ミュステリオン

柚原比奈子

第1話

私は行き倒れてしまった。


雲一つない青い空、どこまでも広がる荒涼とした茶色い枯草だらけの草原。

自慢の赤髪は風で運ばれた砂埃でみすぼらしい。

水と食料が無くなって二日目、私は歩くこともできず仰向けで寝ていた。

太陽の強い光が私の体を焦がしていく。

肉食動物にとっては格好の獲物だというのに、肉食動物どころか草食動物や鳥類すら見当たらない。

こんな何もない場所に好んで立ち入るのは人間ぐらいだ。

だが人間に見つかっても絶世の美少女である私は助けてもらえないだろう。


なぜならば、私ことシグリット・ハイザはこの国の人間剣紋章民族ではないのだから。



刀の扱い方を学ぶため遠く離れた扶桑国を目指し、王の許しを得て、ユサール王国を出立したのは二か月前の事だ。

最初に訪れたのは隣国であるレハブアム公国。

国土のほとんどが湿地帯で、道を外れれば底なし沼に足を取られ二度と日を見る事が出来ないと言われる難所だ。

幸いにもレハブアム公国の首都へ向かう商隊に同行させていただけたので、何一つ不自由なく湿地帯を通り抜ける事が出来た。


次に訪れたのは山岳地帯の飛州国であったが、非常に恐ろしい国だった。

山岳地帯と言えば道が悪いイメージがあったが、綺麗に整備された街道はとても歩きやすく、治安も驚くほどよかった。

腰に刀をさげていたので町に入るたびに衛兵に呼び止められたが、衛兵がきちんと仕事をこなしている証拠であり、面倒ではあったが好印象だ。

一か月かけ飛州国の最東北端である八日市という街から、最南西端に位置する鷲見砦まで旅をしたが、道中の飲食店で路銀のほとんどを使ってしまっていた。

レハブアム公国が湿地ばかりで何もなく、ずっと保存食ばかり食わされていた反動もあったかもしれない。

それにしても残り二国越えなければならないのに、お金がないというのは考え物だ。


まあ、無ければ奪えばいい。


飛州国の南西に位置する国は非常に治安が悪い。

奴隷制を採用している国家で他民族は奴隷狩りにあうという。

こちらを襲うのだから襲われても文句はないだろう。

鷲見砦を出発する際に衛兵が「そんな装備で大丈夫か?」と尋ねてきた。

外見は可憐な美少女の私だが、武勲を立て爵位と刀を賜った騎士だ。

野盗が何人束になろうが負ける気がしなかった。

ただ、後悔先に立たずとはまさにこの事。

衛兵の言葉の意味をもっと考えるべきだった。

「大丈夫、問題ない」と答えた私はそれまでの国と同じように、腰に刀をさげ、二日分の携行食と水筒、それに日記帳とペン、それからインクを鞄に入れ出国した。


次の目的地は鷲見砦から南へ60km進んだ先にあるナバレノという街だ。

飛州国と500年も戦争している国の最前線となる街だから、飛州国からやってきたとあれば、捕まる事もあるかもしれない。

私のような美少女、衛兵が心配するのも無理はないと思った。


だが。


衛兵の心配はそこではなかったのだ。

真っすぐ南へ進むぐらい簡単だと思った。


私は弱々しい貴族の令嬢ではない。

60kmという道のりはゆっくり歩いても二日あれば十分だ。

しばくは小高い丘や、美しい緑の草原がどこまでも続いていたが、だんだんと茶色の大地へと色が変わっていった。

丘も低くなり、30km歩いたころにはどこを見渡しても平たく荒涼とした茶色い枯草だらけの草原が広がっていた。

レハブアム公国なら、川近くの丘の上でテントを張り休んだ。

