二〇四三年

畑中雷造の小説畑

二〇四三年

「やっぱこの学校の学食ってうまいよな」


 本日の限定メニューと書かれた食券を眺めながら、中野勇人は笑顔で焼き豚チャーハンを口に頬張った。


「うん。試験の次の日の限定メニューは、特においしいよね」


 笑顔を返したのは、勇人の幼馴染の菊田優介。二人が通うのは、札幌人源高校という、公務員育成高校だった。


「でも、勇人のお父さんの料理も負けてないよ」


「まあな! 俺の父さんは仕事も家事もなんでもこなす、スーパーな父さんだからな!」


 勇人の父親は公務員として働きながら、男手一つで息子を育て上げた。勇人の自慢の父親だった。


 昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。トレーを下げた二人は、一年F組の教室に入っていく。


 五時間目は近代日本史の授業だった。この高校では珍しく、校長も教鞭を執っている。校長と言っても、まだ四十代の若々しい人物だ。


「今から二十年前の二〇二三年に、地球で大規模な異常気象が起こりました。嵐や豪雨、落雷、地震、干ばつ、津波、噴火。そういった災害が一気にその年に集中しました。その為、空気や海は汚れ、大地は枯れ果ててしまいます。作物は育たず、家畜も病気で死んでしまったため、全人類が食料難に陥りました。当然外国から食料を輸入することもできなくなったので、日本人はバタバタと何万人規模で餓死していきます。ですが日本は、その後短い期間で食料不足を解消しました」


 校長は学生たちに目を向ける。「どうやって日本は、食糧問題を解決したのでしたか?」教室後方に座る勇人が当てられた。


「農業学校をたくさん作った?」


「正解です。日本が行ったのは、農業学校の量産です。第一次産業に従事する労働者が少なかったため、国はそこに投資したのです。このままではいけない、そう思った国民たちが結束し、農業や畜産業を一から学びました。やがて日本は食糧自給率をほぼ百パーセントにまで押し上げることに成功したのです」


 校長の話を聞きながら、勇人はタブレットのページをスライドさせた。その内の一文を目で追う。


『その頃の日本は、何より食料を作ることが優先された為、学問に勤しむ余裕がなかった』


 父さんも言っていた。一昔前では大学というものがあったし、卒業したら会社というものがあったとか。今では機械化が進んだおかげで、人がする仕事はほとんど無いんだけど。


 何より今は、勉強を頑張ってさえいれば高校を卒業できる。高校を卒業したら自動的に公務員になれるし。ただ、食料を作る人材はまだ必要らしいので、高校の試験に落ちてしまった人は、農業学校に転校させられてしまう。


