第8話 占いの魔法使い
目を覚ますと、木造家屋の天井が見えた。周囲を見回すと、そこは丸太で作られた壁に囲まれた小さな部屋で、ほのかに木の香りがした。乾燥した、暖かく心地よい布団の中に私はいた。布団は太陽の匂いがした。
「コノハ。コノハ」
耳元で私を呼ぶ声が聞こえた。
「シラサギさん?」
寝返りを打つと、シラサギさんと目があった。
「あなた、自転車と一緒に湖に落ちたのよ」
そうだった。白い光につつまれて自転車ごと湖に落ちたところまでは記憶がある。あれは間違いなく魔法の光だった。誰かが私に魔法を放ったのだ。しかし、その後、今、目を覚ますまでの記憶は全くなかった。
「ここはどこ?」
私はシラサギさんに聞いてみた。
「ユキさんの家」
シラサギさんがそう言った、ちょうどその時、部屋のドアが開かれ、一人の女性が入ってきた。華奢で背が高く、極端に細いジーンズに、暖かそうな茶色い手編みと思われるセーターを着ていた。四十代くらいだろうか。おそらく、シラサギさんが言ったユキさんという人だろう。
「服は全部洗っちゃったから、しばらくは私の服を着ていてね。それから、あなたのペンダントはあそこ」
ユキさんはベッドの枕元にあるテーブルを指差して言った。そこには、星見さんが残していったペンダントが置かれていた。
よかった。
ペンダントが無事なことを知って、私の心は落ち着きを取り戻した。星見さんがいなくなったあの日。ズタズタになった部屋の中には、このペンダントだけが残されていた。それは、星見さんがいつも肌身離さず持っていたものだった。
星見さんが大切なペンダントを残していなくなった。その事実に私は何か不吉なものを感じた。何か重大な出来事が星見さんの身に起こったのだ。そうでなければ、このペンダントを置いていくはずがなかった。
それ以来、今度は私が、肌身離さず、このペンダントを持っていた。
「ユキさんて、誰なの?」シラサギさんに聞くと、彼女は無言のまま、窓の外を羽で指した。ちょうど、人間が指を指して方向を示す動作と同じだ。その羽の先を見ると、そこには天体観測用のドームがあった。
「天文台?それじゃ、ユキさんていうのは」
「そう。魔法使いみたいね」
「ところで、シラサギさんはどうしてここにいるの?」
シラサギさんはこれまでの経緯を教えてくれた。師匠とシラサギさんは、日曜日の午後を、のんびりと、魔法使いの家で過ごしていたのだが、そこに突然電話がかかってきた。電話の主は、自分のことを、ユキ、とだけ名乗った。
「コノハさんが湖に落ちてきました」
ユキさんは感情のこもらない淡々とした口調でそう言った。
「コノハさんは私が助けました。まだ気を失っていますが、大丈夫だと思います。怪我もありません」
師匠もシラサギさんもしばらく言葉を失った。一方で、ユキさんは、冷静に言葉を続けた。
「迎えに来ていただけますか」
「で、私が一足先に飛んできたわけよ。今、フクロウさんが自分の車でこっちに向かってるわ。今日が日曜日でよかったわよ。平日だと、フクロウさん会社に行ってて連絡つかないから」
「え、師匠って、会社行ってるの」
「サラリーマンよ。知らなかった?」
知らなかった。てっきり、魔法使いが職業だと思っていた。平日にスーツを着て出かける姿は、なんだかサラリーマンみたいだなあとは思っていたが。
「でも、ユキさんは、どうして私の名前と電話番号が、わかったのかしら」
「そこは、まあ、魔法使いだからじゃないかしら」シラサギさんも曖昧に笑うしかないようだった。
ユキさんの天文台は、湖畔から百メートルほど離れた森の中にあった。天文ドームのある観測小屋から、十メートルほど離れた場所に、ペンションを思わせる、おしゃれなログハウスがあり、普段はそちらで暮らしているようだった。因みに、私が眠っていたのは、そのログハウスの一階にある客室だった。
内装は明るい色調の家具で統一されており、もしかしたら、本当にペンションとして営業しているのかもしれないと、私は思った。
しばらくすると、再びユキさんが部屋に入ってきた。
「シラサギさんから大体の話は聞いたのかしら」ユキさんは、相変わらず抑揚の無い声でそう言った。
「私はユキと言います。魔法使いユキ。占いを得意としています」
なるほど、ユキさんの声がどことなく不思議な響きを持つ理由がわかった。これは、占いをするときの癖なのだろう。私も、人を占うときは少しばかり、高い声を出す癖があった。もっとも私の場合は占いと言っても、インチキだったわけだが。
「コノハと言います。コノハズクを略してコノハ。魔法の修行中で、使える魔法は二つだけ。師匠はフクロウと呼ばれています。助けていただいてありがとうございました」
「あれのこと、聞いてもいいかしら」
ユキさんは、テーブルの上のペンダントを指差して言った。
「あれって、妖精の石よね。違う?」
「妖精の石?」
私は聞き返した。このペンダントは以前は星見さんが持っていた。私が知っているのはそれだけだ。
「妖精の石。多分間違いないわ。あなたが撃ち落とされたのも、そのペンダントを持っていたからかもしれないわね」
その時、外で車が停車する音がした。さらにバタバタと慌ただしい足音がして、その後に、ドンドンドンとやかましく扉をノックする音が続いた。師匠の登場だ。ユキさんは少し笑って、扉を開けた。
「あの、いや、どうもすみません。じゃなくて、ありがとうございます。私は魔法使いフクロウ。変身の魔法使い。弟子は、弟子はどこですか」
いつもは限りなく冷静な師匠が、今は、激しく取り乱している。私は寝ていることが申し訳なくなって、ベットからおりた。起き上がると、まだ少しばかり目まいがすることに初めて気がついた。
「フクロウさん。冷静にね。コノハは無事よ」シラサギさんが笑いながら言った。シラサギさんを見つけた師匠は、そこで自分がどんなに取り乱していたかに気づいたようだった。
「師匠。すみませんでした」
客室を出ると、師匠と目があった。私が無事なのを見た師匠は、安心感からか、一瞬、膝から崩れ堕ちそうになったが、なんとか持ちこたえると、必死になって平常心を装って言った。
「まあ、その、なんだ。ちょっとばかり心配してしまった。無事でよかった。魔法使いユキに感謝するように」
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