推し活が行き過ぎて推しのカツを食べることになった
武州人也
私の推しはおいしい
口に入れたカツを咀嚼すると、しゃおっという音を立てた。揚がったパン粉の衣が破れて、溢れ出した脂が口いっぱいに広がる。脂身は苦手なのに、取り分けるのを忘れてそのまま揚げてしまった。
でも、決してまずいなんてことはない。だって、これは私の推しなのだから。
***
同じクラスであるというだけでなく、新聞委員でも一緒だった。学級新聞づくりを一緒に取り組んでいるうちに、自然と彼の横顔に惹かれていった。長いまつ毛と高い鼻がちらと見えると、私の心臓はおのずと鼓動を速めてしまう。そして「
そんな彼は女子たちの間で稀代のイケメンというような扱いを受けていて、暗に「抜け駆け許さぬ」という空気が女子の間で形成されていた。そのため、私も彼に想いを伝えられなかったし、彼自身にも浮いた噂一つないまま中学卒業を迎えた。
高校に入学してしばらく後、帰宅して私に、お母さんが話しかけてきた。
「ねぇねぇ早苗、中学一年のときにクラス一緒だった藤田昌也くんって覚えてる?」
「え、どうしたの?」
「これ見て、あの子ヂュノンボーイ・コンテストでファイナリストだって」
「どれどれ見して」
母親に見せてもらった婦人向けの芸能雑誌には、確かに彼が写っていた。この雑誌社が開催している美男子コンテストで、彼は最も優れた十人の中に選出されたのだという。
写真の中の彼は、前にも増して色っぽかった。さんざん見慣れていたはずの彼が、今はもう別世界の人のように見えてしまう。
「確かに中学生のころからいい顔してたよねぇ彼」
「ああ、確かにね……」
高校に上がって、彼のことは忘れかけていた。けれども母の見せてくれた雑誌の中の彼が、再び私の心に火を灯した。
そんな彼が特撮番組の主役に決まったのは、それから少し後のことだった。特撮出身の俳優が業界で露骨な差別を受けていたのははるか昔の話であり、今となっては日曜朝の特撮番組が若手の登竜門として見なされている。彼の芸能活動が、本格的に動き出したのだ。
その時期から、私の推し活は始まった。私の高校ではバイトが許されていたので、私は自転車で十分ほどの場所にあるスーパーでアルバイトを始め、稼いだお金を全て推し活に使った。写真集は保存用、閲覧用、貸出用の三つは買ったし、彼の載っている雑誌類は全て購入した。もちろん、彼が主役を務める例の特撮番組は全話録画してDVDに焼いたし、後日発売されたブルーレイBOXも買った。何だか、平和のために戦う彼を影ながら応援している気分になれて、この頃が一番楽しかった。
私はSNSでは彼のファンたちと繋がって交流をもった。けれども中学生時代の思い出を語るうちに、私は他のファンから「ホラ吹き女」などと呼ばれるようになってしまった。そのため私はアカウントを作り直し、リアルで顔を知っている相手だけをフォローして鍵をかけた。私自身、彼との思い出をつづっていると、どこまでが本当でどこからが妄想なのか、その境界線が曖昧になっているのは何となく自覚していた。私自身、自分の思い出のどこまでが実際の出来事なのか、自身が持てなかったのだ。
そんな彼の熱愛報道が界隈をざわめかせたのは、初主演から三年後、私が故郷を離れて大学生生活を送っている時のことだった。恋愛漫画を原作とする映画の主役に抜擢されたばかりの時期に、週刊誌がすっぱ抜いたのだ。
売り出し中の熱愛報道がファンを如何に動揺させたかは想像に難くない。驚き、怒り、落胆、戸惑い……ファンの反応は、まるで「最後の晩餐」における十二使徒の反応のようだった。
一般人女性との熱愛報道……嘘だと思いたかった。その辺の女が彼を射止められるのなら、中学生のころに意を決して思いを打ち明ければよかった。それでYesをもらえなければ、潔く敗北を認められたかも知れない。でも私は結局、勝負の土俵に上がることさえしなかった。それが何とも悔しかった。
彼が未だに実家で暮らしていることを知っている私は、彼に直接問いただすことを決めた。夏休みで実家に帰っていた私は、蒸し暑いのもこらえて彼の自宅近くの児童公園で待ち伏せた。
彼は夜遅く、日付が変わるか否かの頃合いで姿を現した。私はすかさず、彼の前に飛び出した。
間近で見る彼は、テレビや雑誌で見る彼とも、リアルイベントで見る彼ともまた違って見えた。
「久しぶり、藤田くん。私のこと覚えてる?」
「……もしかして、乙黒さん?」
よかった。私のことを覚えていてくれたんだ。私は胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。
大阪のリアルイベントで彼を見た時、壇上の彼はもうすっかり雲上人になっていた。一緒に学級新聞を作っていた頃の彼とは、もう違うのだろう。そんな寂寥の感に苛まれたものだったけれど、「私のことをしっかり記憶していてくれた」という事実が、彼を私の側まで下ろしてくれた。
「ねぇ、彼女がいるって本当なの?」
櫻田……いや藤田くんは、答えなかった。二人の間には沈黙が流れ、虫の音だけが耳を煩わせている。私の心臓は、今までにないぐらい早鐘を打っていた。
しばらくして、彼は重々しく口を開いた。
「……実はさ、俺俳優やめようと思ってるんだ。それで……」
彼がそこから何を言ったかは、よく覚えていない。気がつくと彼は倒れていて、その頭からは血が流れていた。背後の電柱に、彼のものと思しき血がべっとりついていた。
私は彼の体を引きずって親の車に乗せると、そのまま実家を通りすぎて、私が一人暮らしをしているアパートまで運び込んでいた。彼は細身で背もあまり高くないが、やはり男性の体というだけあって重かった。部屋が二階以上にあったらきっと運べなかったと思う。その後で実家に車を返しに行くと、とんぼ返りのように荷物をまとめてアパートに戻ってきた。
そうして今、冷蔵庫には切り分けられた彼がいて、私はその一部を口に運んでいる。
私が食べ終わるのが先か、それとも警察が来るのが先か……あんな衝動的な犯行で、日本の警察の目をごまかせるはずもない。
――そのときには潔く死のう。
ちらと窓の外を見やると、白と黒の車……パトカーが停まっていた。もう、尻尾をつかまれたのか。
この食事が、私の最後の推しカツ……推し活だ。
推し活が行き過ぎて推しのカツを食べることになった 武州人也 @hagachi-hm
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