 斜め前を見て勇人は思い出す。昨日もクラスメイトが一人転校した。


 でもまあ、俺はこいつさえ一緒にいられれば十分だ。勇人は隣で眠そうにしている優介を見た。と、その時、


「はい、ではこれから抜き打ちテストを行います」


 校長が突然試験を始めると言い出した。


 クラス全体が驚きや戸惑いの声で沸いた。昨日も小テストがあったが、それは事前に予告されていた。予告なしの試験は初めてだった。


「先生、このテストって、落ちたら転校させられる試験ですか」


 勇人は挙手して聞いた。


「もちろんそうですよ。この学校で行われる試験は例外なく、落第すれば即転校です」


 校長が手元のタブレット上で指を動かした。すると、全員のタブレットにいくつかの問題が提示された。


「始め」


 ――ニ十分が経過したところで、試験は終わりを迎えた。採点は自動的に、数秒で行われた。


 各自自分のタブレットに抜き打ちテストの結果が表示された。勇人は自分が六十点だったことを確認し安心した。


「どうだった?」


 横に体を向けて優介に聞いてみた。だが、


「――っ」


「お前、まさか……!?」


 青ざめて目を見開いている優介を見て、勇人は彼のタブレットを覗き込んだ。そこには赤字で、二十九と表示されていた。


「それでは、転校者を発表します。出席番号七番、菊田優介。……以上です。速やかに荷物をまとめて、職員室に来るように。これで授業を終わります」


 校長が出て行くと同時に、終わりを告げるチャイムが鳴った。


 茫然自失となった親友に、勇人はなんと声をかければいいのか分からなかった。


 だが落第者が農業学校に転校することは法律で決まっていることであり、それを覆すことはできない。


 優介とは小さいころからずっと一緒だった。一緒に高校を卒業して、立派な公務員になろうって誓ったのに。


 そんな思いを口に出せないでいる勇人に、帰り支度を済ませた優介は悲しそうな笑みで言った。


「ごめん、勇人……」


 肩を落とす優介。その様子を見た勇人は、無理やり笑顔を作って親友を励ました。


「いいんだ。まあ、離れるのは寂しいけど、別に放課後とか休日とか、いつでも会えるって! 気にすんな! それより、農業学校でも、頑張れよ!」


 その晩、勇人は優介にメールを送った。いつもならすぐに返信が来るのに、今日は来ない。それも当然か。学校であれなら、家ではもっと落ち込んでいるだろうからな。




 翌朝になっても、返信はなかった。心配になって電話をかけてみたが、コール音が空しく響くだけだった。


 教室では、隣の席など最初から無かったかのように椅子も机も撤去されている。勇人は独り寂しく授業を受けた。


 昼になり、いつものように学食に行った。今日はカツ丼か。試験の次の日はいつもより豪華なメニューで嬉しいはずなのに、優介と一緒じゃないからか、それほど美味しくない。


 未だ優介からの返事がないため、勇人は自宅にも電話を入れてみた。普段なら日中でも優介の母親は家にいるはずなのだが、出なかった。


 心配になった勇人は放課後、自宅に行ってみることにした。


 小綺麗なマンション。勇人はエレベーターで五階に向かった。ほぼ毎日遊んでいたので、慣れ親しんだ場所だ。菊田と書かれた表札の前で、チャイムを鳴らした。……反応がない。


 優介の母親は専業主婦だ。いつもなら夕食の支度をしているはずなんだが。


 まあいい、優介か、おばさんかおじさんが帰ってくるまで待つことにしよう。勇人は鞄を玄関前に置き、夕陽が暮れるのを眺め続けた。


 一時間、二時間待って、勇人はおかしい、と感じ始めた。スマホを見ると、時刻は七時半を過ぎたところだった。


 その時、スマホが振動した。『父さん』と表示されている。


「勇人、今日は遅くなるのか」


「あ、うん、遅くなる。父さんに言うの忘れてた、ごめん」


「どうした? なにかあったのか?」


「うん。昨日優介が転校することになったってのは言ったよね」


「ああ」


「それは仕方のないことなんだけど、俺、元気無いあいつを励ましてやりたくて。それで、メールとか電話もしたんだけど、なんでか返事がなかったんだ。それで心配で家まで来たんだけど、家族の誰も帰ってこないんだ」


