第1章 陰陽師の少年(1)
稲荷飛鳥(いなりあすか)はジョギングをしていた。
午前六時。朝もやがたれこめて、街中を歩く人たちはまだそれほどいない。
五月の下旬。犬を散歩させるおじさん、会社員たちの間をすり抜けていく。走るたび、栗色の髪のポニーテールがぽんぽんとはねた。
飛鳥は市立明王中学の1年生のバスケ部員。バスケは小学校の時からしていて、試合で活躍している。
街中を抜け、山に向かって続く坂道を昇りきると、赤い鳥居が見えてくる。鳥居をくぐった先には五十段の石段がのびる。小学校低学年の時には一段上るのも大変だったけど、今では大股ですいすい上がれる。
「や、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~~~~っ!!」
境内から叫び声が上がった。
はっとした飛鳥は境内にかけつける。
「飛鳥ぁ、助けてぇ……」
情けない声を漏らしたのは、小学校の頃からの幼馴染、同い年の土御門子竜(つちみかどしりゅう)。短いくり色の髪に、まだおさなさの残る顔立ち。そんな少年が白衣に水色の袴の格好で、うつぶせで倒れている。そして、袴には「ううぅぅぅぅ!」とうなる炎をまとった犬がかみついていた。
「ほーちゃん、おいでっ!」
「ハッ、ハッ、ハッ!」
飛鳥がしゃがんで手を叩くと、焔が駆け寄ってくる。飛鳥に身体を擦りつけ、「くうぅうん、くうぅん」と可愛らしく鳴いている。
「よしよーしっ! ほーちゃん、今日も元気だね!」
「ワンッ!」
炎をまとっているように見えるが、敵意のない人間には何でもない。
「ほーちゃんじゃなくって、焔(ほむら)だって」
「そう? ほーちゃんのほうがかわいいでしょ」
「俺の考えた名前がいいと思うんだけどなぁ。――な、ほむ助」
「…………」
「なんで無視なんだよ!」
「ほーちゃん。子竜の見張り、ご苦労様。バトンタッチね」
「わぅぅぅん!」
瞬間、焔が消えていく。
焔が今までいた場所には、人型に切った紙が残されている。
焔は式神で、人の形をした紙をよりしろにしていた。
式神というのは、陰陽師という平安時代から現代に続く妖怪退治の専門家の使い魔のようなもの。
そう、ここ土御門神社は陰陽師が神主をつとめているのだ。
子竜は、平安時代に天才と呼ばれた陰陽師、土御門青竜の子孫。
「ね、子竜。平気?」
手を差し出すと、子竜は「助かったぁ」と手にすがりついて、立ち上がった。
「またそうじをサボろうとしたんでしょ」
飛鳥は、境内に転がった竹ぼうきを見る。
「ただ上の空だっただけだってー」
「それがサボりでしょーが」
「飛鳥はジョギング? よく続くよなぁ」
「誰かさんと違って、あきっぽくないからねー」
「それじゃあ、ついでに境内の掃除、手伝ってくれよ」
「そんなことしたら、おじい様に怒られるよ?」
「バレなきゃいいって。最近ボケてきたからさ、気付かないって」
「――ほぉう。誰がボケてきたって?」
「そりゃあ、あの頑固ヘンクツ人使い荒すぎジジイ……って、うわあ!」
すぐ横に立っていたおじい様の姿に、子竜は尻もちをつく。
「おじい様、おはようございます」
飛鳥がおじぎをすると、やわらかな笑顔になったおじい様は「おはよう。今日も頑張ったとるのう」と張りのある声を出した。
ヤギみたいな髭を生やし、日射しを浴びてツルリと輝くハゲ頭、ものさしを入れたみたいにしゃんとした背筋。子竜のおじい様の土御門烈竜(つちみかどれつりゅう)。
子竜はおじい様と二人暮らし。お父さんとお母さんは除霊の仕事で世界中を飛び回っていて、ほとんど家に帰ってこない。
「あっはっはっはっ! 子竜。またもサボりよったか。本当に油断も隙もないわっぱじゃな!」
「眠いんだからしょうがないだろ……。そうじなんてめんどう――」
「かーーーーーーつ!!」
「っ!?」
子竜だけでなく、飛鳥もびっくりするくらいの大声。
「お前は土御門家33代目の当主となる者! ワシの目ん玉の黒いうちに一人前にならんでどうする! よいか! ただのそうじではないのだぞ。この清らかなる空間に身を置くことで、聖域の力を己の内に……」
「はいはい、分かったって。ちゃんとそうじをするから、説教はやめてくれー」
おじい様はそでから取り出した人型の紙に息を吹き付けると、たちまちそれは焔へと姿を変えた。焔はちょこんと座り、子竜に目を光らせる。
ここまでが朝のルーティーン。
「じゃ、子竜。また学校でね」
「おー。飛鳥も朝練がんばれー!」
「任せといてー!」
飛鳥は階段を駆け下りていった。
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