彼女の推し活 【KAC2022】-②

久浩香

彼女の推し活

 恵美押勝えみのおしかつ


 改名前は、藤原仲麻呂ふじはらのなかまろという。

 大化の改新を、天智てんじ天皇と共に成した菅原鎌足なかとみのかまたりの子供である藤原不比等ふじはらのふひとの孫にして、不比等の長男で、藤原南家の源流である藤原武智麻呂ふじはらのむちまろの次男である。

 天武朝の時代、彼の父を始めとする不比等を父とする、政権を担っていた藤原四兄弟が、天然痘を患い、相次いで亡くなったものの、時の天皇であった聖武しょうむ天皇は、彼の従兄弟にあたり、聖武天皇の皇后の光明こうみょう皇后もまた、彼の叔母であった事と、その時には、従五位下の位を持っていたという事で、どうにか貴族として踏みとどまっていた。


 その後は、順調に位階を上げて出世し、光明皇后の後ろ盾や、皇太子の地位を盤石にした、後に孝謙こうけん天皇となる阿倍内親王あべないしんのうの信頼を得て、孝謙天皇の即位と共に、大納言となる。

 未婚の女帝である孝謙天皇の皇太子となった淳仁じゅんにん天皇に至っては、彼が天皇に押し上げたようなもので、彼は祖父の不比等でさえ成し得なかった、皇族以外で初めての太政大臣に就任した。


 ★


 とあるド田舎の片隅で、浩香ひろかは、1DKの6畳の和室において、炬燵の上に置いたノートパソコンでインターネットとエクセルを駆使しながら、

「でへへへへっ」

 と、幸せそうに笑っていた。


 彼女が何をしているかというと、インターネットで歴史上の人物を検索し、その人物達が、いつ、何をしたかというのを、年表にしてエクセルに入力していた。

 端から見れば、変な笑い声をあげてこそいるが、(歴史のお勉強をしているのかな?)と、思われるかもしれないが、これは彼女の”推し活”だ。


 "推し"とは、神である。

 その神が、どれほど尊大で、我儘で、傍若無人であっても、ただそこに居るだけで尊い。そういう存在だ。

 逆を言えば、問答無用で組み伏せてきて、こちらが崇め奉らざるを得ないと思わせる魅力を内在しているからこそ、神なのだ。


 その者の持つ抗い難い何かを、後世に語り継がれる程の魅力を内包する綺羅星の如き歴史上の人物を、浩香が”推し”たとしても、何の不思議も無い。


 ただ、彼女の場合、対象者や、その周辺の人物の生涯を調べ、明らかな事実として認識されている事柄の行間という影で、歴史的事実に抵触せぬようにコソコソと、彼女の想像の中で行動を起こさせて構築した虚像の”推し”に萌えていた。


 今、彼女の"推し"となって、被害に遭っているのは、恵美押勝えみのおしかつである。元々の彼は、同じく彼女の”推し”であった弓削道鏡ゆげのどうきょうの妄想を逞しくする為の道具──"流れ弾"であった。


 その彼が何故、”推し”になったのかというと、彼が、聖武天皇の今際の際に遺詔ゆいしょうにより皇太子となった道祖王ふなどおうを廃太子し、後に淳仁天皇として即位する大炊王おおいおうを皇太子にした事である。


 道祖王と大炊王とでは、道祖王の方が藤原氏との関わりが深い。

 道祖王の祖母の五百重娘いおえのいらつめは、藤原四兄弟の内の一人、藤原麻呂まろの母親である。とはいっても、この時には、そうなるに至った経緯を知る者は、もういなかったであろうから、「それがどうした?」と言ってしまえば、そうなのだが、麻呂の娘の藤原百能ふじはらのももよしは、押勝の兄で、当時右大臣であった藤原豊成とよなりの妻である。同じ従二位の位階だとはいえ、押勝は大納言であった。そのまま道祖王が、皇太子から天皇になってしまうと、豊成は、妻の従姉弟という繋がりも持ち出して、彼の地位は更に盤石となり、押勝は頭打ちになってしまっていた事だろう。


 そこで、大炊王の出番である。

 かといって、大炊王と藤原氏は何の繋がりもない。

 彼の母親は、当麻山背たいまのやましろというが、彼の外祖父の当麻老で解っている事といえば、従五位上の位階であったというだけである。それだから、尚、都合が良かったといえる。直接の外戚を無視できるのだ。

 押勝は、大炊王を手の内に納める為に、女を使った。それが、自分の娘であるというのならば、語弊はあるが、よくある話だ。

 彼が使った女は、自分の亡くなった長男の未亡人の粟田諸姉あわたのもろねであった。


「ちょっと待って! 嘘でしょおおおおおっ!」

 浩香は、それを読んだ時、パソコンに向かって奇声をあげた。非難の叫びではない。彼のエゴイストっぷりを称える感嘆であった。


 それから、”流れ弾”であった恵美押勝は、浩香の中で、”要注目”から”標的”、”御贔屓”と順調に肥大する妄想の餌食にされ、ついに”推し”へと抜擢されたのである。



「そうだよねぇ。考えてみれば、道鏡って巨根だったんだから、初めてでそれだと、気持ちいいより何より、『裂けるわ!ボケ!串刺しにして殺す気か!』ってキレるよね」


 彼女の”推し”である恵美押勝は、孝謙こうけん天皇の初体験の相手である。

 というのも、東大寺の大仏開眼供養会の儀式の後、天皇は内裏ではなく、押勝の私邸である田村第に向かい、しばらく滞在していたそうだ。

 その時には既に、何度か関係を持っていたのか、この時が初めてであったのかの妄想は固まっていないが、孝謙天皇を悦ばせていたのだろう。


 粟田諸姉もそうだ。彼の長男が生きている間から睦んでいたかは解らない。だが、大炊王を陥落するのに彼女を使ったのは、それをできる手腕が彼女には備わっているという信頼と、自分を裏切らないという確信がないと任せられないからだ。


恵美押勝は、孝謙天皇にベタ惚れされていたに違いない。

恵美押勝という姓と名は淳仁天皇が即位した際、賜与しよなさったそうだが、押勝という名前はともかく、恵美の姓は、孝謙天皇がつけられたのではないか、と睨む。


孝謙天皇の心が少女のままであったのか、少女趣味であったのかは解らないが、彼女は、自分に敵対してきた相手に対し、『久奈多夫禮くなたぶれ(愚か者)』だの『志計志麻呂しけしまろ(穢い)』だの、直接的な悪口を名前につけている。

なので、気に入った特別な相手には、自分の物の証の名を贈りたいとも思ったのではないか。そして、”自分に美しい恵を与えた者”という意味が隠れていたかどうかまでは解らないが、"笑み”の意味はあったのだと思う。


そのまま、孝謙天皇が弓削道鏡との運命の出会いがなければ、押勝と孝謙天皇の蜜月は続き、淳仁天皇がメロメロになっている粟田諸姉に手引きをさせ、彼の娘で、大層な美女であったという従五位上に叙位した藤原東子とうしを皇后に据える事まで見据えていたかもしれない。


「うっひょっひょっひょっひょ。ああ、いかん。涎が…」

と、浩香は口の中に溜まる生唾が溢れてしまったかのように、唇を手の甲で拭う。


彼女の脳内で、“推し活”は続く。

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