「それはちょっと変だな」


 勇人は自分の直感で、何か得体のしれないことが起こっている気がしていた。連絡がつかなくて、家ももぬけの殻。引っ越したにしては早すぎるし。


「父さん、俺、今日はもう少し粘ってみる」


「わかった。友達を大事にしろって教えたのは父さんだったな。どんなに遅くても十二時までには帰って来いよ」


 通話を終えた勇人は、早速周囲の人に話を聞くべく、チャイムを鳴らして回った。隣の部屋のおばさんがドアを開けて応じてくれた。


 おばさんの話では、昨日まではいつもと変わらなかったらしい。しかし今朝は、妙に静かだったという。ドアの開閉音や、生活音が聞こえることも無かったらしい。


 勇人はその後も同じマンションの住人や、優介の家族がよく買い物をしていたスーパーに行き、菊田一家のことを聞いた。だが、皆口をそろえて今日は見ていない、と言う。


「やっぱりなにかあったんだ。でも、どこに行ったんだ?」


 額から滴る汗をぬぐいながら、勇人はスマホに視線を落とした。もう十一時半だ、帰らなきゃ。




 家の前に着くと、まだ明かりがついていた。靴を脱ぎ、リビングに向かう。


「父さん、まだ起きてたんだ」


「ああ、おかえり。その様子だと、優介君は見つからなかったのか」


「うん、優介をよく知ってそうな人たちに聞いてまわったけど、だめだったよ」


 勇人の父は気落ちした様子で、そうか、と言った。


 父が温めてくれた豚肉の野菜炒めを食べ終わると、勇人はすぐに自分の部屋に行った。ベッドに腰掛ける。


 昨日のうちに優介は農業学校の近くに引っ越したのか? いや、優介だけならできそうだけど、家族全員は無理じゃないか? 引っ越し業者が来れば周りの住人は気づくはずだし。メールや電話に出ないのも、気になる。やっぱり、何かあったとしか考えられない。


「そうだ、農業学校に電話してみよう」


 スマホの検索バーに、優介が転校した農業学校の名前を入れようとした。その時気づいた。あれ? 俺、学校の名前知らないや。




 次の日、早起きした勇人はいつもより早く家を出た。教職員の駐車場で、校長が来るのを待った。しばらくすると、光沢のある黒い外車が静かに走ってきた。


 校長が降りるなり、勇人は勢いよく走っていった。


「校長先生、優介が転校した農業学校の名前、教えてください!」


 校長は驚いた表情で言った。


「農業学校の名前? ああ、君は優介君の友達でしたか。ですが、それは個人情報。例え友人でも教えてはならない決まりになってるんですよ」


「決まりって何ですか! あいつとは、転校が決まった日から一切連絡が取れなくなったんですよ! 家に行っても誰もいないし! おかしいと思いませんか! とにかく優介の行き先が知りたいんです、教えてください!」


「無理なものは無理です。諦めなさい」


 校長は勇人の想いなど全く気にも留めなかった。


「くそっ!」


 その日は学校を休むことにした。他の生徒が通学する中、勇人は一人自宅に帰った。


 スマホで、農業学校について調べ始めた。検索結果が画面に表示される。札幌近郊だけでも、五十近くもある。父さんが言ってたな。二〇二三年の大災害以来、札幌の近くにも農業学校が急増したって。


 窓の外を眺めると、まだ低い位置に太陽が見えた。札幌だけなら、今からでも何校かは回れるだろうか。このまま何の手がかりもなく優介と縁が切れることを危惧した勇人は、近い順に農業学校に向かうことにした。


 マップによると、一番近い学校はここから車で十分のところにあるらしい。タクシーを捕まえ、目的地に向かってもらった。


 窓から流れる景色を眺めていると、段々と田舎の雰囲気に変わってきた。しばらくすると、建物も何もないのに、車がハザードランプをつけて停車した。何事かと思って運転手の方を見ると、


「お客さん、マップ上ではここが到着地になってますね」


 鏡ごしに眉を寄せている運転手が、訳のわからないことを言いだした。


「え? どういうことですか?」


 勇人はタクシーのマップに表示された住所と、自分のスマホのマップ情報を照らし合わせた。


「本当だ。ここに農業学校があることになってる」


 周りをよく見渡すために車外に出た勇人が目にしたのは、雑草の生えた広大な土地だった。右を見ても左を見ても、建物はない。


 どうなってる? ホームページを見てみたが、住所はここで合っている。だが、どこにも電話番号は載っていない。


 運転手に次に近い農業学校に行ってもらった。今度は工場らしき建物が見えた。だが近づいてみると、看板はもちろん、人のいる気配もしない。開け放しになっているシャッターから中に入ると、焦げ茶のドラム缶や、何かの工具などが乱雑に散らばっているのみだった。


