第2話

ついカッとなってやった、反省はしているが、後悔はしていない。

顔面を思いっきり殴られ頬を赤く腫らした男が目の前に倒れている。

もちろんやったのは私だ。


「痛いじゃないですかぁー!ぼかぁ、親父にもぶたれたことが・・・。いやあったかも」


月比古と名乗った男はすぐに起き上がり、殴れたにもかかわらずへらへらしていた。

二日間何も食べずに行き倒れていたとはいえ私の拳を・・・。


「え、ちょっ、おねーさん!?」


ドサッ!


顔が痛い、私は前のめりに倒れてしまった。

そうだった、私は二日間も飲まず食わずで倒れていたんだった。

こんな得体の知れない男を殴るためとはいえ、無理に起き上がれば倒れるのは当たり前だ。


「まじでかー、おねーさん大丈夫ですかー?」

「だから・・、大丈夫では・・・」

「うーん、どうしたら…。そうだ!」


月比古は肩から下げていた大きな布の鞄を地面に置いた。

鞄には摩訶不思議な構造物が側面を縫うように取り付けられており、月比古の手の動きに連動してジーッという音と共に縫い目が解かれていく。

私は目の前の出来事に理解が追いつかずただ呆然として目が離せないで居た。

不思議な構造をした鞄だが、その中から取り出されたモノはもっと不思議で、掌ほどの銀色の袋のような、でも布には見えない、なんとも形容しがたいモノ。

小さな袋なのに、青や黒といったインクで何かの記号が描かれている。

いや、記号というよりは何かの文字のような法則性も感じる。

記号につながるような形で10といった、意味はわからないが読める部分もあるからだ。


「コンビニ寄っといてよかったわぁ、どうぞ?」


この男はやはり阿呆あほうの類ではなかろうか。

うつ伏せで倒れている私の前に、この銀色の物体を置いた。

もはや起き上がる気力なんてない。


「あれ、いらないんですか?」


人を苛立たせる天才か?この男。

もう一度起き上がって殴るほどの気力はなかった。

そもそもこのような物体を渡された所でどうしろというのだ。

まじないか何かだろうか?


「それを・・・、どうしろというんだ?」

「え?食べないんですか?」


どうやら食べ物のようだが・・・。

陽の光に反射し輝く銀色の物体を食べろというのか。

異国の文化とはいえ、これはどう見ても食べ物には見えない。


「あー、そっか食べられねーっすね、セクハラで訴えないでくださいよー」


月比古は私の肩をつかみ、転がして仰向けにしてから上体を起こす。

カチカチカチ、月比古が銀色の物体から生えている白い部分を回すと不思議な音が鳴り、白い部分が外れる。

そして白い部分を私の口に


スポッ!


つっこんだ。

銀色の物体を月比古が握ると、口の中に何かが入ってくる。

"ところてん"のような何ともいえない食感と食べた事のない味。

柑橘類のようにも感じるが、柑橘類とはまた違う、とにかく不思議な味だ。

乱暴に口に突っ込まれた事は腹立たしいが、銀色の袋のような物体はこの不思議な"ところてん"を入れる容器だったようだ。

容器をよく見ると小さな文字でマスカット味や、果汁といった文字が書かれている。

マスカットは確か、尾州国の特産品だったはず。

この男は尾州国の出身なのか?

尾州国とユサール国は国交がないので、このような得体のしれない容器があってもおかしくはないが。

それにしても携行食としてかなり優れたモノだ。

食べるというよりは飲むに近く、少し喉が潤う。

量が少なく、満足感は無いが、これならば歩きながら食べる事ができるだろう。


「すまない、助かった」

「いっすよー、困ったらお互い様っしょ」


…何故だろう、携行食を分けてもらったのに妙に腹が立つ…


月比古が親指を立ててはにかんでいる。

殴りたくなる笑顔とはこの事だろうが、殴っていては話が進まない。


「それで月比古殿、貴殿も迷子との事だが」

「あー、そうなんすよー。どこっすかここ?」


尾州国は大陸中央にある尾張山脈の南方の半島に位置する国である。

私たちのいる大陸の南西に位置するブリガンテ平原からはかなりの距離がある。

この国に尾州の人間が訪れる理由があるとすれば、間者・・・。

間者?この阿呆としか言いようがない男が?

いや、これは演技かもしれない。

阿呆としか思えない立ち振る舞いなら、誰もこの阿呆を間者だとは疑わないだろう。

以前、敵対した大津国の忍者にも変わり者が多かった。

私は最初にユサールの貴族と名乗っているのだから、間者ならば受け答えは慎重にしなければ祖国に迷惑がかかる。


「月比古殿、貴殿は尾州の者か?」

「いや浜松っす」


浜松、聞いた事のない国名だ。

いや扶桑国にそういう名前の港町があったような気もする。

だが、どうも話がかみ合っているようでかみ合っていない。


「それよか、お姉さんばっか質問してちゃ不公平っしょ、ここはどこなんすか?」

「ここはダークネスシャイン帝国のブリガンテ平原だ」


「は?」


口を開けて阿保面で首を傾げた。

何をそんなに驚くことがあるのだろうか。

もしかしたら、私の様に目的地からかなり離れてしまったのだろうか。


「なんすかそれ」


月比古がゲラゲラと笑い始める。


「ダークネスシャインて正気かよ?」

「何がそんなにおかしい?」

「え、マジで?マジでダークネスシャインなんすか?」

「嘘を言っても仕方があるまい、ここは剣紋章民族の王、剣王ラグナロック帝が治めるダークネスシャイン帝国領の北東部にあたるブリガンテ平原だ」

「おいやべぇな、正気じゃねぇな!名前のフルコースでお腹いっぱいだよ!」


何がそんなに面白いのだろうか。

道を間違えて気でも狂ったのか?


