一年に一度の、奇跡の日に

久河央理

第1話

 女子高生・秋乃の部屋には一体の人体骨格模型がある。


 いつかのハロウィン前に、誕生日プレゼントとして買ってもらって以来、ずっと大切に飾っている模型。リアルな形で、関節部分は可動式だ。

 なぜそんなものを飾っているのと訊かれても、秋乃の答えはただ一つなのである。


「だって、好きだから」


 最初は一つのファンタジーアニメがきっかけだった。

 豊かな感情表現ができない骨の身でありながら、確かな信念を持って動く骸骨姿の主人公が格好良くて。格好良すぎて、生まれて初めて、本気で推した。

 人気の出た作品だったから、グッズの種類も供給量も豊富で文句はなかった。なのだが、やはり明るめなファンタジー作品ということもあり、次第にデフォルメされたものばかり増えてしまい、世間との解釈違いによって寂しさにくれたものである。


 そんな秋乃はやがて、他の映画でも骸骨を追いかけるようになってしまった。骸骨が服を着て、感情豊かに話しているのが楽しくて仕方が無い。

 どんな脇役でも推せたし、割と気に入っていた主人公が骸骨姿で動くようになったときは歓喜にむせび泣いた。


「ああ、私はリアルな骸骨をこそ求めていたんだ……」


 そう自覚した秋乃は自身に苦笑をしつつも、ついに骨格模型を手に入れたのだった――。



  ***



 部屋に推しがいて、毎日拝み放題の貢ぎ放題。

 自分によって推しが豊かになるという、素敵な環境が整ってから数年。


 実は、その骨格模型には秘密があった。


 秋の空に陽が沈みかけ、夕暮れの音楽が鳴り終わった頃、カタカタと音を立てながら室内で細っこい影が動き出す。


「ハッピーハロウィン! 今年もまたこの夜が来たな!」


 感覚を確かめるように身体を伸ばしながら、骸骨は楽しげに笑った。骨格模型なのに一体どこから声が出ているのか、なんて考えてはいけない。


 だって、映画じゃそういうのは暗黙の了解だ。いちいち考えていたら、純粋に楽しめやしない。思考は時に娯楽の邪魔になる。


「来て……しまったね、ハッピーハロウィン」


 秋乃は自身の頬をつねりながら、彼に対してそう返した。


「ご不満かい?」


「いいや。ただ、いまだに信じられないなって。ねえ、なにしよっか。今年の映画でも見る?」


「そうだね。まずはつねった手を離しなさいな」


「うい」


 素直に言うことを聞いて、秋乃が自身の頬から手を離すと、骸骨は「よろしい」と言いながら顎関節をカタカタとさせた。笑っているのだと思われる。


「実は、僕にはずっと考えていたことがあってね」


「うん?」


「街に行こうじゃないか」


「え、外に? そんなことして大丈夫なの? だって、いっぱい人がいるんだよ?」


「無論わかっているとも。僕ぁね、人々に紛れて散策してみたいんだ。噂のシブヤってあたりはどうかな? きっと気づかれないと思うんだけど」


「渋谷は早いような……」


「なんのなんの。僕の故郷では有名な場所だよ? うるさすぎて行けたもんじゃねーぜって」


「早い気がする……っ! というか、故郷って?」


「さあさあ、レッツゴー」


「聞いて?」


 骨格模型に手を引っ張られ、家の中をウロウロとする秋乃はドギマギとした。家族の誰もいないから、動く人体骨格模型を見られる心配はない。だから、生命を感じないその手にこそドキドキとしているのだ。


