第6話

遠くからは巨大な一つのテントに見えたが、近づくと三つのテントが重なって構成していることがわかった。

そのテントの手前には大きく枝分かれした角を持つ動物が、100頭ほどの群れを作っていた。

おそらく鹿だろう。

大陸には鹿の近似種が多く生息していると聞いた事がある。

ユサールだけでも三種類ほどいるらしい。

私が良く知っている種は体長1メートル強くらいの、ふさふさとした黄色い毛皮の小さな可愛いやつだ。

最初に訪れたレハブアム公国で見たものは黒っぽく綺麗とは言い難い見た目で、もう少し大きかった気もするがだいたいそれぐらいだ。

そのはずなのだが・・・。


「姉さん、でかくね・・・?」


眼前にいる鹿には全て立派な角が生えていて、2メートル近い巨体だ。

角まで合わせると3メートルはあるんじゃないだろうか?

頭の位置でさえ私より高い。

この群れの奥にテントがあるので、この巨体の群れの中を行く必要がある。

一斉に襲ってきたら抵抗できないかもしれない。


「姉さんじゃない、シグリットだ。というか何故私の後ろにいるんだ?」


いつのまにか月比古は私の後ろを歩いていた。


「だってなんかこえーじゃん!」

「こういう時は、男が前に立たないか?」

「姉さん、レディーファーストって言葉知ってる?」

「知らないが・・・、なんとなく違う気がするな」

「日本、ちゃうわ、ええと天上では草食系男子ってのが多いんだ」

「草を食べるのか?」

「草食動物みたいに大人しい弱々しい男の子さ、僕は草食系男子なんよ。女性に守ってもらわないと生きていけねーの!」

「そうか。この鹿っぽいのも草食動物のようだから気が合うと思うぞ」


さっきまで真横にいたはずなのに。

大の男が乙女である私の後ろを歩くのはどうだろうか。

王だとか王じゃないとか以前に、この月比古という奴はあまりにも情けない。

確かにこの大きさと数は圧倒されるし、背筋が凍るような怖さがある。


「いやまて・・・・」


背筋が凍るような怖さがある?


この大きさと数を見て怖いと感じるのは当然だ。

だが背筋が凍るような感覚はおかしい。

この動物達は私を威嚇しているわけじゃない。

今ものんびりと自分のペースで草を食べている。

こちらなどまるで存在していないかのように気にしていない。

この動物たちに何の恐怖を感じるというのだ。


「月比古!」

「んあ?姉さんどうしぐぶへぇぁッ!」


戦えない者がそばにいると邪魔になる。

私は月比古を動物の群れから離すために思いっきり蹴り飛ばした。


「いてぇぇぇ、蹴るこたねーじゃん!」


月比古が叫ぶがそれにこたえるほどの余裕はない。

背筋が凍るようなゾクゾクとした感覚、殺意だ。


「うわあああああ!!!」


動物の群れの中から槍のような武器を持った男が叫びながら飛び出してくる。

まだ距離は少しある、十分に対応できる。

急いで留め具を外して刀を取り出し、鞘から抜く。

刀を使っての実践は初めてだが、旅立つ前に練習した甲斐があった。

ユサールの兵士が使う剣は鞘に納める事はない。

装飾用の剣や新造時には鞘に入ってる事もあるが、基本的に剣は使い捨てだ。

騎士の中には剣に名前を付けて研ぐなど手入れをして使う変わり者もいるが、基本的にユサール兵は武器庫から無造作に剣を取り出し背中に背負って戦場に向かう。

剣は肩ベルトに取り付けられた二本のフックにガードをひっかける形で背負う事ができる。


(注:ガードとはつばの事であり、刀剣のつかと刀身との境に挟んで、柄を握る手を防御するもの。ユサールでは背中に剣を背負うために横に長方形の形をしており、ロングソードあるいはバスターソードと呼ばれるものである)


引っかけているだけなので素早く剣を取り出して戦う事ができるうえに、自分の剣が破損しても戦場には敗れた兵士の剣が転がっているのだから、戦いを継続する事ができる。

それに対して、刀のガードは小さく丸みを帯びた形をしており、肩ベルトのフックに引っかけるのは難しい。

扶桑国の戦士を実際に見た者によれば、鞘に入っている状態で腰に帯刀するのが一般的だという。

腰にこれほど長い武器を身に着けるなど邪魔ではないかとは思ったが、剣と刀ではおそらく使い方が違うのだろう。

考えた末、私は鞘を腰のベルトに固定する器具を革職人に作らせた。

帯刀できるようになったが、刀を鞘から抜くためにベルトから一度外す必要がある。

鞘をベルトから外さずに刀だけ抜く事も考えたが、私の手ではこの1メートルもの長さを持つ刀をうまく抜く事が出来なかった。

なにより戦っているときに腰の鞘が非常に邪魔になると思った。


「えぇ!?姉さんそこは抜刀術でしょ!」


蹴り飛ばされた先で起き上がった月比古が叫ぶ。

抜刀術とはなんだろうか?

