第6話 次の魔法
その日も、午後になるとシラサギさんがやってきた。
「コノハ、こんにちは」
シラサギさんは、自分が付けた名前が却下されたことに何のこだわりも示さずに、私のことを、コノハと呼ぶようになっていた。
「次の魔法、決まったの?」
彼女は、ここへ来ると、いつも私にそう尋ねた。次の魔法。つまり、次に習得する魔法のことだ。言い方を変えれば、次に私の魔法の書に、何を書くか、ということだ。私はそれをなかなか決められずにいたのだった。
実は魔法の書には、いくつかのルールがある。その中の一つに、一つの魔法を書いたら、新しい魔法は三ヶ月間、追加できないというものがある。つまり、習得できる魔法は多くても一年に四つまで。しょうもない魔法を選んでしまったら、その後、三ヶ月の間は新しい魔法を追加できないのだ。
「フクロウさんはなんて言ってるの」
「おすすめは空を飛ぶ魔法だって」
「いいじゃない。例の、ほうきに乗って飛ぶやつよね」シラサギさんが嬉しそうに言った。
「そんなに簡単な話じゃないのよ」
そう、そんなに簡単な話ではなかった。師匠の魔法の書の中にある、空を飛ぶための魔法は一つだけだ。その名も、『空を飛ばせる魔法』。その魔法をかけられた物体は空を飛ぶようになる。
「いいじゃない。その魔法をほうきにかければいいのよね」
「師匠が言うにはね」
魔法をかけられたほうきは、ただ飛ぶだけだ。つまり、前へ進んだり、止まったり、意のままに操るには、そのための制御用の魔法と訓練が必要なのだそうだ。ちゃんとほうきに乗って飛べるようになるためには、一年くらいかかるらしい。
「確かに面倒ね」
「でしょう。他にいいものがないか、今検討中なの」
やがて、魔法使いの家に来てから、三回目となる、十三夜の月が輝く夜がやってきた。新しい魔法を追加できる時が、ついにきたのだ。
「で、新しい魔法は何にするんだい?」
師匠が尋ねた。
「やはり、『空を飛ばせる魔法』にします」
「よろしい。では、魔法を書き写しなさい」
私は慎重に、新しい魔法を自分の魔法の書に書き写した。ようやく全部書き終わった頃には、夜がしらじらと明けようとしていた。
「試してみるかい?」
師匠が一本の竹ぼうきをどこからか取り出した。私は、その竹ぼうきに向かって杖を振った。その瞬間、竹ぼうきは白い光に包まれ、ヒュッと言う風を切る音を残して空の彼方に飛び去ってしまった。
「まあ、こうなるわな」
「何処まで飛んで行ったのかしら」
「明るくなったら探してみるといいよ。多分近くに落ちているから。その距離が、君の魔法力の有効範囲ということになる」
その日の午後、シラサギさんが現れたので、二人でほうきを探すことにした。飛んで行った、大体の方向はわかっていた。その方向に百メートルくらい行ってみると、草むらの中に、竹ぼうきが刺さっていた。
「結構遠くまで飛んだわね」
シラサギさんは感心して言った。一方で私はため息をついた。ほうきを制御するための魔法を習得しなくてはならない。それは、また、三ヶ月後だ。
「私、思うんだけど」シラサギさんが突然言った。
「この魔法、自転車にかけたらどうなるのかしら」
「自転車がすっ飛んで行って、百メートルくらい離れたところで粉々になるんじゃないかしら」
「あなた、自転車、乗れるわよね」
「まあ、人並みには」
運動神経は多少一般人よりは劣るかもしれないが、自転車くらいは私でも乗れる。
「つまり、あなたは自転車を制御する能力は既に持っているってことよね」
シラサギさんの言いたいことがわかってきた。ほうきと違って、私は日常的に自転車に乗っている。つまり、自転車に魔法をかけた場合、もしかしたら、別の結果が現れるのではないかということだ。
「やってみたら?」シラサギさんが言った。
「ちょっと怖いわ」
その夜。そのことを師匠に聞いてみると、師匠も興味を持ったようだった。
「確かに、君たちの説には一理ある」
そう言うと、物置から古い自転車を出してきた。黒いマウンテンバイクで、数年前に大流行したタイプだ。確か、同じような形の自転車を高校生になった弟が持っていた。だいぶ埃をかぶっているが、試しにペダルを動かしてみるとチェーンが動き後輪が回った。
乗ってみた。ペダルを漕ぐと、油が足りないせいで、キーキーと耳障りな音を立てたが、とりあえずテストには問題なさそうだ。
「それでは」
私は、万が一自転車がすっ飛んで行っても影響がないように、家から百メートル以上離れた場所で、自転車に魔法をかけてみた。それはほうきの時と同じように白い光に包まれたが、今度は、飛びあがらずに、その場にとどまっていた。
「いいんじゃない」
シラサギさんが恐る恐る近づいてきた。
「乗って見せてよ」
慎重にゆっくりとペダルに足を乗せる。ゆっくりと走り出してみる。すると、私の体は、ふわっという、今までに味わったことのない浮遊感に包まれた。浮いている。五十センチほどだが、確かに私の体は自転車ごと浮いていた。そして、ペダルを漕ぐのをやめると、ゆっくりと地上に戻った。
「いいんじゃない」
シラサギさんの声が少し上ずっていた。
「師匠、これって大丈夫ってことでしょうか」
「うむ。君達といると、私も勉強になる。これは魔法の新しい一面を示している。つまり、これまでも、これからも、自転車は君の思う通りに動くことには変わりないのだ。ただ、新しく、空を飛ぶ能力が加わったに過ぎない」
いろいろと試すと、自転車は空を飛ぶアイテムとして十分に役に立つことがわかった。ペダルを漕ぐと、前に進むとともに浮き上がる。ペダルを速く漕ぐと、今まで通り速度も上がるが、同時に高度も上がる。漕ぐのをやめると、速度が落ちる、それとともに高度も下がり、やがて地上に着くと停車する。右へ曲がる時はハンドルを右へ、左へ曲がる時はハンドルを左へ切る。これは空中でも同じだ。ブレーキも同じ。空中で完全に速度をゼロに落としてしまった場合は、そこからは静かに下方への垂直移動に移る。なぜかはわからないが、急激に落下してけがをするような動きはしないようだ。
もちろんうまくできないこともある。まず、少しでもペダルを動かすと浮いてしまうため、地上を走ることはできなくなってしまった。これには、少しばかり慣れるのに時間がかかった。もう一つ、空中に浮いたまま停止ということはできないらしい。これは地上の自転車が停止すると倒れてしまうのと同じことのようだ。
空飛ぶ自転車により、私の行動範囲は劇的に広がった。子供の頃、初めて自転車に乗れるようになった日のことを思い出す。確か、小学校一年生くらいだっただろうか。ただ自転車に乗ることが楽しくて楽しくて、毎日近所の道という道を走り回った。今の私も、空を飛ぶのがただ楽しくて楽しくて毎日、適当に飛び回っていた。
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