 ああ、堪らない。

 毎日触れているはずなのに。

 意志を持って向こうから握られるというのは、最高がすぎる。

 本当の骨じゃないが、骨型であることに意味があるんだ。うわー、好き……。


 幸せに浸る秋乃の横で、骨格模型は秋乃父のシャツを手に入れた。


  ***



 結局、戸惑いながらも渋谷まで来てしまった。平然を装いつつも、秋乃は動揺を隠せない。


「これはこれは。人間の世界っておもしろいね」


「だ、大丈夫かなぁ」


「なんとかなるさ、ハロウィンだもの。ああ、そうだ。混み合っていることだし、手でも繋がないかい?」


 秋乃は差し出された手を握り返す。手袋をしているから、見た目としては普通の手だが、実際に握ってみると無機質な感触に違いなかった。


「ははは、体温とか再現できればいいんだけどね」


「いい。十分」


 仮装した人間たちの喧騒に紛れながら、二人で夜の街を歩く。


 数々の照明と陽キャ属性の人たちでごった返した街。そこは、日の落ちた後でありながらも、昼間に負けないくらいに明るかった。


「あ、秋乃じゃん〜。そいつ、誰?」


 恐れていたことが起こった。同級生の女子に、見つかってしまったのである。


「あー、っと……」


「秋乃、彼女は友達かい?」


 隣にいた彼が問いかけ、秋乃は俯きながら頷く。黙ってしまった秋乃に変わって彼は、ごく紳士的に対応した。


「僕らはまあ、家族ってところでよろしく」


「いい声……あの、お名前はなんと?」


「ジョンってことで、ひとつ」


「外国の方なの……?」


 その女子が瞳を輝かせかけたところで、秋乃はハッとする。


「わー、ジョ、ジョン? あっち、あっち行こう……っ」


「では、今後とも秋乃と仲良くしてね?」


「そういうのいいから、行くよ……!」


 爽やかに別れを告げる彼の背中を押して、その場を後にした。



  ***



 明け方には元に戻ってしまう彼との、一年に一度きりの秘密デート。その時間が過ぎてしまうのは、本当に瞬きの間だった。


 一通り歩いたあとは自宅へと戻ってきて、秋乃の部屋で会えなかった一年間を振り返る。


「今年も楽しかったよ。今年は特にね」


「私も楽しかった。……ねえ、あのとき名乗った『ジョン』って何?」


「ジョン・ドウだよ。名前が分からない人の表現だ。日本にもあったような気がするよ? 名無しのなんとかみたいなの」


「名無しの権兵衛?」


「そうそう、権兵衛」


「ジョンは日本人じゃないの?」


「うーん、たぶんね。あまり出自に関しては、記憶がないんだ。僕が『人』ではないってことは、確かに分かるけども」


「た、確かに」


「この身体も外国製だから、そういう意味でも日本出身ではないとも言えるかもね」


 どこか気になる物言いだ。彼は果たして、付喪神なのか。それとも、骨格模型を依代として現界している怪異なのか。

 どちらにせよ、ハロウィンという特別な日に起こる奇跡は、神秘抜きに語ることができないらしい。


「だから、日本文化は新鮮で楽しいんだ」


 また顎関節をカタカタとさせる。


 そこで、空に明かりが広がり始めた。


「そろそろ時間だ。大好きだよ、秋乃。また来年よければ遊んでね」


「うん」


 秋乃の頬にコツンと骨が当たる。それから、定位置に腰掛けた骨格模型はぴたりと部屋に収まった。


 ――ああ、今年もまた告白ができなかった。


 だから、持て余した言葉を骨格模型に告げることにした。


「私も大好き、ジョン」


 屈み込んで、正面から覗いて、ぼっそりと。どうせ、誰も聞いていないし――。


「真正面からなんて、さすがに照れちゃうねぇ。今なら、この身体でも体温が再現されてたりするのでは?」


 まさか動くなんて思っていなかったから、秋乃は口をパクパクとさせた。そんな様子に構わず、ジョンは続ける。


「骨の身体だからね、気持ちを隠せないんだ。ではでは、今度こそ本当に退散しよう! じゃあね、愛しの秋乃!」


 今度こそ、本当に動かなくなった模型を突いてみる。それから、膝を抱えて丸まった。


「……〜〜っ、……ばかぁ……」


 恥ずかしすぎて、来年まで待てる気がしない。ずるい。骸骨のくせに、ずるすぎる。


 ただ骨格だけになった推しの模型を、秋乃はこつこつと殴っておいた。

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