第36話「術式解除」

「あ……あぁ…な、なつな」


 妹さんの名前を呟く井波さんの唇は震えていた。

 井波さんは、覚束ない足どりで部屋の中心部、妹さんが横になっているベッドに向かう。

 ベッドの横で腰を落とし妹さんの頬に恐る恐る手をあてる。


「よかった、温かい……」


 両目一杯に涙を溜めながら安堵する井波さんに俺はよかったねと心の中で思った。

 

 さてと、俺の仕事をしないとね。


 妹さんをよく見ると、常時発動型のアークの術式が妹さんの額の方に浮かんでいた。

昏睡アンコンシアンス】のアークだ。

 このアークは、対象者を一定の期間昏睡状態にするアークだ。

 対象者を昏睡状態にする事ができるなんて無敵なのでは?と思われがちだが、このアークは発動したからってすぐに対象者を昏睡状態にするわけではなく、ある程度時間を掛けて徐々に効かせるアークであるため戦闘には不向きだ。


「鷹刃君、夏菜は、夏菜の容態は……どうですか?」


 井波さんは、酷く不安そうな顔で俺に問う。


「妹さんは、アークによって眠らされているようだね」

「そ、それは、解除できるものなんですか?」

「うん、このまま放っておいても、後数週間くらいで自動解除されるよ」

「そうですか……数週間……」


 井波さんは、安堵と遺憾が混ざりあった、そんな複雑な表情になる。


「あッ、このまま放って置いた場合って意味だよ」

「えっ? と言いますと?」

「大丈夫、俺、解除できるから」

「そうなんですか!?」

「うん、少し時間はかかるけどね。少しいいかな」

「はい、よろしくお願いいたします!」


 井波さんを横に移動させ、妹さんの前に立つ。

 状態異常に掛ける方法があるなら、逆にそれを解除する方法もある。

 まぁ、術式が見える俺だから言える事だけどね。

 両手の人差し指を使い、まるでパズルで遊ぶように術式を解いていく。。


「ここをこうして……それで、これをこうして」


 結構、複雑だな。

 恐らく上級以上のマスターによって施行されたものだろうと考える。

 まぁ、時間はあるし、ゆっくり一つ一つ丁寧に対処していけば必ず解ける。


 ――10分後


 ピキッ


 術式に一線のヒビが入る。

 よし、あともう少し!

 

 ピキッ、ピキッ


 ラストスパートだ!

 俺の指が加速する!


 ピキッ、ピキッ、ピキッ、ピキキキキッーーパリ―ン!

 ガラスが砕ける様な音と主に昏睡の術式が解かれる。


「よし、解けた」

「本当ですか!? では、夏菜は!?」

「ただ眠っているだけだよ。アークの副作用があるからまだ目覚めないだけだと思う」

「良かった……鷹刃、本当になんてお礼を言えば……」

「お礼なんていいよ。それよりもここから出よう」

「そ、そうですね!」

「妹さんは俺に任せて」

「はい、お願いします」


 妹さんをお姫様だっこの様にして抱き上げる。

 妹さんの身体は羽の様に軽かった。

 それはそうか、五年間も寝ていたんだ。

 体中の筋肉もかなり落ちているだろうし、これは当分通常の生活は無理だな。

 少しずつリハビリをしないと歩く事さえもままならないだろう。

 それと平行して栄養のあるものを身体に入れないとか。


「あの……鷹刃君?」

「あッ、ごめん。少し考え事をしていた。じゃあ、行こうか」


 気配遮断を全員分かけ、何食わぬ顔で俺達は常世の楽園総本山を後にした。



 常世の楽園総本山を後にした俺達は、真っ直ぐフィフスステーションに向かった。

 井波さんと妹さんの当分の間の洋服類や生活用品を取りに行くために井波さんの自宅がある第五区画に行くためだ。

 なぜなら、井波さんの自宅は叔父であるアダムに割れている。

 そんな場所に二人を置いておくことも出来ないので、フォースステーションにあるホテルに一時避難する事にしたのだ。


 フィフスステーション直結の高層マンション。

 そこが井波さんの自宅だ。

 井波さんが荷物をまとめている間、俺はリビングのソファーに座り井波さんから出せれたリンゴジュースで喉を潤していた。


「お待たせしました」


 大きめのキャリーバッグを引きながら井波さんがリビングに出てくる。


「忘れ物ない?」

「はい、もしあったら現地調達します」

「うん、わかった。じゃあ、そのキャリーバッグ貸して」

「そんな、鷹刃君には夏菜を持ってもらっているのですからこれは私が運びます!」

「大丈夫、俺、収納箱持ちだから」


 ペットショップで買い物した時は、井波さんと別れるまで商品を手で持っていたから井波さんは俺が収納箱持ちとは知らない。

 

「鷹刃君って神様か何かじゃないんですか?」


 と呆れながら、井波さんはキャリーバッグを手渡して来る。


「それは絶対ないよ。だって、神様は死なないからね」

 

 キャリーバッグを収納バックに入れて井波さんの自宅を後にした。


 移動中にフォースステーションの目の前にあるビジネスホテルのツインベッドルーム予約する。

 リゾートホテルは第七区に固まっている。流石に常世の楽園の総本山がある第七区に泊まる訳にもいかないと思い念のための処置だ。

 ちなみに、未成年という事を考量して、トップ傭兵団に与えられる特権を使って予約した。

 これであれこれ詮索される事はないだろう。

 

 ホテルに到着した俺達は、まずは妹さんをベッドに寝かせてから収納箱に入っている井波さんのキャリーバッグを取り出した。


 部屋を見渡す。

 ビジネスホテルという事もあり大した広さはない。というより、狭い。

 

 今日の事を聞きつけたアダムは、出張を切り上げて戻ってくるはずだ。

 自分の教団の存亡が危ぶまれる事案だ出張なんて言ってる場合じゃなしね。

 つまり、早ければ明日以降血眼になってこの二人を探そうとするだろう。

 

 数日で決着はつくと俺は踏んでいる。

 だから、数日だけこの狭い部屋で頑張ってもらおう。

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