第32話「見てていい気分がしなかったからさ」

 放課後、今日の帰りが遅くなる旨を家族のグループトークに残し、井波さんと一緒に魔道列車で目的地である【常世の楽園】本部があるゼブンスステーションに向かう。


「ウミちゃんは元気ですか?」

「うん、まだ少し家族には警戒しているけどごはんもちゃんと食べれてるしね」


 子猫は生活環境の変化によるストレスでごはんが食べられなくなったり、お腹を下したりするって聞いたことがある。

 今のところウミからはそんな様子は見られないので元気な部類に入っていると考えても問題はないと思う。


「鷹刃君がウミちゃんを引き取ってくれて本当に良かったです。その……落ち着いたらいいのでウミちゃんと」


「うん、もちろん。この件が一段落したら妹さんと一緒に可愛がってあげて」

「はいっ!」

 

 ここ数日、井波さんは本当に良く笑う。

 初めて井波さんと会った時とはまるで別人だが、完全に井波さんの笑顔を取り戻した訳ではない。

 その実、井波さんは何か思いつめた様な表情を度々見せている。

 彼女の妹を取り戻し、叔父である伝道師アダムと関わる事が無くなって初めて、井波さんは本当の笑顔を取り戻せるんだと思う。


「井波さんは妹さんと仲は良かったの?」

「夏菜とですか?」

「うん」

「そうですね……夏菜は凄くしっかりしていて逆に夏菜が姉で私が妹な感じで」

「へぇ、井波さんしっかりしてそうだけどね」

「違うんです。家族が健在だった頃は私ったら本当に甘えん坊で……一人になって、妹もあんな状態ですのでしっかりしないとって」


 家族を失ってから5年。

 井波さんが変わるには十分すぎる時間だったという事か。


「妹は、頭が凄く良くて。まだ小学生だったのですが第二高校に飛び級ではいったんですよ!」


 第二高校は研究者のスペシャリストを育成する高校だ。

 そんなところに小学生で入学できたという事はかなり優秀なんだろう。


「凄いね。小学生なのに」

「そうなんです! 夏菜は私の自慢の妹で……本当に自慢で……だけど、こんな事に」

 

 悲痛な表情を浮かべる井波さんを見て、妹さんをどれだけ好いているのかが伝わる。


「大丈夫。君と妹さんの日常は俺が必ず取り戻すから」

「……はい」


 魔導列車が第7区に入っていく。

 昨夜の事もあり夜の第7区の風景を知っているからか、今、俺の目に写る繁華街に少し物足りなさを感じてしまう。

 それほどまでこの街の夜は印象的だった。


 ゼブンススステーションに到着すると刃威餌亡の溜まり場がある東口に出る。


 西口とは違い、浮浪者の姿が一つもない。


 うん? あれは?


 真黒なワンピースを着た水商売風の女の人と中年の男が腕を組んで歩いている。


 ここは、繁華街なんだそういったお店も沢山あるだろう。普段であれば特段と気にする事ないのだが、その女の人がクラスメイトであれば気になるのは当然の事だろう。 


 学級委員長の三宅さん……あッ、目があった。


 三宅さんは驚いた表情で顔を反らし、男の腕を引っ張る様にしてその場から立ち去った。


「鷹刃君、どうかしたんですか?」


「いや、なんでもないよ」


 何も情報がないんだ、井波さんに言う事ではないだろう。


 刃威餌亡の溜まり場とは反対方面、この区画の中心部分へと向かうこと5分弱。


 ここですと立ち止まった場所には、ガラス張りの鉄筋コンクリート造りのビルが建っており、エントランスの手前の大理石製の石碑には【常世の楽園総本山】と彫られていた。

 

「はぁ……今日もなんですね」


 そろそろ気配遮断のアークを使おうと井波さんに一声掛けようとすると、井波さんはエントランス方面を見てうんざりした表情で溜息をもらしていた。


 エントランスの手前で何か揉めてるようだ。

 少し近づいてみる。


「お願いします! どうか! 私に【糧】を!」

「【糧】が欲しかったら、それ相応の献金を持ってきてください」

「もう、お金がないんです! 家に金目になるものがないんです! 家も担保に入れてしまって、もう借りる事もできないんです! 明日息子の手術があるんです! 手術の成功のためには糧が必要なんです! 数日だけ待っていただければお金は作りますから! 何卒! 糧を!」


 女の人が、エントランス前に立っている黒いスーツ姿の男の足に縋りながら必死に叫んでいた。


「ええい! 鬱陶しい!」

「ぎゃッ」


 スーツ姿の男が煩わしいそうに足を振ると女の人が数メートル後ろに倒れる。

 スーツ姿の男は倒れた女性の髪を乱暴に持ち上げ顔を近づける。


「金がねぇならてめぇの臓器でも売って作ればいいだろうがッ! これ以上面倒掛けるなら除名にすっぞごらぁ」

「じょ、除名だけは、な、何卒!」

「だったら――グアッ!」


 スーツ姿の男を殴り飛ばす。

 

「鷹刃、くん?」

「あぁ、ごめん。見てていい気分がしなかったからさ」

「いえ、ありがとうございます。スッキリしました。あの、大丈夫ですか?」

「……大丈夫、じゃないです。糧がないと……息子の手術が……あの、お金、お金を貸してもらえないでしょうか? 絶対返しますので」


 俺達みたいな学生に……この女の人はかなり切羽詰まっているのだろう。


「悪いけど、お金は貸せない」

「……そうですよね……すみません、学生さんに私……ありがとうございました……」


「あッ、ちょっと待って」


 俺達に深く頭を下げこの場から立ち去ろうとする女の人を引き留める。


「なんですか……私、お金を作らないといけない……ので、早く行かないと」

「息子さん、重い病気なの?」

「……はい、心臓の病なんです……まだ、五歳なのに……うぅ……ッ」

「鷹刃君……どうにかしてあげられないでしょうか? この方のラッキーホルダーに私の力を使って糧を注入する事は可能です。だけど、そんな事で息子さんが助かるとは到底思えません」


 確かに、ラッキーホルダーを持つ事で心の安寧を持つ事はできるだろう。

 だからと言って、息子さんが100パーセント助かるという確証はない。


「ねぇ、俺と約束してもらえないかな」

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