8-9 : 〝届け!〟

「はは、はハ……はハははハハはっッ!!」



 ジェッツの見守る先で、太陽が欠けてゆく。


 荒野の果てに夜のとばりが垂れ込めて、〈鉱脈都市レスロー〉へ向かって押し寄せる。天体規模のその現象は、誰にも止められはしない。



「……俺の孤独が、だ。サイハぁ……届いたぞ」

 心が崩れる寸前だったジェッツの顔に、グワと修羅の相が戻る。

「俺の孤独な復讐ふくしゅうが! お前の束ねたロマンとやらよりも先に! 届いたぞぉ!」



 影を生み出すのは光。

 光の源であるは太陽。

 ならば太陽そのものが影を落とす皆既日食とは――

 それすなわち、その闇すべてが、〈隠遁いんとん公〉ルグントの手足となるということ。


 ジェッツに力が流れ込む。いまかつて経験したこともない、力の奔流と万能感に満たされる。


 それはどんな煙草たばこより、どんな酒より、胸にいた空虚を埋め尽くしていった。


 ぐっと拳を握った。

 レスローに先んじて闇におおわれた彼方かなたの荒野。そこが突如大崩落を起こし、巨大なクレーターを生じさせたのがてのひらに伝わる。


 解き放たれた〈隠遁いんとん公〉の、桁外れのパワー。


 街一つ地の底へ沈めるなど、造作もない力。



「はハははハは! 潰してやる! 闇が来た瞬間に! 全部バラバラにしてやる! ハはははハハはははハっッ!!」



 ジェッツの呂律ろれつは回っていなかった。許容を超える全能感に幻覚症状トリップを味わう。



「――諦めるなぁーっ!!」



 ふと、過剰分泌された脳内麻薬で酩酊めいていするジェッツを、キンキンと耳障りな声がでた。


 立っていることもやっとのエーミールが、露天鉱床最下層から空を見上げて叫んでいた。



「君なら! 届く! どこまでだって! 君と! リゼットなら! だから! 信じろ! 信じ続けろ! サイハぁーっ!」



 援護射撃もまともにできない身体にあって、エーミールはそれでも声援を送り続ける。

〈霊石〉一欠片ひとかけら分でもいい……私の意志が、ほんの少しでもサイハに届けばと。


 それがジェッツの目には、たまらなく苛立いらだたしく映った。



「……うるさいだんよ、お前……」



 そしてニヤと、ジェッツの悪意に塗れた思考に、〈霊石〉のオーラが醜く揺れた。


 地平線から日食の闇が津波のごとく押し寄せてくるなか、サイハは修羅のこえを確かに聞いて。



「っ!? やめろぉぉっ! てんめぇぇぇぇええっ!!」













 ……………………………………………………………………………………パァンッ。













 ……唐突に、眼下に乾いた音が響いた。


 まるで玩具おもちゃのような、軽い音。



「…………ぁ……」



 言葉に詰まったエーミールが、口を半開きにしてパクパクとする。



「お前は黙ってるほうがいい女だと……そう言ったよなぁ? ミス・エーミール……」



 ジェッツが地表へ取り落としていた拳銃――

 それが〈隠遁いんとん公〉の権能によりフワと宙に浮き、エーミールの目の前で白煙を上げていた。



「馬鹿に塗る薬はないというが、実はある。とびっきりのやつがな…………そういうことだ、、、、、、、



「………………」



 呆然ぼうぜんと、エーミールが自身の身体を見下ろした。


 ……左胸。

 心臓の位置。


 ロングコートに、小さな丸い穴がいていた。



「……。…………。………………サイ、ハ……」



 自身の身に、何が起きたか……

 それを理解したエーミールが、はるか頭上のサイハを見上げて。



「…………ごめん……………………ごめん、サイハ……」



「エーミール……! おい、うそだろ!? エーミール!!」



「サイハ…………駄目だ、見失っちゃ………………私は、いい、から……」



 エーミールがガクリと膝を突いたのを見届けて、ジェッツがサイハを向き直る。



「そしてこいつは、見てのとおりの劇薬。頭を真っ白にしてくれる」

 同意を求めるように、両手を広げて。

「なぁ? そうだよなぁ? サイハ?」



「…………ジェッツぅぅぅうううーっっっ!!!!!」



 サイハの目に、二日前と同じ、怒りで我を忘れた色が見えた。


 バゴンッ!


 大鎚おおづちとかち合っていたビル巨人の最後の拳が、砕け散る。



「はハは! くれてやるよ、そんなもの! ――今の俺には、もっと大きな力があるッ!!」



 日食の闇が露天鉱床の縁に届いたのを感じ取り、ジェッツはわらった。

 完全に俺のペースだと。


 眼前には、大鎚おおづちを振り下ろすまま真っぐ突っ込んでくるサイハの姿。


 それもまた、二日前に見たのと同じ光景。

 激情で何も考えられなくなった男の顔。



 ――堪えるだろう? 目の前で、大切な人を失うというのは。



 見つめ返すジェッツの瞳は、あまりに冷静。あまりに冷酷。


 思考を奪い、感情を麻痺まひさせ、人を獣へ変える術を――〝怒り〟の作り方を、修羅は誰より熟知して。


 そして日食の闇が、ジェッツを取り込んだ。


 そこへ一拍遅れて、サイハが飛び込む。


 サイハがジェッツの絶対支配の闇と重なるまで、残り十メートル。



 ――ああ、それがお前の限界だ、サイハ。



 残り、八メートル。



 ――夢なんて、もろい。ロマンなんて、はかない。たった鉛玉の一発で、全部駄目になる。



 六メートル。



 ――お前のその絶望は、昔俺が立った場所。今のお前は、あのときの俺、そっくりだ。



 四メートル。



 ――だから俺は、ここでお前、、を殺さねばならん……絶望で何も考えられなかったかつての俺自身、、、を、俺はこの復讐ふくしゅう心で越えねばならん。



 あと、二メートル。



 ――過去の俺ごと、潰れて消えろ。てめぇの〈蒸気妖精ノーブル〉と。てめぇが束ねた大勢の人の意志と。故郷レスローと、もろともにな…………



 そして………………ゼロメートル、、、、、、


 サイハの影が、日食の闇にみ込まれた。


 ニィィッと、ジェッツが暗い笑みを浮かべた。



「……勝ったぞ、サイ――」



 それと全く、同時に。



「――リゼットぉぉおっ!!」



 サイハが、えた。


 そしてジェッツは、その修羅の目で目撃した。


 サイハの、赤土色の瞳。

 その奥に、〝怒り〟にまれた獣の炎ではなく……――意志の光が輝いていたのを。


 どこまでも透明な、青白い〈霊石〉のきらめきがあったのを。



「ッシャア! アタシ様のお呼びダァ!」



 それは、この局面に至って――大鎚からヒトの姿へ戻った、、、、、、、、、、、、、リゼットの声だった。



 ――――………………………………………………ハ?



 ジェッツは、何が起きたかわからなかった。


 エーミールを撃たれた怒りの只中ただなかで、大鎚リゼットを手放すなど。


 意味がわからなかった。






「――信じてぇーっ! サイハぁあーっ!」



 ちらと、視界の端に。

 ジェッツのその問いへの答えのように、声の限りに叫ぶ町娘の姿が見えた。



「信じて! だから! 止まらないでっ! 信じ続けて!! やっちゃえー! リゼットさぁあーんっ!!」



 メナリィの声が、サイハとリゼットの肩を押す。

 目一杯に。祈りの限りに。



 ――まさか、お前が……お前なんぞが、つなぎ止めるのか……?! ただの小娘が、この状況で……っ!!



 不味まずいと一蹴いっしゅうした、メナリィのコロッケ。



 ――サイハだけじゃ、なかった……! エーミールですら、ない……?!



 紫煙に潰れた舌にはもはやわからぬ、何でもない家庭の味が。



 ――俺が殺さねばならん過去が……! こんなところに、もう一つあった……!?



 ひらり………………


 ジェッツの胸元から、焼け焦げた一葉の写真が舞い落ちる。


 そして流れ星のように――ジェッツの脳裏に、〝彼女〟の姿が過っていって。




 ――どうして、俺の邪魔をする…………――――――――――――マリン……!








「「――――――――――食らいやがれぇえ! ドグサレがぁぁあっ!!」」



 サイハの拳と、リゼットの跳び蹴りが。


 ……ゴッッシャァッ!


 絶対支配の影を越えて――――――――――――――――ジェッツへ、届く。




 ◆




「――う゛ごぉっ?!」



 メシリッと聞こえたのは、頬骨ほおぼねにひびが入る音だった。


 続いてズドリと腹の底に響いたのは、蹴り込まれたヒールの感触。



「まだまだぁ!」



 落下の勢いを借りたサイハの左拳が、ジェッツの顔面にめり込んでゆく。



「がっ…………っばぁっ!」



 歯を食い縛って耐えることができたのは一瞬だけ。


 歯が何本もへし折れる音がした。下顎と上顎がずれて、ジェッツの顔面がまるで別人のようにゆがむ。



「マダマダマダァ!!」



 リゼットの足が、えぐるようにしてジェッツの腹へ突き刺さる。



「お゛っ……!……っうぶぁっ!!」



 ジェッツの口から血反吐ちへどが噴き出る。


 それでも。

 ジェッツはその場に踏みとどまった。

 超人的な意志の強さで。


 停止してしまいそうなほどゆっくりと流れる時の中。

 サイハとリゼットの拳と蹴りが、少しずつ……少しずつ、ジェッツの身体を浮かせてゆく。


 ……ペキッ。


 それは、〝死んでも離さん〟と黒鉄の爪を立てた先。

 技術遺物たる日時計に、細いひびが入った音だった。



『……なん、で……っ』



 ジェッツの片足が、地面から離れる。


 ……ペキペキッ。


 日時計に走ったひびが成長し、枝分かれし、全体へと広がってゆく。



『なんで……こ、んな……っ』



 ジェッツの両足が宙に浮き、身体が後方へと押しやられだす。



『みんなの、声がっ!』

 サイハの思念さけびが、ジェッツをろうする。

『信じろってぇぇえっ!!』



 意識の捉える時の流れが、元の速さへと戻ってゆく……


 ……そして――



「――だらぁっ!」

 深く深く踏み込んで、サイハが渾身こんしん入魂にゅうこんの拳を振り抜いた。



「――オラァッ!」

 リゼットが身体をしならせて、跳び蹴りから回し蹴りへと立て続けに放つ。



 ドゴォッ!!


 二つの力が混ざり合い、ジェッツを錐揉きりもみ回転させて吹き飛ばした。



「「たかが小せぇ、鉛玉一発で! オレアタシたちの見た夢が! 砕けてたまるかぁっ!!」」



 ……ペキャッ。


 ……ひびが、日時計を貫いて。


 ビル巨人が、サラサラと根元から風化して………………ゆっくりと、沈み崩れていった。

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