第3話

大陸に住むすべての民が、別世界と言われて思い浮かべるものは一つしかない。

それは『天上』と呼ばれ、神々の住まう、すべての王の故郷と言われる世界。

祖国のユサール王も、レハブアム公王も、飛州女王も、すべての王は『天上』という別世界にて神々によって選ばれた『天使』という存在である。

彼らは天の使いだから、天使。

古の昔より、彼らはこの大陸に降り立ち、人を作り、国を作って王となり、統治する役目を背負っている。

つまり別世界からやってきたという事は、自分は王であると名乗っているようなものだ。


「貴殿が王であるわけがないだろう!」

「まっ、待ってくれ!何の話だい?」


ため息が出る。

私は今まで三人の王を見た事があるが、いずれも覇気があった。

言われるまでもなく一目見ただけで王であるとわかるほどだ。

だがこの男、月比古はどうだ。

見るからに腑抜けた妙に殴りたくなる阿呆の顔だ。

姿勢もあまりよくなく猫背気味でみっともない。


「お前のような貴族の腑抜けた跡取りみたいな王がいるかと言ってるんだ」

「王じゃねーよ!ネカフェのアルバイターだよ!」

「わけのわからない事を・・・!」


全くこの男は得体が知れない。

このまま言い合っていても埒が明かない。


「見ろっ!私は翼紋章民族だ。天上の者と豪語するなら自分の紋章を見せてみろ!」


私は右手の手袋を脱ぎ、手の甲の紋章を月比古に見せた。

全ての国がそうとは限らないが、ユサールや周辺国では紋章はあまり他人に見せるものではないという認識だ。

ユサール国のほとんどは翼紋章民族だが、他民族だって多く、王は民族間の差別を禁じているので、ユサールでは紋章はなるべく見せないというのが礼儀だ。

月比古が天上の者だというなら、その紋章は王が存在していない紋章民族のものであるはず。何よりも、王であるならば両肩に紋章が現われるはずだ。


「いやぁ・・・、そんな刺青見せられても困るんだけど・・・」


この男、あくまで隠し通すつもりか!