飛州国なら、宿屋に泊まり体を休めた。

この草原はどこを見渡しても同じ景色が広がっている。

何処で休んだらいいのかわからなかったが、日が沈み始めたのでその場で横になることにした。

初めてみた地平線は感動的な景色だった。

祖国ユサールで見るよりも太陽は大きく美しく見えた。


二日目の朝はかなり冷えた。

日が昇るよりも前に目が覚めたが、太陽の向きが分からなければ方向が分からない。

鞄の中から携行食として飛州国で買っておいた串団子を取り出す。

時間がたって固くなっているのに、ユサールの携行食より美味しい。

ユサールでは携行食としてバタークッキーを持ち歩くが、かなりまずい食べ物で、バターが多すぎて気持ち悪くなるような代物だ。

この串団子は汚れないように笹で包まれているため、笹の香りが団子に移り、固くなっても笹の香りによって食欲がわいてくる。

一本、二本と食べてるうちに止まらなくなって昼食の分まで食べてしまった。

食べ終えたころにはすっかり日が昇っていた。

太陽の位置を確認し、南へ向かって歩き始める。

太陽が昇っていくにつれ、気温はそれほど高くないというのに強い日差しが私の体温を上げていく。

汗が止まらず昼頃には水筒の中の水は、すぐに空っぽになった。

太陽が頭の真上まで昇ってきた。少々空腹を覚えてきたが串団子を全部食べてしまったので昼食はなしだ。

もう少しでナバレノに到着するはず、飛州国ほど期待は出来ないだろうが何か名物の一つでもある事を望もう。


朝から30kmほど歩いただろうか。


日が沈み始めたが、景色は何も変わらなかった。

何処を見渡しても平たく荒涼とした茶色い草原に地平線。

休める場所もなく、二日目の夜もその場で横になった。


三日目の朝も二日目と同じように冷えた。

違うのは食べるものが何もなかった。

喉は乾き、お腹がぎゅるぎゅると唸っていた。

空腹と疲労で立ち眩みもしてくる。

それでも必死に歩いた。

歩かなければたどり着けない。

歩いてもたどり着けない。

そして三日目の夜、その場で倒れた。


雲一つない青い空、どこまでも広がる荒涼とした茶色い草原。

四日目の朝、私は起き上がる元気がなかった。

砂埃が顔にかかり、顔が痒い。

それを掃いのける元気もない。

私は行き倒れてしまった。

鞄の中には日記帳とペンにインク、腰には立派な刀。

どれもここでは役に立たない。


「大丈夫ですか?」


声がしたほうに目をやると、身なりの良い若い男が立っていた。

さっきまで周囲は地平線しか見えなかったはずなのに。


「大丈夫じゃない」

「えっと、どうしたらいいですか?」


私の答えに男は困っている様子だった。

どうやら野党の類ではないようだ。

しかし商人というにはあまりにも軽装だ。

大きな布の鞄を肩から下げ、汚れ一つない綺麗なズボン。

上着は黒くて光沢のある見た事の無い布に、鮮やかな刺繍が入っていた。

平民ではなく、貴族の類だろう。


"後悔先に立たず"だ、シグリット。


空腹で吐き気や頭痛がするが、まだ十分に思考は働いている。

衛兵の言葉を軽く受け流したために、行き倒れる事になったのだ。

この男が貴族なら絶世の美女である私にいかがわしい要求をしないはずがない。

受け答えを間違えるわけにはいかない。

どうするべきか・・・。


「あのー、ええっと」


身なりは立派だがなんともなよなよしい男だ。

こういう男には強気で出るべきだろう、よしっ!


