌な顔をしていた。体つきが大柄なせいで、少し険しい顔をすればかなりの威圧感がある。しかし、ネズモールと名乗る男は一切怯むことなく口を動かし続けていた。


「なにも、話しかけたのは売り込みでもなんでもねェ! 俺が聞きてェのは、兄さんの着てる服さ!」

「お、俺?」


 彰がうろたえながら尋ねると、ネズモールは大袈裟に頷いてみせる。


「そうさ、兄さん! アンタ、名前はなんてんだい?」

「イリ…………、アキラ・イリヤです」

「そうかそうか! アキラの兄さん、その服の薄さ、滑らかさは、この辺りじゃァ……、いやっ! この国じゃ、とんと見たことねェ! その服、何処で手に入れたのか教えてくれねェか! 頼む! この通りだ!」


 彼は祈るように手を合わせると、深々と頭を下げた。

 街の様子から察するに、合成繊維などは開発されていない世界なのだろう。日本では安物のTシャツだが、この世界にとっては未知の素材で出来た服なのだ。

 ただ、「日本です」と答えたところで通じるはずがない。彰は頭を掻くと「ごめん、言えないんだ」と答えた。


「そこをなんとか! せめて何処の国で手に入れたかだけでも教えてくれェ! 金なら出すからよォ!」

「おい、いい加減どいてくれ。俺は疲れてんだ」


 アクレスの声から、隠しきれない苛立ちが感じ取れた。さすがのネズモールも気付いたのか、素早い動きで二人に道を開ける。


「また機会があれば教えてくだせェ! 俺ァいつでも待ってるんで!」


 今、彰の頭の中は異世界転移のことで一杯だった。すぐにでも、アクレスの言う「詳しい人」から話を聞きたい。それだけを考えていた。アクレスも疲れいていたのだろう。


 そのせいで、彼らはネズモールの言動の不自然さには全く気付いていなかった。

 おおよそ服屋とは思えないボロボロの外套。「いつでも待っている」と言う割に、詳しい店の場所すら言っていない。


 彰は「はいはい、どうも」と適当に返事をすると、再びアクレスと共に商店街を歩きだした。



 二人の背中が見えなくなった頃。ネズモールは口の中から「出っ歯」を取り外した。


「アキラか。転移者だな、あいつは」


 呟くと、パチンと指を鳴らした。すると、商店街の人混みの中から一人の男がネズモールの傍らに現れる。


「頭。今の少年ですか」

「あぁ。九割方、転移者で間違いねェ。やつを尾行しろ。ただし手は出すなよ。横の男は英雄様だぜ」

「へい」


 短く答えると、男は再び人混みへ姿を消す。ネズモールは汚れたフードを被ると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

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