尾州国の者なら、ほとんどが蛇紋章民族のはずだ。


「ええい、観念しろ!」

「なにすんだよ!?いやぁぁぁぁ!!」


月比古を押さえつけ上着をはぎ取る。

じたばたと抵抗してきたが空腹で行き倒れていた私よりこの男は体力がない。

あっさり黒い光沢のある上着をはぎ取ると、下には半そでのシャツだけだ。

両肩に紋章がなければ王じゃない、簡単な判断だ。

肩をまくり上げると、そこには――。


見た事も無い紋章があった。


「そんな馬鹿な・・・、こんな男が?」

「何がだよ!ってなんじゃこりゃあああああ!」


左肩の紋章を自分で確認した月比古が驚いている。


「え、いつの間に刺青入れちゃったんだよ!これじゃ温泉はいれねーよ!」


何故温泉かはわからないが、月比古は自分が何者かわかっていないようだ。


「右肩も見てみろ」

「右肩・・・?おいおいおい、なんじゃこりゃー!右肩にも入ってるじゃねーか!」


月比古の両肩には角の生えた馬の顔のような紋章が入っていた。

馬自体の紋章や、翼の生えた馬の紋章は見た事があるが、角の生えた馬は知らない。

だが、両肩に紋章が入っているという事は間違いなく王の証だ。

この男は天上からたった今、使命もなく自覚もなしに降りてきたのだ。


「別世界、貴殿が天上から降りてきた事は認めるしかないな」

「え、なんで?!」

「王は両肩に紋章が現われ、同じ紋章を宿す紋章民族を支配する事ができる」

「支配ってなんだよ、じゃあシグリットを支配できるのか?」

「いや、私は翼紋章民族だから無理だ。私に命令できるのはユサール王だけ」


ああ、でもそうか。

月比古が新しい紋章民族の王なら、私達はこの遭難から助かるかもしれない。

伝説によれば王は、地上に降りた時に民を造ると言われている。

もし月比古が王であるならば、民を造りだせるはずだ。


「私達助かるかもしれないな」

「助かるって?」

「貴殿は王なのだ、王ならば同じ紋章民族に絶対的な命令を下すことができる。『王命』といって、その民族ならどんな理不尽な命令でも逆らう事は出来ない」

「つまり?」

「貴殿が王命を持って食料を持って来いと命じれば、その角の生えた馬の紋章民族がここに助けに来るはずだ!」

「360度どこを見渡しても人がいるとは思えないのに?」

「王は地上に降りた時に民を造ると言われている、貴殿が王命を使い民を造ればいい」


王は人ではない。

民を造ると聞いても私には理解できないが、王とはそういうものなのだろう。

我が王、カイト様だって1500年という考えられないほど長い年月を生きているのだから、ちょっとぐらい不思議な事が起こってもおかしくないのだ。


「よし分かった。その王命とやら使ってみよう。で、どうやるんだ?」


困った、知るわけがない。

私は美人で剣術や槍術の達人ってだけのごくごく普通の紋章人だ。

そもそもここ千年ほど新しい王は降りてきていない。

たった17年しか生きていない私が知るわけない。


「知らないんだな?」

「さ、叫んでみたらどうだ?」


嫌そうな顔をしつつ月比古は上着を拾い、パンパンと土ぼこりを掃い、上着を着て。


「なんかぁぁぁぁぁ来いぃぃぃぃぃっ!」


右腕を上げ、叫んだ。


「おい」


だが、何も起こらなかった。

もうちょっと言い方があるだろうとは思ったが、静かな風の音だけが響く。


「何もおきねーじゃねーか!異世界だからってちょっと信じちゃったじゃねーか!」

「知るわけないでしょ!私だって王命を受けた事ないし、王命を下してるのも見た事ないんだから!!!」

「異世界だったらスキルとか能力とかあるじゃぁん!」

「知らないわよ!大体最後に王が下りてきたのだって千年も前の事なのよ!」

「千年だって?そんなんもう伝説の類じゃん!ぐああああ騙されたあああああ!!!」


ギュルル・・・。

私と月比古のお腹の音が響く。


「はぁもういいや・・・、姉さん、食べる?」


月比古が鞄の中から何かを取り出して私に差し出す。

透明の袋に包まれた、これはパンだろうか?

伝説によれば天上世界には美味しい食べ物であふれているという。

先ほどのマスカット味のところてんはいまいちだったが、もしかしたらこのパンらしき食べ物は美味しいかもしれない。


「貰うわ、ありがとう」


姉じゃないけどね言いながら、月比古からパンらしきものを受け取る。

でも、これはどうやって食べるのだろうか?

透明の袋はきっと食べられないと思う。

銀色の容器と同じ手触りだから、これはパンを保護するための袋なのだ。

という事はこの袋はどうにかして開くことができるはずだ。

銀色の容器は、白い部分を回すことでカチカチ音を立てながら外れた。

これは透明な袋で柔らかく、回せるような場所はない。

鞄と同じように何かを引っ張る事で開くのだろうか?


「ん?ああ、開け方がわからないのか。これは普通にさ」


月比古が目の前で透明の袋を破いた。

左手で袋の大部分を持ち、右手で角のギザギザ下部分を引っ張り、スーッと袋は綺麗に避けていく。


「そのギザギザの部分を引っ張るんだよ、できる?」

「あ、あぁ・・・」


不思議な袋だ。

これはまさしく天上の人間の発想だろう。

パン一つを包むために袋を一つ使い捨てるというのは、非常に贅沢な考え方だ。


「いただくわ」


袋からパンを取り出して口に含む。


「んッ!!!!?」


信じられない、こんなおいしいパンは食べた事がない!