「私はユサール王国、皇妃近衛重装長槍騎兵第一連隊連隊長、リンゲン伯爵

シグリット・ハイザ!王に謁見すべくこの地を訪れた!!」


残りの力をすべて振り絞って叫んだ。

仰向けで寝ながら叫ぶ姿は滑稽に見えるだろう。

だが王に謁見を求める使者ならば無下に扱う事も出来ないはずだ。

ただ一つ問題があるとすれば、私の爵位にさほど価値がないという事だ。

リンゲン伯は、皇妃近衛重装長槍騎兵第一連隊連隊長に与えられる爵位であり、外交権も無ければ、ソルトラン公爵の領地であるリンゲン市の統治権も持っていない。

称号や飾りといった程度の爵位でしかないのだ。

最も皇妃直属軍の連隊長になるにはそれ相応の武功は必要で、歴代のリンゲン伯爵はいつだって周辺国との戦争で破壊的な活躍してきたのだ。

国交のある国ならば、リンゲン伯爵といえば恐怖の象徴のようなものだ。

特に先代のリンゲン伯爵こと、私の姉はそれはもうとんでもなく酷い活躍だった。

隣国との交流会で子供に対して「いい子にしてないとリンゲン伯爵がやってくる」なんて脅し文句があると教わった時は、姉を思い出して納得したほどだ。

姉だけではなく先々代のリンゲン伯爵、母もそうだった。

槍の投擲で湖が割れたとか、敵兵を山の麓から山頂まで投げ飛ばしたとか、嘘としか思えない逸話がいくつもあるほどだ。

ただ、それほど畏怖されていても外交となると話は別だ。

外交官ではないのだから、だからどうしたと言われるだけである。

むしろリンゲン伯爵を知っているれば、ここぞとばかりに始末するかもしれない。

そんなどう扱っていいかわからない爵位だったが、こんな形で役に立つとは思わなかった。

次は謁見の理由を考えなければ・・・。


「え?はぁ、そうですか。僕は清水月比古しみず つきひこといいます」


え?あれ?

男はよくわかっていないようで、ぽかんとした間抜け面で答えた。

行き倒れて仰向けで寝そべって、ドヤ顔で名乗ってしまった。

後悔先に立たず、急に恥ずかしくなってきた。


「えっと、ええっと?ゆさーる王国、おうひこのえ・・・、れんたいちょう?はくしゃくのしぐりっとさん?」


なんだこの男は、馬鹿にしているのか?!

確かに私はリンゲン伯爵の爵位を頂いて日が浅い。

姉と比べられるほどの存在でもない。

むしろ自分があまりにも凡人なので卑下する事だってある。

まして今の私は空腹で倒れ寝そべりながら、顔だけは勇ましく叫んでいる阿呆なのだ。

しかし後には引けない。


「シグリットで良い」

「あ、はい。僕も月比古でいいです」


これは政治的な駆け引きだ。

ここは他国、弱みを見せてはいけない。

たとえ恥ずかしさから顔が真っ赤になっていたとしても。


「さて月比古殿、貴国と我が国は国交がない。不甲斐ない事に土地勘がなく、こうして迷い行き倒れてしまった。できれば手厚く保護していただき、王との謁見を」


「あ、迷子なんですね!僕もなんですよ」


「は?」


この男は今、何と言っただろうか?

聞き間違いだろうか?


「バイト帰りに急に目の前が眩しくなったと思ったら、こんなモンゴルみたいな平原に立ってて。あ、でもユサールってポーランドの軽騎兵ですよね!?ポーランド人なのに日本語上手ですね!外国って行ったことないんですけど、ポーランドにもこんな平原あったんですねー、どうやって来たんだろ僕」


この男は何を言っているのだろうか。

まさかこの男はこの国の人間ではない?

ひょっとしてこの男は、私と同じ。


「コンビニで買った菓子パンとかジュースしかなくって、行き倒れるかとおもいましたよー。仲間がいて助かりました!」


雲一つない青い空、どこまでも広がる荒涼とした茶色い草原。

行き倒れた美少女の私と、行き倒れ予定の男。

この男はこの状況を正しく理解しているのだろうか。

へらへらとした笑顔で私を見ていた。

その顔を見ていたら無性に腹が立ち、私は。


「ぐえっ!」


不思議と力が湧いてきて、男を殴り飛ばした。

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