第5話

雲一つない赤い空、どこまでも広がる荒涼とした茶色い枯草だらけの草原。

ぎゅるぎゅると鳴るお腹の音で目が覚めた。

自慢の赤髪は砂埃でみすぼらしく汚れている。

昨日は日が沈むまで歩き続け、適当な場所で横になった。

異性がそばにいるのに腹の音で目が覚めるなんて恥ずかしい。

私にだってそれぐらいの乙女心はある。

だが、気に掛けるほどの元気はない。

たった一回の食事、それもパン二つと謎のところてんでは不十分だったようだ。


ぎゅるるる。


赤く染まる東の空から、ゆっくりと太陽が昇ってきている。

昨晩、月比古が枕がないと寝れないと言い、土で枕を作っていたのは少し笑えた。

確かに枕があったほうが寝やすいだろうが、土でわざわざ作るほどの事だろうか。

そのうち布団が欲しいと言って土の中に潜ったりするんじゃないだろうか。

その月比古はというと・・・。


「うーん、これ人工物だよなぁ・・・。というよりテント?」


先に起きて薄い金属の板を見ながらぶつぶつと独り言を言っている。

あの薄い金属の板が天上の道具だという事はわかるが、用途は見当もつかない。

王は天上から降りる時に大陸に"新しいモノ"をもたらすと言われている


祖国ユサールは建国してから1500年間戦争に負けた事がない。

その一番の理由はユサール王が降りてこられる時に馬という動物を引き連れてきたからだ。

ユサールは男性よりも圧倒的に女性の人口が多い。

人口比率でいえば他国に比べて戦の際は不利だ。

だが単純な腕力では男性に敵わないが、馬に乗り槍を構え、馬の速度を乗せて敵を貫けば、重鎧を着た大男すら貫いてしまう。

この騎兵突撃こそ無敗を誇るユサールの伝統的な戦い方だ。

もちろん戦争だけではない。

馬は農耕や荷役など、様々な分野で重宝されている。

他国にはない王がもたらした"新しいモノ"である馬はユサール国を強くし、列強国と呼ばれるまでに至った。


しかしそれは他国でも同じことだ。

飛州国は高い山間に位置する国家で、本来ならば農業に不向きな土地だ。

使える農地は限られ、一年を通して気温も低い。

にもかかわらず、飛州国は食べ物が非常に豊富で豊かな国だ。

不作の年でも飢える事はほとんどないという。

それは飛州女王がもたらした農法によるものだという。


この月比古という男も王であるならば、新しい何かを持っていても不思議はない。

それがこの薄い金属の板なのだろう。

今は理解できないがいずれ、月比古が自身の国を興した時にその国に一般的に浸透するものなのかもしれない。


「ん?起きてたんか」


目を開けて月比古を見ながら物思いにふけっていると声をかけられた。

お腹の鳴る音で目が覚めたとはとても言えず、私は肯いた。


「これ見てよ」


金属の薄い板を月比古が見せてくる。

私は起き上がって、その板を見ると昨日は違う絵が描かれいた。

小さなタイルを張り付けたような不思議な風景画のようだ。


「これは?」

「あっちの方に何か見えたからスマホで撮って拡大してみたんだよね」


相変わらず言ってることが分からない。

月比古が指さした先を目を凝らしてみると、確かに何かがあるような気がする。

太陽が昇り切ってない事もあるだろうが、あまりに遠すぎてよく見えない。


「これ、テントじゃないかなぁ?」


月比古が天上からもたらした"新しいモノ"はどうやら望遠鏡のようだ。

それも非常に画期的な望遠鏡だ。

小さい事もそうだが、遠くの景色を板に映し第三者に見せる事ができるようだ。

この薄い金属の板はそれ以外にも機能がありそうだ。


「これはどれぐらい離れているんだ?」

「距離はわかんねーんだけど。4km、いや5kmってところじゃないか?」

「いけなくはないか・・・」


お腹は相変わらずぎゅるぎゅるなっているが、歩けなくはない。

テントならば人がいるのだから、取引を持ち掛け食料を交換できるかもしれない。

だがこれが本当にテントだとするならば問題がある。

こんな場所でテントを張る集団とはどの様な人々であるかという事だ。


都合よく考えるならば、商隊だ。

飛州国からダークネスシャインの土地を往来しているという事になる。

商隊ならば食料も多く持っているだろうし、取引にも応じるだろう。

最悪、王から賜った大事な刀ではあるがこれと食料を交換できるかもしれない。

おそらくこの刀には価値があるし非常時だ、王もわかってくださるだろう。

たぶん、おそらく、きっと。

いやだめかもしれないが・・・。


だが問題なのは、刀を食べ物に変えて罷免される可能性よりも、このテントを張る集団が商隊である可能性は限りなく低いという事だ。


飛州国とダークネスシャインは国交がない。


国交がないという事は当然、商隊の往来もほとんどないという事だ。

停戦状態ではあるが休戦協定を結んでいるわけじゃない。

どちらの国に入るにしても積み荷は調べられ、没収される事は避けられないだろうし、最悪は投獄される事も考えられる。

ユサールも国交のない隣国からの積み荷は没収するし、何より入国を許可しない。

無理に入ろうとすれば当然、投獄かその場で処刑だ。


密貿易という線も考えられる。

しかしその場合は、得体の知れない私達を受け入れるわけがないので戦闘になる。


そして一番最悪で、一番高い可能性があるのは軍隊という事だ。

国境付近でテントを張る集団なんて軍隊しか考えられない。

月比古の見せた望遠鏡の絵からはテントらしきものが一つだけしか見えなかった。

見えないだけで奥にもっとあるかもしれないが、軍隊がこんな場所にテントを張るとすれば前哨だろう。