表面は少し硬い、いや固いというよりは何かの膜で覆われているような感じだ。

唇にあたるつるつるとしたパンの表面は、くっつくこともなく食べやすい。

パンと言えばふつうは勢いよく齧るものだ、表面の堅い感触から思い思いっきり歯を立てて齧りつくと、カチンと歯と歯が勢いよくぶつかる。

普通のパンと同じ力で嚙んではいけないのだ。

まるでスープにひたしたパンほどの柔らかさ、水分があるとは思えない舌ざわりなのに、ぱさぱさしている感じもない。

飛州国の団子に匹敵する美味しさだ。


「す、すげー顔してるぞ・・・」

「すまない、これは、信じられないほど美味しいな!」

「コンビニのパンで大げさな・・・」


パンのサイズは大きくなくよく味わいたいのに、二口、三口と止められない。


「ん゛!?」

「えぇ・・今度はどうしたの?」


パンの中に何かがある。

甘い何か、蜂蜜のようなとろみがあるが、蜂蜜ではなくわずかな酸味がある。

口からパンを離し見てみると、その甘い何かは赤色をしている。


これは、そうかジャムだ!


「月月比古殿、凄いなこのパンは!ジャムがこんなにたっぷり入っている」

「えっ?少なくないか?」


天上世界ではこのようなものはありふれているのだろう。

神々の住まう世界だ、砂糖だって無限に存在するのだろう。

詳しい事は知らないが、砂糖はサトウダイコンなる野菜から作られるらしい。

主にレハブアム公国で育てられており、ユサールではほとんど栽培されていない。

その砂糖をたっぷり使って果実と混ぜて煮込んだものがジャムだ。

何かお祝い事でもない限り庶民は食べる事が無い。

長期間の軍事行動の際には、士気を向上させる目的でふるまわれることもあるらしいが、それほど長期間の軍事行動に参加した事が無いため、私はほとんどジャムを食べた事が無かったが、ジャムを食べられるなら戦地で戦い続けてもいいと思える。


「100円の安いジャムパンをそこまで喜ぶ人は初めて見た。こっちのクリームパンも食べる?」


クリームだって?

連想するものは二つ、オリーブ油と香料を混ぜた化粧品と牛乳を泡立てて作るホイップだ。

どちらもパンの中に入っているとは考えにくい。

化粧品は食べ物ではないので当然だが、牛乳の方も日持ちしないのでパンの中に入れて持ち歩くとは到底考えられない。


「もっ、貰っていいかしら?」

「顔に欲しいって書いてあるよ」


月比古から受け取り、透明の服を破いてパンを取り出す。

見た目はさきほどのパンとそれほど変わらない。


「よーし、いただきます!」

「えぇ・・・」


一口、先ほどのジャムが入ったパンと同じでまだクリームとは出会えない。

二口、じらす様にまだクリームと呼ばれるものとは出会えない。

三口、パンともジャムとも違う柔らかい触感!

口からパンを離してみると、そこには黄色い何かが入っていた。


カスタードだ!


牛乳だけではなく、卵と砂糖、それに小麦を混ぜたお菓子だ。

これも王宮でふるまわれる高級品、ユサールにおいては一流の菓子職人のみが作る事を許されたロイヤルスイーツ。

カスタードがパンの中に贅沢に入っている。

これが天上の食事、紋章もそうだがこんなものを渡されては月比古が天上から降りてきたことを疑う余地はないだろう。

いったいさっきのマスカット味なるところてんは一体なんだったのか。

天上の者の考え方はわからないな。

月比古はまったくもって王に見えない。

天上世界の中でも変わり者なのだろう。


「ごちそうさま」


とても美味しいパンだった。

欲を言えば飲み物が欲しいところだ。

確かにユサールのパンに比べて食べやすく美味しいが、パンはパン。

さすがに喉が渇いてしまった。


「オレンジジュース・・・、あるけど飲む?」


そういって月比古は私に、橙色の容器を渡してきた。

ところてんが入っていた容器と同じように白い蓋がついている。

きっとこれは飲み物なんだろう。

パンがあれほど美味しいのだ。

この天上の飲み物も美味しくないわけがない。

ああ我が王よ、今だけはこの他民族の王に忠誠を誓ってしまいそうです。

どうかお許しください。

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