そういえば月比古は、刀をよく理解していた。

初めて見たとは言っていたがその言葉を鵜吞みにしては足元をすくわれる。

幼少期から剣術を習っていた私でさえ、始めは刀を鞘から抜く事が出来なかった。

そもそも私は初めて見た時に刀が鞘に収まっているとは分からなかった。

装飾の施された鈍器や棒状の武器であると思っていた。

だというのに、月比古は簡単に鞘から刀を抜いて見せたのだ。

知らなければそれはできない。

鞘を月比古の方に投げる。

刀を知っているなら鞘についても知っていると考えて間違いないはずだ。

鞘自体は木製で不思議な塗装が施されているが、それ自体も武器になるほど堅い。

木剣として多少は役に立つだろう。


「使って!」

「鞘でどうしろと!?」


鍛冶屋は剣を作り出せるが、剣術に長けているわけじゃない。

月比古が刀を知っていても刀で戦った事、いやそもそも貴族の息子のような貧相な体つきなのだ。

一度も戦場に出た事がないのかもしれない。

だがしかし、自分の身は自分で守ってもらわなければならない。


「うおおおおおおお!!!」


槍の男がすぐ目の前まで迫ってきていた。

大きな声を上げ、両手でしっかりを握った槍を突き出す。

槍のリーチを活かして私を突き刺すつもりだろう。

私は両手でしっかりと刀を握る。

刀の正しい扱い方はわからない。

月比古が叫んだ抜刀術という技も私は知らない。

刀という不慣れな片刃の剣に、碌に食事をとっていないせいで体力も僅か。

だが私は皇妃近衛第一連隊連隊長、リンゲン伯爵シグリット・ハイザ。


「馬鹿な!?」


私の刀に斬られた槍の穂先が空を舞う。

槍は長くリーチがあり、相手の間合いの外から攻撃することで集団戦において高い威力を発揮し、突くだけという動作は素人であっても扱いが容易な武器だ。

その反面、熟練者でなければ一対一おいては、簡単に破壊されてしまう。

死角からの奇襲による突きは必殺と呼べるだろうが、この男のように大声をあげてしまえば、突かれる前に斬ってしまえばいいだけの事。

お飾りの爵位ではない、槍での戦い方も槍に対する戦い方も会得し、戦場で武功をあげたからこその爵位、素人の槍捌きに簡単に突かれる私ではない。


「イヤァァァァ!」


男が獣のように咆哮する。

槍は突くだけの一撃必殺の武器ではない。

攻撃が当たらなければ素早く引き戻し、次の突きに備える。

だが男は突く事だけに集中し、穂先を切り落とす私の攻撃を見切る事が出来なかった。

まるで新兵だ。


「諦めろ、貴方では勝てない」


歯を食いしばって我武者羅に槍を突き立て、声をあげる事もなく死んでいく新兵をたくさん見てきた。

・・・、声をあげる事もなく?

この男はなぜこうも叫ぶのだろうか。

錯乱し逃げ出すときに情けない声をあげる新兵は多いが、その逆はほとんどいない。

人は集中するほど声が出ないものだ、まして人を殺すときなどは特に。

この男はその逆、槍を使いこなせているわけではないのに、声をあげながら私を威嚇している。

動物だって攻撃する時は声をあげないものだ。

ならこの男が声をあげる理由は一つ。

集中しろ、意識しろ、殺気は一つじゃないはずだ!


「後ろか!」


ヒュンッという音。

体制を無理に崩すと肩のあたりを何かが掠める。

気が付くのが遅ければ背中に当たっていただろう。


「姉さん!?」


離れた場所で月比古が叫ぶ。

そのさらに向こう、テントのそばに女性が立っていた。

手には石弓が握られている。

男はおとりだったのだ。

体勢を持ち直して石弓の女性まで走って間に合うだろうか。

体調が万全なら矢を装填する前に女性を斬れただろう。

今は間に合わない、今はそんな体力がないと体が私に告げてくる。

だがその考えは捨てろ、戦場は迷う時間なんてない。

間に合うわなくとも今は月比古に背中を預け走り出すしかない。


「月比古任せるッ!」


返答を待っている時間はない。

穂先は斬り飛ばしたのだ。

棒術相手なら月比古とて簡単には死にはしない、はずだ。

あの女性を抑えなければ私たちに勝ち目はない。

女性が矢を装填するために、石弓を地面に突き立てフットスティラップを足で踏む。

鉄製の防具すら簡単に貫通する強力な矢を放つ石弓は、弦が非常に硬く手で持ったままでは弦を引く事ができない。

そのため足でしっかりと踏ん張りながら、全身を使って弦を引くのだが、熟練の石弓兵でその時間はおおよそ一分ほどだ。

テントまでは距離がある、一分ではたどり着けない。

女性が弦を引き終わり矢をのせ、私に狙いを定める。

後はトリガーを引くだけ。


『見てから避ければいいじゃない』

「簡単に言わないで!」


走馬灯のように声が聞こえる。

私にできるだろうか?

先代リンゲン伯爵だった姉のように矢を避ける事が。


「姉さん!」


月比古の叫び声が聞こえるが、振り向いてはいけない。

集中しろ、意識しろ、矢は何処に飛んでくる?

あの女性は弓の名手だろうか?

もし彼女が狙った場所に飛ばす事が出来なかったら。

矢が風の影響を受けてそれてしまったら。


ビュンッ。


聞こえるはずのない矢の発射音が聞こえる。

右に避けるか、左に避けるか、確実なのは。


「おクソめっ!!」


足を滑らせ、体を屈ませる。

右でもなく、左でもなく、下ならば確実だと思った。

読みはあたり、矢は頭上を通過していく。

素早く起き上がり私は走り出す。

次の装填まで一分、その間に距離を詰め彼女を斬れば私の勝利だ。

走れ、走れ、走れ。

残った能力をすべて使って、走り出せ。

目の前には装填を終え、矢を乗せるだけの女性。

石弓のトリガーを引かれる前に刀を振り上げ。


「やめてぇ!!」


振り下ろす直前、女性の前に女の子が飛び出してきた。

ヒュンッ!

矢が顔を掠め飛んでいく。

予想外の登場人物に私も女性も驚いた。

一瞬の迷い、一瞬の躊躇い。

私は刀を振り下ろせず、女性は狙いを外してしまった。

時間が止まったように私達は動けなくなってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る