 この学校のホームページには、牛を育てたり、穀物の収穫をしている中高生の写真が載っている。住所も合っている。だが、やはり電話番号の記載はない。


 三か所目も似たようなものだった。四か所目、五か所目も。意味がわからない。農業学校は架空のものなのか? その後も勇人は日が暮れるまで農業学校のある場所を見て回った。


 ついに農業学校が存在しないことを悟った勇人は、タクシー運転手に自分の家の住所を伝えた。


 自宅に着きタクシーを降りた。今日一日付き合ってくれたタクシーの運転手に礼を言うと、勇人は家に入った。


 農業学校が存在しないことと、優介の行方がつかめなかったことによる精神的疲労のせいか、勇人はリビングのソファで眠ってしまった。肩を優しく叩かれて、目が覚めた。


「ただいま」


「あ、おかえり、父さん」


 眠い目を擦り、勇人は時計を見た。もうこんな時間か。


 父はビニール袋を手にしている。


「これか? 今晩は、豚ロースを買ってきたんだ。料理するから待ってな。……それより、大丈夫か?」


 疲れている様子の勇人を目にして、父は心配した。


「……うん。じつは今日、学校を休んで、優介を探そうとしたんだ」


「そうだったのか」


「でも、優介の転校先、校長先生に聞いても教えてもらえなくてさ。どこの学校に転校したのかは分からなかった。でも、じっとしてられなくて。近いところから順に農業学校を回ったんだ」


「そうか」


「でも、なかったんだ」


「――? 何が?」


「農業学校だよ。農業学校なんて、どこにもなかった! ネットにはいかにも存在するかのように載ってるけど、人どころか、建物すらなかったよ! どうなってるんだこの世界は! おかしいよ!」


 突然大声を張り出した勇人に、父は驚いた。


「お、落ち着け、勇人。とりあえず落ち着いて、もう一度話をよく聞かせてくれ。父さんでよければ相談に乗るから」


 勇人は父に今日の出来事を説明した。


 憔悴した勇人を、父は慈愛の眼差しで見つめていた。頷き、聞き手に徹した。そして共感、励ましの言葉をもって勇人を労わった。


 こんなおかしな話なのに、疑いもせず真剣な表情で聞いてくれるなんて。勇人の心は暖かくなった。ああ、やっぱり俺の父さんはすごいや。かっこよくて、優しい、頼りになる自慢の父さんだ。


「遅くなっちゃったけど」父は時計を見た。「晩御飯にするか」


「うん!」


 鼻をかみ、目を擦った勇人は、すっきりした顔で返事をした。


 その後、二人は豚ロースのポークソテーをメインに、楽しく食事をした。


 父に相談して少しは心の整理ができた勇人だったが、それは心配や怒りがなくなったわけではない。優介のことと農業学校のこと、次は絶対問い詰めてやる。




 翌朝、勇人はまた早く家を出た。イライラが募る中、学校の駐車場で校長を待っていた。まだ朝日が昇る前に、黒い外車が姿を現した。車から降りた校長は言った。


「おや? どうしました、今日は」


 勇人は強気な姿勢で声を張る。


「昨日、学校を休んで俺は近くの農業学校に行きました。でも、そこには何もなかった。農業学校は存在しなかったんです。どういうことですか! 優介はどこに行ったんですか!」


