第14話 悪魔の家
数日後。
私はとんがり山に向かって、赤い軽自動車を走らせていた。早朝の森には、うっすらと霧が立ち込めていた。急に出現するカーブに運転を誤らぬように、私はスピードを落として注意深く運転した。
今、私の心の中にある想いはたった一つの単純な言葉で表す事ができた。
『星見さんを助けたい』
でも、このことは誰にも言わなかった。シラサギさんでさえも、私の行動には気づいていないはずだ。
やがて、深く霧をたたえた湖が見えてきた。霧の中に、かすかに立ち枯れた木々が見えた。湖畔には、ユキさんの天文台が見えたが、私はそこも通りすぎ、悪魔がいるという、とんがり山の中腹を目指した。
やがて、道は行き止まりとなった。エンジンを切って、車のドアを開けると、木々の枝の間を風が吹き抜ける音だけがかすかに聞こえた。
周囲には、生き物のいる気配がまるでしなかった。鳥の鳴き声すら聞こえない。しかし私にはわかっていた。悪魔は近くにいる。星見さんの魔法を使って、見えない壁を作り、自分の存在を隠しているのだ。そして、もう一つわかっていることがあった。もしもそれが星見さんの魔法ならば、私には、その壁を通り抜けることができるはずだ。七歳の頃の私は、いつも無意識にそれをやっていたではないか。
辺り一面は棘のある植物で覆われていた。いくつかの棘が上着に引っかかって小さな穴を作ったが、気にせずに前に進んだ。すると突然、私の体はピョコンと広く明るい空間に投げ出された。森の中に突然現れたその空き地は、テニスコート二面分くらいの大きさがあり、その真ん中には、二階建ての建物が建っていた。その屋上には、銀色の天体観測ドームが輝いている。驚くほど、星見さんの家に似ていた。
ここが悪魔の家。あまりにも平和的なその雰囲気に少しばかり、拍子抜けしている自分がいた。悪魔の家というからには、もう少し禍々しいものを想像していたのだが。
まあいい。とにかく、この家のどこかに、星見さんの魔法の書があるはずだ。私はポケットからいつものタロットカードを取り出した。探し物ならば、このカードで簡単に見つけることが出来る。まずは、悪魔から魔法の書を取り返す。魔法の書さえ奪ってしまえばなんとかなるはずだ。
占いによると、魔法の書は二階の南側の部屋にあるらしい。そこへたどり着くには、一階にある玄関から、リビングに入り、すぐ横の階段を登る必要がある。ただし、悪魔に見つかったら全てがお終いだ。私は、今度は悪魔の居場所を占ってみた。
大丈夫。今、この家に悪魔はいないと、私のカードは言っている。
玄関に鍵はかかっていなかった。ゆっくりとドアノブを回す。静かに扉は開いた。
「誰だ」
誰もいないはずの部屋の中から、きびしい声が響いた。私は激しく動揺していた。占いは肝心な時に外れたらしい。目の前には、三十代くらいの見たことのない男が立っていた。彼が悪魔だろうか。
「びっくりしたなあ。どうやって入ってきたの?」思いの外、優しい口調に、少し戸惑いを覚えた。
「いえ。あの。鍵がかかっていなかったので」私も十分に驚いていたが、冷静さを装ってそう答えた。
「いや。そうじゃなくて。どうやって、この家を見つけたの。ここには見つからないように魔法がかけてあったんだけどな。僕もまだまだだな。こんなに簡単に魔法を破られてしまうなんて」
「あなたは、悪魔ですね」
男の話を遮って、私はおそるおそる聞いてみた。
「違うよ」
男は言った。しかし、信じて良いものだろうか。悪魔が本当の事を言うとは思えない。
「星見さんを探しているんだね。そろそろ来るんじゃないかと思っていたんだ」
「星見さんは今、妖精の石に捕まっている。星見さんの前には僕が捕らえられていた。その前には、確かに悪魔が捕まっていたのだけども、僕と入れ替わりに出て行っちゃったんだ」
申し訳なさそうに、男はそう言った。嘘をついている気配はなかった。タロットカードに聞けば確認出来る。でも、私はそれをしなかった。なんとなく男の言葉が信用できるような気がしたからだ。
「僕の名前はホーホ。一応、今は天候の魔法使い。本当は全部、星見さんの魔法なんだけどね」
背が高く大柄な体型だが、どことなくひ弱な雰囲気を纏っている。服装も地味でセンスも古い。昭和の初めに流行ったようなスーツを着ていた。
かつて、魔法使いだったが、自分の魔法の書は無くしてしまったという。その代りとして、星見さんの魔法の書を盗んだのだと言った。
「申し訳ないと思っています。でも、これしか方法がなかった」
ホーホは言った。
「星見さんを助けるには、何十年も前に私が逃がしてしまった悪魔を見つけて、また妖精の石に封印するしかない。そうすれば入れ替わりに星見さんは解放される」
「ちょっと待って。あなた何歳なの」
「三十三歳。妖精の石の中では時が止まっているんです」
なるほど。ということは星見さんは、今でも十三年前の姿のままなのか。
「私は悪魔を探した。でも見つからなかった。それだけではない。気がつくと、私が、悪魔と呼ばれるようになっていた」
ホーホの目に、涙が溢れてきた。私と目が合うと、ホーホは少し気まずそうに目を伏せた。
「本当は、もっと早く、星見さんを解放してあげるつもりだった。でも、もう少し、もう少しだけ、と、自分に言い訳をしているうちに、時間だけが過ぎていった。でも、あなたがここに来たことで決心がつきました」
ホーホは、もはや隠す事なく、涙を流し続けていた。
「お嬢さん。私はこれから自らを封印する事で、星見さんを解放します。魔法の書はお返しします。星見さんが出てきたら、この手紙と一緒に渡してください」
ホーホは、食器棚から白い封筒を取り出すとそれをテーブルの上に置いた。封筒には、『星見様』と書いてあった。
「では」
「ちょっと待って」
私は、ホーホを止めようとした。待って。何か、みんなが幸せになれる方法があるはずよ。それを探しましょう。そう言おうとした。しかし、それよりも早く、ホーホは魔法の光に包まれ、消えていった。数秒後、ホーホのいた場所に、十三年前と同じ姿の星見さんが現れた。
「星見さん・・・」
「君は、もしかしたら夕子ちゃんなのか。いったい何年経ったんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます