9-2 : 脱出

 その声の聞こえたほうへ、サイハたちは砂山を回り込んだ。


 誰の声なのかは、確かめるまでもない。



「――……よぉ……気分は、どうだ……チンピラぁ……」



 砂山の頂上裏手、その斜面に。


 満身創痍まんしんそういのジェッツが、頭を下にして仰向あおむけに倒れていた。


 サイハの拳をらった顔面は腫れ、リゼットに蹴り込まれた腹には力が入らない様子で、喉だけで譫言うわごとのようにささやく声はまるで亡者のよう。



「……やって、くれたなぁ、えぇ……? はぁ゛……サイハ……リゼット……お前らの、お陰で……全部、台無しだ……」



「ジェッツ……!」

「サイハ、ここは私が……事後処理も〈解体屋〉の役割の内だ」



 飛び出しかけたサイハを、エーミールが制止する。その手には既にヤーギルが握られていた。



「エー、ミール……全く……出しゃばりな、女だ……割と、根に持つ……タイプ、か……?」

 きれの悪い減らず口をたたきながらヘラヘラと笑うジェッツは、死に体もいいところ。



「ジェッツ・ヤコブソン、その身柄を〈解体屋〉へ連行する。〈蒸気妖精ノーブル〉の所持を十年にわたって隠蔽していた件と、〈鉱脈都市レスロー〉に対する破壊工作の件。それ以外にもお前にはかなくてはならないことがいくつもある。拒否権はないぞ」



他所よそ、もんが……偉、そうに……言ってくれるじゃあ、ないか……」

 苦しげにささやきながら、ジェッツが観念するように両目を閉じて脱力する。

「好きに、しろ……だが、生憎あいにくと、骨が逝ってる……連れて、行きたいなら……エスコート、しちゃ……もらえない、かね……?」



「…………」



 銃口をピタリとジェッツに向けたまま、エーミールが慎重に砂山を登りだす。


 その間も、ジェッツはゴボゴボとき込み続けた。


 ジェッツが吐血を繰り返し、血飛沫ちしぶきが散る。

 血と胃液があまりに激しく飛び散るものだから、エーミールはそれを避けるようにしながら砂山の斜面を進んでいった。



「ああ……左脚が、折れてる……左腕もだ……」



 サクリサクリと、エーミールが踏み締めるたびに砂山が音を立てる。



「右の脇腹が、いてぇ……右目も、ぼやける……」



 ガボッ! ゴボッ!