「さて」


一頻り笑った後、月比古は急に眉を顰めた。

先ほどまでゲラゲラ笑っていた阿呆とは別人のように鋭い目つきだ。


「さて、お姉さん。ここが何処かは分かったけど、その剣王様とやらに謁見する

使者様がどうして一人で行き倒れているんだい?」


この男、やはり忍者の類だろうか。

使者が一人、軽装で行き倒れているのは確かに不自然だ。

さっきまでゲラゲラと笑い転げていた男とは違う顔つき。

こっちの顔が本性なのだ、嘘はつきとおせないだろう。

ここは素直に答えたほうがいいか?


「すまない、王に謁見するというのは嘘だ。月比古殿がこの国の民だと思い…」

「うそなのかよ!」


バシッ!


「ぐぇ!なんで殴るんだよ!」

「すまない、つい顔がムカついて」


なんだこいつは。

真面目な顔をしたと思えば急にふざけた顔になる。たとえ間者や忍者だとしても、

こんなにふざける必要などない、私の考えすぎだ。

たぶんこの男は本当に阿呆なのだ、付き合ってるだけで日が暮れてしまう。


「それよりもだ」

「それよりも?初対面のダンディな青年は頬っぺたは真っ赤ですよ、お姉さん」

「私はお前の姉ではない。シグリットだ。」

「そうそう、シグリット。はなんだっけ?」

「シグリット・ハイザ、シグリットが名でハイザが家名だ」

「そうだったそうだった、よろしくシグリッド!」


調子の狂う男だ。

しかし携行食を分けてもらっておいて殴るのは悪い事をしたかもしれない。

何故かはわからないが、この男は私を苛立たせる。

憎悪とかそういう悪い感情ではないのだが。


「ああ、よろしく。で、だ」

「そうだね、このままじゃ僕達は仲良く行き倒れちゃうんだね?」

「そう、私は食べ物を何も持っていない。貴殿は?」

「堅苦しい、月比古でいいって」

「では、月比古で」

「僕はオレンジジュースと菓子パンが三つ、後は財布にスマートフォンだけ。財布は役立ちそうにもなさそうだけどね」


そう言って月比古は鞄を開いて見せてきた。

彼の財布も上品な細工が施されていた。

身なりや持ち物だけ見れば貴族のようだが、とても貴族だとは思えない。


「んー、やっぱGPS入らないな」

「ジーピーエス?」

「ああ、スマホさ。と言っても、何が何だかわからないだろう?」


薄い金属のような板を月比古は見せてきた。

板の表面は光っていてこれも記号のようなものが描かれている。

読める文字もあるが、漢字の使い方はでたらめで意味が分からない。

"株価"とはなんだろうか?株とは、草木の根元の部分だ。

価とは価格、代価、物の値打ちの事を言う。

つまり株価とは、切り株の売値の事を指すのだろうか?

逆に意味が分かるモノもあった。

カレンダー、時計、マップ、メモ、メッセージ、天気。

意味が分かったところでこの薄い板にその言葉が書かれている理由はわからない。


「なぁシグリット、腹を割って話そう。君はどうして行き倒れたんだい?」

「そうだな。私は扶桑国を目指して旅をしていた」

「扶桑国?」

「そうだ、私は武功を立ててユサール王カイト様よりこの刀を賜ったのだが、我が祖国ユサールには刀を扱える者が誰もいないのだ。この刀も扶桑国王山本佐武郎やまもと さぶろう殿がユサール王カイト様に譲られたものだ。刀は強力な武器だ、だから使い方と手入れを学ぶ為に、刀鍛冶や侍のいる扶桑国を目指したというわけだ」


そういって刀を見せると、月比古は受け取り鞘から刀を抜いた。

手慣れた様子で、刀を水平に構え、刃先を注意深く観察しはじめる。

私の刀は三尺三寸の野太刀である。三尺三寸とは扶桑国の長さの単位であり、

ユサールの単位で表すとおよそ1メートルの長さとなる。

刀の名は朝倉鬼童丸というらしく、朝倉とは刀匠の名で鬼童丸とは王達の故郷である天上を騒がせた鬼の名だという。


「月比古、貴殿は刀に心得が?」

「いや初めて見たけど?」

「そうか、殴っていいか?」

「なんでだよ!」


言動だけではなく、行動も腹の立つやつだ。

さも当然のように刀を扱っていれば、何か心得があると思うではないか。

カチンッ、鞘に納められた刀を受け取る。


「でも大体分かった」

「何が?」

「僕は君を信用して話そう。推測の域を出ないけど間違ってないと思う」


偉そうに。

いや身なりからして偉いのかもしれないが。


「僕は多分、別の世界、別の星、あるいは大昔か遥か未来からやってきた人間だ」

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