【推し活】あたしの推しは、この後死ぬことになっている。

にけ❤️nilce

第1話 あたしの推しは、この後死ぬことになっている

 あたしの推しは、この後死ぬことになっている。

 それも酷い死にかたで。

 仕方がないよね。彼は信頼を裏切り、仲間を陥れた。怯えた猫のように全方位に牙を剥き、たくさんの人を殺した。

 さらに酷いのは、悪いのは俺じゃない、こんなこと本当はしたくなかったのになどと被害者ぶったことだ。

 客席の誰からも破滅を望まれた、救いようもなくみっともないヒール。それがあたしの推しだった。



 あんな最低なやつの、どこがいいの? と決まって聞かれた。

 あたしは、最低だからだよと答える。

 物語の最後で、最凶の裏切り者として死んでいく推しは、もともとひ弱で人を信じやすい純真な子供だった。わずかばかり知恵が回り、でも本質的には視野の狭い、大胆なことなどできそうもない臆病な子供。期待していると言われれば舞い上がり、軽く扱われているとも気付かずに従順に尽くす、疑うことを知らない扱いやすい人間。

 きっと推しは純真で、自分を利用してやろうと考える人間がいるなどと思い浮かべることもなかったのだ。必ず人の役に立つと言われ、正しい行いをしていたつもりが、気づけば大切な家族を破滅に追い込む悪業の一端を握っていた。


 自分を窮地に陥れた相手とは夢にも思わず、父は長兄の推しに苦しい心中を打ち明けた。頭を抱える父の姿を前に、初めて自らの行いの意味を知った推しは、真実から目を背け、ただただ不遇な運命を呪った。そんなはずじゃなかった。そんなつもりじゃなかったのだと。

 推しは何食わぬ顔をして、父の代わりに家族を守ると約束した。

 震える弟妹を抱き寄せ、これからは兄弟力を合わせて生きていこう、などと口にしながら、耐え難い罪悪感に打ちのめされる。

 父が死地へ赴いたその時も、推しの心を占領していたのは死にゆく憐れな父ではなく、自分のことばかりだった。どうしてこんなことに。俺のせいじゃない。俺が殺したんじゃない。

 心のうちで言い訳するたびに推しは歪んだ。純粋に悲しみに暮れることができる弟妹を羨んだ。助けて、助けてお父さん。いくら祈っても私を置いて行ってしまう父が憎い。家族とはもう、心を重ねることができない。取り返しがつかない。推しは、自分で父を殺しておきながら、全ての原因を父に求め、自らを憐れんでいた。


 推しは慰めを求めた。自分を慕う家族の目には耐えられない。

 自分が純真であったことを理解しているのは、推しを唆した相手だけだった。最初はただ、力ある憧れの人の目に映りたかった。目をかけてもらえるだけの功績が欲しかった。期待に応え、認められたかった。それだけだった幼く純真な推しの罪を、みんな知って抱えてくれる。こんなに安堵する場所があるだろうか。自分を利用し、この事態を招き寄せた相手と共に過ごすほうが、家族といるよりよほど居心地が良かった。推しは家を出た。

 騙され父を失った推しは、父の代わりを強く求めていた。大人になろうと背伸びする子供の心は脆い。推しは自分を誤魔化し、父を死に追いやった人の真実の姿をから目を逸らした。俺は悪くない。父が間抜けだったのだ。そう自己を正当化し、目の前の強い相手に迎合した。

 父への罪悪感という重石を抱え、推しの心はじわじわとたわめられる。真実から目を逸らしたままでは、人は成長することはできない。

 あたしは推しだけがこの物語で唯一、あたしと同じ人間だと思った。



 大人になった推しは、父代わりの男に望まれるがまま敵地に潜伏した。自分は間違ってないと、信じていた。いや。どこかでおかしいとわかっていたはずなのに、気付かぬふりをしていたんだ。期待に応えたかった。

 敵地で推しは息をするように嘘を吐いた。素性を隠し、良き人を演じて、人々の信頼を得た。そこはのどかな土地で、住人は人を信じやすい純真な人間ばかりだった。子どもだった頃の推しと同じくらいには。

 温かな暮らし。信頼できる仲間。惜しみなく愛をくれる恋人。推しはそこで結婚し、子供までこさえた。

 子どもは、やや引っ込み思案で、それでいて大人の注目を求めていて、役に立ちたいと張り切っている、幼いころの自分によく似た男の子だった。

 彼を前に推しは何を思っただろう。


 あたしの推しは、この後死ぬことになっている。

 潜伏したのは、かつて父を殺した時のように、この地の人間を陥れ奪うことが目的だったからだ。推しは父代わりの男の命に従い、計画を遂行する。

 良き人たちを裏切って、自分を利用する人間に付くのはなぜなんだ。苦しかった過去を再現してしまうのはどうしてなのか。苦しくてあたしは泣いた。推しを慕い愛している人は、すぐそばに居るのに。

 あたしは推しが思い留まることを願った。

 けれど推しは、大切にしてくれた人に刃を向けた。愛をくれた妻を殺した。お父さん、嘘だと言ってと迫る息子を刺した。あげく、みんなお前らのせいだ、俺は悪くない、こんなことはしたくなかったのにと叫んで。

 父の死んだあの日に凍りついた、子供の心のままで。


 こんなのずるい。

 推し、死ぬなよ。

 目を覚ませよ。

 認め難き人生の過ちを見つめろ。

 大切な人たちを犠牲にする過ちを繰り返すな。

 愛を、踏み躙るな。

 いくら願っても結末は変わらない。

 推しは物語の最後で、最凶の裏切り者として死んでいく。

 こんなの許せない。チャンスはいくらでもあったはずなのに。

 必要なのは、真実を見つめる勇気だけ。


 最低の推しは、あたしにあたしの現実と向き合う勇気をくれた。

 嘘つきだったあたしの、本当の声を引き出してくれた。

 目を覚まさせてくれた。

 人生を変えてくれた。


 だからあたしは、推し活をやめない。

 誰かあたしと共に愚かな推しのために、幸福な未来を描き直してみませんか。

 そうして自分自身の過去を見つめ、もう一度歩み直す勇気を手にした人がいたなら、あたしは、すごく嬉しい。

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