 掴みかかる勢いで迫る勇人。一歩引いて距離をとった校長は、少し迷った後、ため息を吐いて言った。


「――この世界の真実を少しばかり知ってしまった、というわけですね」


 校長は勇人についてくるよう言い、校舎の方へ歩いていった。




「ここが、君の求めている答えがある場所です」


 校長に連れて来られた場所は、学食の厨房だった。中に入ったことはなかったが、別に変わったところはない。銀の冷蔵庫に、大きな鍋や調理器具が備え付けられているだけだ。


「え? ここが優介や、農業学校が存在しないことと関係があるんですか?」


「はい、そうです」


 校長は隣の厨房に繋がる扉を開けた。勇人も後ろを続いた。


 変わらず、銀の調理台や、清潔なタイルで出来た床があるのみ。そのきれいな調理台の一つの前で、校長は止まった。


「勇人君、ちょっと手伝ってくれませんか」


 校長は調理台を動かすように指示した。勇人がそれを横にずらす。すると、四角い扉のようなものが床に現れた。


「ここから地下に行けます。優介君が転校した農業学校は、この先にありますよ」


 とても信じられない。そんな話は聞いたことがない。


「それ、嘘ですよね」


「嘘だと思うのは自由ですが、優介君の手がかりは他に無いんじゃないですか?」


 薄っすらと笑う校長。怪しいけど、校長先生の言っていることも事実だ。優介の居場所を知ってるのはこの人くらいだと思う。……ここは一か八か、行ってみるか。


「行きます。優介に会えるのなら」


 扉を開けると、はしごが取り付けられていた。二人で降りていく。地面に足がつくと、勇人は周りを見回した。暗く、先の見えない廊下が続いていた。


 長い暗い廊下を、五分ほど歩いただろうか。ふいに勇人は、鼻腔に刺激臭を感じた。


「校長先生、この強烈な臭いはなんですか?」


「家畜の臭いですよ」


 糞尿と家畜の、つんとくる臭い。農業学校があるのは本当だったのか。


 鼻を押さえながら歩き続けていると、入り口のようなものが見えてきた。


「着きましたよ。今、優介君をお連れしますので、ちょっと待っていてください」


 いるのか、本当に! 校長はドアを開け、中へ入っていった。


 しばらくすると、校長は一人で戻ってきた。そして、手に何か握らせてくる。


「何ですか、これ。……優介は?」


「それですよ。優介君は」


 校長が懐中電灯で勇人の手元を照らした。手のひらには、丸く硬いものが乗せられていた。


「これは――爪、ですか?」


「そうです。聞こえなかったのですか? それとも、聞こえないふりをしているのですか? ――それは、優介君です」


「は?」


 今俺は何を言われたんだ? この爪が、なんだって?


 混乱する勇人の正面で、はあ、とため息をつく校長。


「一昨日の学食のメニューはカツ丼。それに一昨日のあなたの晩御飯は、豚肉の野菜炒め。昨夜は豚ロースのポークソテーでしたね?」


 突然の校長の言葉に、勇人の頭は思考停止する。


「まあ困惑するのも無理はないですね。答えは、この先を見ればわかるでしょう」


 校長は勇人を引っ張り、ドアに向かって歩いていく。そして、その汚れたドアノブを、ゆっくりと捻った。


 足を踏み入れると、先程からする悪臭がさらに強くなって勇人の鼻を刺激した。豚や牛など、家畜がいるんだろうと想像していた勇人だったが、その光景を見て驚愕する。


 二メートルほどの高さにある滑車のようなものに、全裸の人間が宙吊りになっていたのだ。それが右から左へ流れていく。そして男も女も、子供も大人も、パニックを起こしたような奇声をひっきりなしにあげながら、作業員のいる地点で喉を掻っ切られていく。


「――」


 恐怖で喉が凍った。


 喉を掻っ捌かれた人間からは大量の赤い液体が飛び散り、痙攣し、やがて動かなくなった。


「先程は嘘をつきました。ここは農業学校ではありません。『屠殺場』です」


「あああああああああ――!」


 勇人は赤い地面に膝をつき、絶叫した。勇人の横にしゃがみこんだ校長は、耳元に口を寄せて喋った。


「知らなかったでしょう? 日本人が毎日食べている肉は、豚や鶏、牛ではなく、『人』なんですよ。二〇二三年の異常気象により土地は枯れ、作物はおろか、家畜が食べる飼料も採れなくなりました。ましてほとんどが海外からの輸入品だったので、家畜など育つはずがないのですよ。しかし愚かな民衆は偽のニュースや教育により、日本の食糧問題が解決したと思い込んだ。本当は隣人を食べているのにも気づかずにね」