前哨とは敵情を偵察し敵襲を警戒するために、前方に配置する部隊だ。

ユサールなら前哨部隊は3から5の騎兵で構成する。

騎兵の高い機動力を生かし素早く展開するのに理想的な数だ。

だが、馬を保有しない他国の前哨部隊はもっと数が多い。

歩兵だけで行軍するのだ、どうしても足が遅い。

食料も何日分も用意し前哨部隊と言ってもその規模は100から200だろう。


「まっ、いってみりゃわかるかー。おねーさんはどうする?」

「私はシグリットだ。行くしかないだろう」


あれこれ考えても仕方がない。

100でも200でも、全部斬ればいいだけだ。

地面に置いていた刀を腰のベルトに差す。


「何度見ても不思議な恰好だ、大正みたいだ」

「大正?」

「和洋というんかなー、おねーさんの格好は中世ヨーロッパって感じなのに、刀ってのがね。でも大正時代とも違うんだよなー。不思議な格好だよ。」


月比古の言葉は、なんと表現すればいいだろうか。

むずがゆいとでもいうのだろうか。

言葉が分かるようでわからない。

大正とは天上の暦の一つで、元号と呼ばれるものだと月比古が教えてくれた。


「今は、平成31年なんだ。そういえばもうすぐ新しい元号になるなぁ」


天上では王が崩御したり、何か良くない事が起きたりすると暦を変えるそうだ。

どうしてそのような事をするのか説明してくれたのだが、よく理解できなかった。

私達紋章民族は天上人とは違い、王が亡くなれば民族も滅びる。

しかし天上人は王が亡くなれば、その王の子孫が即位する。

天上とは理想郷であると言われているが、どうも月比古の話を聞いてるとそういうわけでもないようで、前提として天上人はみな不老ではない。

月比古が私の格好を大正という時代のようだと言ったが、月比古自身は大正よりもずっと後の生まれで、絵画などを見て似ていると思っただけだという。

実際にその時代の人々がどのような恰好をしていたのかは知らないらしい。

平成の前に、昭和という元号があり、その前に大正という元号があったそうだ。

月比古は平成という時代に生まれたので、大正も昭和も知らないというわけだ。


「ヘイセイ、どのような字を書くのだ?」

「ヘイは平たい、セイは成ると書く。地平かに天成る、国の内外、天地とも平和が達成されるという意味さ」


テントらしき場所までは距離があった。

歩きながら月比古が天上について語ってくる。

天上と大陸の言葉は非常に近いが、方言というにはあまりにも離れている。

特にアルファベットと呼ばれる記号はさっぱりわからなかった。

例えば銀色の容器に書かれたENERGYという記号はエネルギーと読むらしい。

Eはエ、NEでネ、Rでル、GYでギーだそうだ。

では、GはギでYは長音符、つまり伸ばし棒なのか?と聞けばそうではないらしい。


「ややこしいな、カタカナとひがらながあれば十分だろう?私は漢字も苦手なのに、この上もう一つ増やす意味がわからないな」


エネルギーという言葉はわかる。

だが、わざわざ記号を使う理由がわからない。

カタカナで書けばいいではないか。


「わりと近代に入ってきたからなー。千年以上に日本、天上か。そこから日本人が来て国作ったわけだし、アルファベット無いのは当たり前かー・・・。ん?いや、おかしいじゃないか。姉さんの国は建国して何年目なんだ?」

「今年は扶桑暦で言えば1530年目だ、あと姉じゃないシグリットだ」

「1530年前ならだいたい6世紀。その頃の日本人が国起こしたのになんでがあるんだ?それどころか、シグリットの喋り方はどう考えても現代人だ。どういう事だ?」

「何を言ってるんだ?」

「いや、漢字だって通じるわきゃない。なんでだ?」


月比古は黙ってしまった。

天上の話は滅多に聞けるものではないので面白かったが、何か思うところがあるようだ。

頼りなさそうな腑抜けた顔をしているが、見かけに反して学があるようで、私の言葉一つ一つを慎重に聞き、思考を巡らせているように感じる。

最初は印象の悪い腑抜けた男だと思ったが、たった1日で私の月比古に対する印象は良くなっている。

どう見てもこの男は体力がない。

体つきは貧相で、歩き方も下手くそだ。

持っていた食べ物を全部私に分け与えたので、何も食べていない。

なのに、これだけ歩いて弱音を吐かないのだ。

それだけでも好印象を抱ける。

以前、護衛した貴族のバカ息子はちょっと歩いただけで足が痛いだのなんだのと喚いたものだが、月比古は絶対に辛いはずなのにへらへらとした笑顔を浮かべている。

強がりだろうか?

だが、印象が良くなっても気を許してはいけない類だろう。


「月比古、だいぶ見えてきたな」

「あ、ああ。本当にテントやったな」


目を凝らしてようやく見えるかどうかだったテントは、近づいた事ではっきりと見えるようになっていた。

確かにテントが一つだけある。

テントの周囲には何かの動物が群れを作っていた。


「あれって遊牧民ってやつじゃないか?」

「遊牧民?」

「でも牛には見えねぇな、なんだあれ?鹿か?」


群れを作っている動物は鹿のように見えるが、鹿に比べて体が大きく太い。

牛というには立派な角が生えていた。


「わからんが、軍隊でなくてよかった」


いきなり戦闘になる事はどうやらなさそうだ。


「軍隊だったらどうしてたん?」

「全部斬るしかなかったな」

「おねーさん、殺意あふれすぎ」

「私はシグリットだ」


まったく何回言うんだこの男は。

天上では女性を姉と呼ぶ文化でもあるのか?

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