推しと恋愛は違うだろ

朱ねこ

推しと恋人

 私は今推し活中だ。

 教室の後ろの扉から覗くようにして推しを鑑賞している。


 窓際の列の最後尾、背が高く、いつも眠たそうな目をした彼は体育着に着替え始めようとしている。

 私の視線は彼に釘付けだ。彼が半袖ワイシャツのボタンを一つ一つ外していくと、薄らと割れた腹筋が露出される。


「はわわ、素敵。触りたい……」


 中学校時代剣道部に入っていたらしく、高校では部活に所属していないが、今も筋トレや素振りは続けているらしい。

 健康のために身体を鍛えていると聞いた時は、しっかりしているなぁと感心してしまった。


 推しと出会ったのは、合格発表の日だ。

 模試で合格圏内ではなかった私は、掲示される番号の羅列を前に怖くなり結果を見れなくなってしまっていた。しかし、隣に立った愛想のない男子が声を掛けてくれて、私の分まで見てくれた。私は無事合格していたが、彼の番号がなかったらしい。

 肩を下げて落ち込む彼を励まし、私も一緒に探してみたら見落としていただけだったとわかった。


 安心して気が緩んだ彼は礼を言う。そのとき彼が見せた照れたような笑顔に私の胸はキュンとした。


 そして、彼なら推せると思った。今まで好きなものが見つからなかった私だが、不愛想だが優しく、冴えない顔だが笑みも可愛く、頼もしいのに弱気なところも好きだと思った。


 入学して二年経つ今も、推しへの愛が続いているということは、つまり、彼は私の推しに相応しいということ。


 舐めるように彼を直視していた私は、そろそろと扉から離れる。推しの着替えが終わり、こちらに歩いてきたからだ。

 すれ違う時に推しと視線が合った気はするが、お互いに話しかけない。目が合うだけで胸は高鳴って、浮かれてしまい、騒ぎたい気分だった。推しとは非接触でいる方が心臓に悪くない。


 教室にほとんど人がいなくなってから、先程まで覗いていた教室内に入り、窓際の一番後ろの席まで行く。机上に畳んで置いてあるワイシャツを持ち上げ、鼻に近づける。すんすんと嗅ぐと、柔軟剤と汗が混じった香りがする。


「ふわぁ、最高……」


 我ながら変態じみていると思うがやめられない。推しの匂いを保存できる袋があれば良いのにと考えながら、彼の香りを堪能してもう一度畳み直して戻しておく。


 机の端に置いてある緑茶のペットボトルは空のようだ。ゴミはどうせ捨てるから貰って行っても構わないだろう。

 筆箱も目に入るが、持ち帰りはしない。窃盗罪になるからだ。


 そろそろ私も自分の教室に移動しなければとペットボトルを手に取り、振り向いたら顔を真っ赤にした推しが立ち尽くしていた。

 体育着のためにいつもは制服で隠れている筋肉質な足と太い腕が見える。

 動揺する推しも可愛くてうっとりしてしまう。


「な、何してたの?」

「あっ、えっと、ペットボトルが空だったので、捨てようかなって?」


 いけない、いけない。嫌っていると誤解させないためにちゃんと答えなければ。

 教室に彼がまた戻ってくるとは予想外だった。忘れ物でもしたのだろうか。


「いや、捨ててくれるのは有難いけど、ワイシャツで何を?」

「えぇーと、いい匂いでしたよ!」

「そうじゃないだろ」


 両手を叩いてにっこりと笑顔を浮かべた私に鋭いツッコミが入る。

 推しはまだ混乱している様子だった。


 推しを愛でているところを見られたらしい。


「今までペットボトルや昼食のゴミがなくなっていたのは君だったのか?」

「はい! 家で大切に保存しています!」

「はぁ!?」


 バレてしまったからには仕方ない。私は、推しへの愛を暴露することにした。

 いつか見つかってしまう気はしていた。まずいと思いつつも、やめられなかった。


「ずっと見ていました。大好きです!」

「まじか、自惚れだと思ってた……。てっきり、俺以外を見ているんだと」

「君だけに夢中だよ?」


 そう告白すると、推しは大きな右手で顔を隠してしまった。

 嘘偽りは全くない。私は推しである彼の虜になっている。


「あー、もう。俺も好きだ。恋人として、よろしくな」

「ふぁっ!? 恋人!?」

「え、嫌なのか」


 驚いたようながっかりしたような声に私は戸惑ってしまう。

 恋愛的な意味での告白だと誤解されたようだ。

 推しと恋愛は違うだろ。でも、彼女となれば今まで以上に近くで合法的に彼を摂取できる。


 それに、彼の落ち込む姿は可愛いと思うけど見たくはない。

 そんな誘惑に私は負けた。


「嫌じゃないです。嬉しいです」

「よかったぁ」


 安心してはにかむように笑う彼の表情は、あの時の彼と重なって見えた。私の心は幸せな気持ちで満たされるが、しかし、次の瞬間彼は私に酷なことを告げた。


「持ち帰ったゴミは捨てろよ?」

「えっ、嫌です!! それとこれとは話が別です!」

「いやいやいや、恋人になるんだし、本人がいるんだから」

「いーやー!」


 彼との押し問答は始業の鐘が鳴るまで続いた。

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