第5話 魔法使いの名前
毎朝、八時になると、師匠は自分の自動車に乗ってどこかへ出かけていった。その前に朝食。それを作るのは私の仕事だった。メニューは大抵毎朝同じで、サラダ、ハムエッグとトースト、それとコーヒー。
コーヒーだけは師匠自らがこだわりを持って淹れた。そう言えば、星見さんもコーヒーについてはかなりうるさかったのを思い出す。魔法使いというのは、みんなコーヒーが好きなのだろうか。
サラダにかけるドレッシングは数種類の中からその日の気分によって選ぶことにしていた。時々、粉チーズを振りかけることもある。
「あのう、今更なんですが」
ある朝、食事をしながら、私は師匠に聞いてみた。
「師匠は、お名前はなんとおっしゃるんですか」
ここに来て、かれこれ一週間ほど経つが、私は、ずっと、師匠の名前を聞かずに過ごしてきた。呼ぶときは、師匠、もしくは魔法使いさんで良いから、知らなくても特に不便はなかった。しかし、やはり気にはなった。好奇心に負けたのだ。
「知りたいかい?」
師匠は言った。目が、いたずらをした子供のように笑っていた。
「知りたいです」
「フクロウ、と、呼ばれています」
「フクロウ。それが名前?」
そう言えば、シラサギさんは師匠のことをフクロウさんと呼んでいたっけ。
「まあ正確にはニックネームですが、とりあえず、それで行きましょう。君も、魔法使いに名乗る場合はニックネームを使った方がいい」
「そうなんですか」
「昔から、魔法使いは、本名を隠すものさ。おっと。時間だ。そろそろ行かなくては。そうだ。シラサギさんに名前をつけて貰えばいい。何しろ彼女はトリリンガルだからね。鳥だけに」
「と、言うわけなのよ」
午後になって、シラサギさんがやってきた。初めて出会ったあの日以来、彼女は毎日、天文台にきて、お茶を飲みながら私とお喋りをすることを日課としていた。私は早速、今朝のことをシラサギさんに話して、名前をつけてくれるようにお願いした。
「名前ねえ。例えばどんなのがいいの?」
「それを言っちゃったら、私が自分で名付けたみたいになっちゃうじゃない。シラサギさん、決めて」
「そうねえ。師匠がフクロウだから、やっぱり鳥の名前がいいのかしら」
名前はなかなか決まらなかった。
「シラサギさんに名前をお願いするのは辞めました」夕方遅くに帰ってきた魔法使いに、私は言った。
「どうして」
「シラサギさんにはセンスがないから」
シラサギさんは、たくさんの鳥の名前を知っていた。そして、その中から私のために、一つ、選んでくれた。
「アカショウビンがいいわ。真っ赤で綺麗な鳥よ。それに滅多にみられない珍しい鳥なの。どこにでもいる鳥よりもいいでしょ」
シラサギさんは嬉しそうにそう言った。
「アカショウビン」
私は、何回かその名前をつぶやいてみた。
「アカショウビン」
そして、他人が私のことをアカショウビンと呼ぶ光景を想像してみた。
「シラサギさん」
「なあに。アカショウビンさん」
「今回の話は、無かったことに」
「悪くないよ。アカショウビンさん」
無責任に、師匠はそう言った。顔がにやけている。私のことをからかっているのだ。
「いいえ。やっぱり師匠が考えていただけないでしょうか」
私はムッとして言った。どうしても、自分がアカショウビンと呼ばれている姿を想像することができない。と、いうより、想像したくない。
「鳥の名前から、ということでいいのかい」
一転して、真面目な顔をして、師匠が言った。
「はい」
「では、コノハはどうです。コノハズクを略してコノハ。私がフクロウだから、師弟関係も分かりやすい」
コノハ。いい名前だ。私は一発で気に入った。
「それでは、魔法使いコノハ。これからもよろしく」
「ありがとうございます」
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