9-3 : 〝あばよ〟
◆ ◇ ◆
「――はぁ゛……はぁ゛……っ」
痛む身体に
激痛と息切れで額に浮いた脂汗が、乱れた髪を伝ってボタボタと滴り落ちる。
全身に
深酔いが
膝が笑う。
もう立っていることもできず、ジェッツはドサリと尻餅をついた。
背後にもたれかかると、そこには冷たい石の感触が――――――
ジェッツが逃亡の末に
「……。…………思い知らせて、やりたかったんだ……」
ジェッツが、独白してゆく。
「こんな石の塔を、〝慰霊碑〟だなんてよ……大層なもんを、こさえた気になって……それで、全部、なかったことにしやがって……この下に、埋まったままの奴らのことを、こんな
くっくと、ジェッツは
それは硬質岩盤〈
それとも、
「〝毒ヘビとすんだ
目を閉じ、
「だから、俺ぁよ……
その先に、誰がいるのか……――ジェッツにはもう、わかりきっていた。
「――馬鹿は、お前のほうだろ……ジェッツ」
この場へと追いついた、サイハの声。
互いに、追って追われてここまで
ただジェッツは、〝ここで待てばサイハが来る〟と確信していて。
サイハは、〝ここでジェッツが待っている〟と知っていた。
……それだけのこと。
サイハが言葉を続ける。
「お前が誰を
サイハの声は、ジェッツを糾弾するようでも、親身に言い聞かせるようでもあった。
目を閉じたまま、ジェッツが痛む腹を震わせてまた笑う。
「はは、は……若造が、この俺に、説教垂れやがる……〈PDマテリアル〉CEOも、落ちたもんだ……」
ジェッツが重い
「……。……サイハ……お前は、何を、
ジェッツのその問いは、前口上を多分に省いたものだった。
だがサイハには――同じ事故で、同じように大切な人を失ったサイハには、ジェッツが何を
「オレに
「は、はは……ああ、本当に、めでたい奴だ……馬鹿野郎で、幸せな奴だよ、お前……」
ヘラヘラと笑い続けるジェッツの目は乾いていたが、サイハにはどうしても、その男が
「……。……俺には、何も……何も、
ジェッツが
「だから、〝ジェッツ〟なんて名前の野郎は……十年前に、とっくにくたばってたんだ……今の俺は、そいつの抜け殻……地べたに取り
「…………」
この男の言うとおり、ジェッツには
慰めも、
ならばサイハに、これ以上口にすべきことは何もなかった。
「……ふんっ……こんなときだけ、物わかりのいい、チンピラだ……気に入らんよ、
そんなサイハを見て、ジェッツが鼻で笑った。
そして、唐突に。
「ああ、そう、だな……――それなら、最後に一つ、ゲームをしよう……」
そう切り出したジェッツの手元から日時計が消えていることに、サイハが気づくより早く。
ドスリと、サイハの脚に鋭い痛みが走った。
「う……っ?!」
突然のことに、サイハは思わず片膝を突く。
右の
もはや立ち上がる体力もないジェッツに、そんな奇襲は不可能なはず――
「――……ルグントか!? まだ、こんな……っ!」
何が起きたかを予感して、サイハが
「今更、種を隠す必要も、ないな……そいつが、ルグントの、第二の権能……〝
最後の攻撃手段であるはずのそれを、ジェッツはあえて子細にサイハへ聞かせる。
「〝
ジェッツが熱に浮かされるように、カッと目を見開く。血走ったその
「お前が、俺を差し置いて……〝流れ〟を、作りやがるというんなら……〝渦〟の中心に立つ男だと、いうんなら……これで、確かめさせろ……。そうすりゃ俺も、初めて……諦めが、つく……」
ジェッツの言葉が終わらぬうちに、サイハが膝を突いたまま身体を真横に
……ドスリッ!
「うっ、ぐっ……!?」
サイハの左腕に二本目のナイフが突き立つ。
じっとしていたなら、肺を一突きにされていた軌跡だった。
「ふん……勘のいい、野郎だ……」
「ジェッツ……そうまでして……! そうまでできる意地があったんなら……もっと、ましな十年も……あったはずだろが……っ!」
「
眠たそうに
そこには一片の迷いもない。
「……御託は、もう、いいだろう……――次で、決着だ、サイハ……」
「………………」
ジェッツとはこれまで、因縁を感じ続けてきたサイハである。
今更、和解は望まない。
ただ、この男をここまで突き動かしたものが何だったのか……それだけは知っておかなければならないと。
そしてサイハは、改めて自分とこの男が似た者同士であったのだと理解する。
鏡写しのようにそっくりで、正反対で――それゆえに
答えは、得た。
ならばもう――――――やることは、決まっている。
「………………」
いつかと同じ、ナイフの刺さった身体を引きずり、立ち上がり……
……サイハが、拳を構えた。
「……。…………。………………………………………………こいよ、ヘビ野郎……」
沈黙と、
心臓の鼓動と、
乾いた荒野の、風の音――
――――――――――――――――――――――――――――――――そして、
……ビシャッ。
その権能、〝
が。
それは〈
――ゴスッ!
刹那を挟み、ナイフと交差したサイハの右拳が、ルグントの顔面を正面から打ち抜いた。
「……っ……」
ドサリッ……。
そして、この場に最後まで立ってみせたのは――――――――――サイハだった。
「…………。…………ああ………………そうかい……」
ジェッツが納得するように、表情を緩めた。
震える手を、ボロボロになったスーツへ伸ばす。
取り出したのは、先の激戦中に握り潰した最後の葉巻。
それを口に
「……………………………………………………………………ふぅーっ…………」
日食の闇に閉ざされた空をぼんやりと眺めてから、ジェッツは、倒れたままでいる秘書の男を見た。
「……。……ルグント……悪かったな……こんな
「……何をおっしゃるかと思えば」
大の字に倒れているルグントが、それでも声だけは秘書然とさせて。
「この〈
「………………」
それを聞いたジェッツは、しばし驚いたふうで目を丸くしていた。
これまでただの道具、ただの部下としてぞんざいに扱ってきた主従関係。
嫌われることが大前提の十年を歩んできたジェッツにとって、ルグントのその本音は
「…………ああ、そうか……お前が……お前だけが……ずっと俺と、同じ場所にいてくれていたんだな……」
ふっと、そんなことにすら気づけなかった自分を、ジェッツは笑った。
「今更だが、礼を言う……世話になった、ルグント……」
「
ルグントの身体が、淡い光に包まれる。
ヒトの形を失って、小さな日時計へと姿を変えてゆく。
……ポキンッ……。
透明な、澄んだ音を立てて。
真っ二つに割れたその〈
ふぅーっ……と、ジェッツが長く細い紫煙を吐く――――友を、弔うように。
「…………ああ……これで、本当に……独りっきりだ……」
ジェッツが、不思議な表情を浮かべてサイハを見た。
無表情のような、
サイハがこれまで、誰の顔にも見たことのない表情だった。
「……! ジェッツ!」
そしてサイハが、〝止めなければ〟と直感して前に踏みだし、
けれど、脚の傷でふらりと倒れた直後。
足元が、グラグラと揺れた。
サイハの見やる先で、慰霊碑が傾く。
地面が
ジェッツは、サイハが追いつくとっくの前に、なし遂げていたのだ。
ルグントの最後の力を振り絞って。
彼の悲願であった、大深度〈
日食が終わり、第二の月が離れてゆく。
木漏れ日のように差し込んだ陽光に照らされて、いっそ
「――――――――――――――――――――――――――あばよ、モグラ野郎」
そして……
大地が、崩れ落ちていった……
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