 ジェッツが吐き出した一際大量の吐瀉としゃ物が、川となって流れてゆく。

 エーミールが思わず眉をしかめる。


 そしてぼんやりと薄目を開いたジェッツが、うなされるようにささやいた。



「……。……ああ、そう……もう少し、、、、右だ、、……」









 ……………………………………カツンッ、と。









 エーミールが砂の下で、何かを蹴り飛ばした。



「っ!?」



「ありがとう……そいつが、ほしかった……」

 ジェッツの血塗ちまみれの口が、ニィっと笑い。

「死に体、でもな……まだ、日食中、、、……急ぎ、すぎたな、お前ら……は、ははっ」



 己にかぶさる砂すら払えぬほどに、弱っていたそれが――

 ひびが入って壊れていた日時計ルグントが――

 ふわりと浮かび上がり、ジェッツの手に納まった。


 同時にザラッと、砂山全体が波打って。



「!! しまっ――」



 エーミールが言い終わらぬうちに、大量の砂がドンッと間欠泉のごとく噴き上がった。


 砂柱はジェッツを乗せて勢いよく上昇し、あっという間にジェッツの身体を露天鉱床の縁へと打ち上げる。


 直後、露天鉱床が不気味に揺れ始めた。


 周囲の岩盤がサラサラと砂へと変わり、最下層にいるサイハたちの元へどんどん流れ込んでくる。


 まるで巨大な蟻地獄ありじごくだった。


 はるか頭上の地表から、ジェッツがチラと最下層こちらを振り返るのが見えて、それから走り去っていった。



「……っ……くそっ!」



 ジェッツにまんまと逃亡を許してしまい、エーミールが毒突いた。



「落ち着けエーミール! 野郎をとっ捕まえるより先にだ……このままだと全員生き埋めになっちまうぞ」



 周囲が一瞬で大崩落するというわけではなかったが、砂化した岩盤の流入は止まる気配がない。

 日時計ルグントの負っているダメージはかなり深いことが覗えたが、それでもこの権能の威力。



「とは言っても……! どうする?! ここの運搬装置はもう使い物に――」

「あるじゃないですかー」

「手ならまだある」



 さらりと、メナリィとサイハが同時に言ってのけた。当たり前のように。


 エーミールとリゼットとヤーギルもそれに気づいて、そして五人が同時に声を上げた。



「「「「「――〈レスロー号〉だ!」」」」」




 ◆




「――よし……! 翼は折れてねぇ。無駄に頑丈に作ってたお陰だ」



「〈霊石〉は……ここは採掘場だ、いくらでもあるぞ!」



「ゲロロ……定員オーバーではありませぬか? これは……」



「詰めれば乗れますよー。前に二人、後ろに二人、ヤーギルさんは銃のそのままでー」



「オイ! イイ加減下ろせよテメェ! いつまでアタシのこと担いでやがる!」



「お前もう自力で立てないだろ。何となくわかる。いいから大人しくしてろ」



「……。……ンッだよ……サイハのクセに、操者ドライバヅラしやがッて……」



 露天鉱床に胴体着陸していた〈レスロー号〉を、サイハとエーミールが大急ぎで点検していた。

 メナリィとカエルヤーギルのバケツリレーによって、〈霊石〉は既に充填済み。

 激闘の反動で動けなくなっているリゼットは、座席に押し込まれて口をとがらせていた。


 崩れゆく露天鉱床から脱出するための最低限の整備と、〈霊石〉を詰め込んで。サイハがムムムとここ一番の気合いを入れて、火種となる〈霊石〉に思念をめて赤熱反応へと至らせる。


〈レスロー号〉が、ポッポと蒸気の脈動を始めた。



「……いけるぞ、これなら! サイハ急げ! 主翼が砂にまれる前に飛ばすんだ!」



 前席にエーミール。

 後席にリゼットと、ヤーギルを抱き締めたメナリィ。


 離陸可能であることを計器の表示から読み取って、エーミールが機外整備を続けているサイハへ手を差し伸べた。



「さぁ! サイハ! こっちに!」



「…………」



 サイハは砂に埋もれゆく地面に立ったまま、〈レスロー号〉を見上げると――


 一人、首を横に振った。



「っ……何そんな所で突っ立ってるんだサイハ!? 早く!」



「……。行ってくれ。お前らだけで。エーミール、あんたなら〈レスロー号そいつ〉の操縦、わかるだろ?」



 そう言いながら、サイハは〈レスロー号〉から引っ張りだしたバックパックをあさりだす。


 取り出したのは金属グローブ〈かっ飛びナックル〉と、ワイヤーの束。

 そして適当に名前をつけてしまった下駄げた型ワイヤーフック、〈ブーツの裏にくっつけるヤツ〉である。



「オレはこっから自力で上がって、そのままジェッツの野郎を追っかける」



 サイハのその言葉を聞いて、思わずエーミールが悲壮な表情を浮かべた。



「……馬鹿っ! サイハ! そんなの〈レスロー号〉で脱出してからで十分――」



「いいや、駄目だ。一人でも乗員減らして、確実にそいつを飛ばすんだ」



「だったら! 私が残る!」



「冷静になれよ、エーミール……あんたに言わせりゃ、『これは〈解体屋〉の仕事』なんだろうがよ――」



 ワイヤーをくくり付けた〈かっ飛びナックル〉を蒸気圧で射出して、地上の砂化していない岩肌へと絡みつかせる。

 足元にアンカーを打ち込んでワイヤーの両端をピンと張りながら、涙声になっているエーミールにサイハは言って聞かせた。



「――こっちから言わせりゃ、『オレの喧嘩けんかはまだ終わってない』……ジェッツとけりをつけられるのは、あんたでもリゼットでもない。このオレだけだ」



「……私は……役立たずってことかい……?」



「違う。あんたでなけりゃ頼めないことだから言ってんだ。メナリィのこともリゼットのことも、〈レスロー号〉のことも……あんただから預けれるんだ。あんたがオレのことどう思ってんのかは知らないけどな……――オレはあんたのこと、心底尊敬してんだよ」



 サイハがさらりと言ってのけたその言葉を聞いて、エーミールが数秒間停止する。


 それからうつむいて垂れた前髪に目元を隠すと、エーミールは指先が白くなるほど強く拳を握って。



「……ずるいよ……そんな言い方……!」



 それだけささやくと、エーミールはサイハから視線を剥がし、操縦かんを握り締めた。



「……。サイハ……私は、君のこと……――もういい! 帰ってから話す! 行けよ、わからず屋!」



 機体が震えだしたのは、発進の合図。

 エーミールはりんと前を向き、もう振り返らない。



「サイハー、〝モグラコロッケ〟、たーくさん作って待ってるからねー」

 メナリィがサイハへ、おっとり手を振る。



「オラ、このバァカ、アタシ置いてタマ落としやがッたら、しょーちしねェかンな」

 舌をベェッと出したリゼットが、中指を突き立てる。



「くははっ! いいねぇ、にぎやかになってきた!」



 ニッと笑ったサイハが〈ブーツの裏にくっつけるヤツ〉を履き、張ったワイヤーに綱渡りよろしく立つ。下駄げた底から生えたフックが、ワイヤーをがっちりとつかんだ。


 そして最後に、サイハが親指を立てて、皆に背を向けて。



「――パーティーの準備して待ってろ、お前ら!!」



 ドンッ!!!!


 翼で風を切り、〈レスロー号〉が離陸する。


 下駄げたから蒸気を噴き出して、サイハが空中を疾駆した。



「いぃぃぃやっほぉぉぉぉぉぉぉい!!」

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