「あははは、校長先生、なにいってるんだよ。意味わからないよ。優介はどこだよ」


「勇人」


 と、放心状態の勇人の肩に、いきなり手が置かれた。その声は聞き覚えのある、優しい声だった。振り返ると、慈愛の眼差しを向ける父の姿があった。


「え? 父さん?」


 父はしゃがみ込み、勇人と目線を合わせた。そして、おもむろに校長の方を見る。


「もう、全部教えていいですよね、校長」


「いいでしょう。どうせすぐに処分しますし」


 頷いた父は、勇人に向き直る。


「勇人、さっき校長も言ったが、この世にはお前が知らないことがたくさんあるんだ。例えばそうだな……。高校を落第したら農業学校に転校するっていうのは嘘で、すぐに処理され、飯にされる。卒業しても優秀なやつしか公務員にはなれない。残った人間のうち男は飯に、女は種付けされ、未来の食料を増やす。そうやって、日本の国民は生きてきたんだ。だから、優介のことも気に病まなくていい。……ああ、でもお前、学食でも家でも美味しそうに食ってたじゃねえか、優介の肉」


「うぁ?」


 脳の処理が追いつかない。優介? 肉?


「だから、カツ丼と野菜炒め、ポークソテー。それ全部、優介の肉で作られてたんだよ」


 勇人の頭に、料理が浮かぶ。それが、全部優介の肉で――、


「ゔぉぇぇぇぇぇ」


 一気にこみ上げる胃の中身を、勇人はまき散らした。


「おい汚えな、クソが」


 それから勇人の父は、さらに追い打ちをかける。


「お前は父さん父さんって慕ってたけどよぉ、俺はお前の父親じゃねえんだ。国家公務員、その中の、偽親部署に所属してる。この世はなぁ、優秀な公務員が精子を提供するだけだから、父親はいないも同然、母親は子を産んだらすぐに飯になる。だから俺のような職業が必要なの。わかったぁ? 中野勇人くん」


 気持ち悪さと驚きと悲しみと絶望とが、いやいやと首を振る勇人に襲いかかる。過呼吸になりながら、


「なんだよそれ、ふざけんなよ――!」


 肩に置かれた手を振りほどき、暴れだす勇人。


「校長、もうこいつバラしていいですか」


「あ、ちょっと待ってくださいね」校長は勇人に笑いかける。「君、豚の角煮とチャーシュー、どっちになりたいですか?」


 だが恐怖する勇人の耳には届かない。暴れるも、押さえつけられる。


「校長、それ、あんたの好物じゃないですかぁ」


 場違いの笑顔を見せる男に、靴と服を手際よく脱がされてしまう勇人。


「や、やめろぉぉ――!」


 抵抗する勇人の腹部に、容赦ない殴打が食らわされる。両足をひきずられ、頭上の滑車についている足かせに両足が固定された。宙吊りになった勇人の視界には、地獄が映っていた。


 ゆっくりと流れる滑車に吊られた勇人の顔面は、眼球から血が噴き出そうになるほどパンパンに膨れながらも、


「ヤバい、死ぬ……。誰か、たすけて……。あ、父さんだ、父さん、助け――」


 目の前の偽親――否、勇人にとってには優しい父に見えたのだろう――に助けを求めた。


「だから父さんじゃねえっつの!」


 男はいつものように鋭利な刃で喉笛を掻っ切った。勇人の体内から、彼と優介のとが混ざった命の源が、猛烈な勢いでこぼれ落ちていった。




「このチャーシューは格別にうまいですね!」


 その日の昼珍しく食堂に赴いた校長は、チャーシュー麺を満足そうに啜った。


おわり

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二〇四三年 畑中雷造の小説畑 @mimichero

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