7-8 : ジェッツ・ヤコブソン
ミシリッ……
……バキンッ!
それは、鉄のねじ曲がる音。
機械の上げた悲鳴だった。
「エーミールさぁあんっ!」
〈
「大人しくしてなよ、お姉ちゃん……」
ジェッツが、メナリィの頭を手すりに押しつけ。
「〈
笑いながら向けるジェッツの視線は、足元ではなく頭上を見ている。
「ちょいと威力が落ちるがね……その分、あの腐れビッチを
飛行能力などないはずの〈ハミングドール〉の巨体が、宙に浮かび上がっていた。
地上、メナリィの影から生えた触手じみた影が、機体の影に
悪夢のような光景だった。
影の一部が百八十度
「ゲロロ?! み、右脚部大破!! 出力を上げてくだされエーミール殿! このままではバラバラにされますぞ!?」
ヤーギルがダメージ状況を叫ぶ。その声は〈ハミングドール〉の
「もう目一杯まで上げてるさ! 針なんてとっくに全部振りきってる!」
エーミールが叫び返す。
スロットルはすべて全開。
機体背面の排気管からは不協和音が鳴り響き、動力炉は真っ赤に燃えて
そこまでやっているにもかかわらず、〈ハミングドール〉は
影が
蒸気圧が限界に達して背面で大爆発が起きたが、その爆風を受けてすら機体は微動だにしない。
完全に、〈
「む、無念っ……ここまでですぞエーミール殿! 小生の独断を許されますれば、ハッチを爆砕致しますゆえ! 皆の者ぉ!」
『いきましゅ!』
『ふっとばしましゅよ!』
『しょれーい!!』
ヤーギルの号令に応じて、
が、それによって機械的な支えを完全に失うはずのハッチすら、どうやってもびくともしない。
「自分で言っていたろう、エーミール……」
ジェッツが、勝ち誇りながら宣告する。
「ルグントの権能、〝虚実逆転〟は、影と実体の関係を入れ替える。今は影のほうが本体で、お前らはその映し身にすぎん。虚像が勝手に動ける道理がどこにある」
ギギギギッ……ベコッ! ベコッ!!
〈ハミングドール〉の圧壊が始まった。
ドラム缶形状をしていた胴体がでこぼこになり、機体が押し潰され、みるみるうちに小さくなってゆく。
「あ゛っ……がっ……!」
機体もろとも押し潰されてゆくエーミールが、その顔を
エーミールが潰れていくさまを見せつけられたメナリィが、涙声で懇願する。
「やめて! もうやめて!! そんなことしたらエーミールさんが……エーミールさんがぁ!!」
「どうなるって? そんなの知ってる、よぉく知ってる、俺が一番知っている。その悲鳴も涙も全部。十年前もそうだった。俺はあのとき無力だった。俺は、なんにもしてやれなかった」
ジェッツに
ジェッツに聴こえているのは、彼女の名を泣き叫ぶかつての
それだけである。
「……あの日俺は、何もかも失った。だから今俺は、すべてを手に入れる。富も権力も人の命も。――そして俺はお前らに、
たった一つの〝
「今日が、その日……これが、〝計画〟……――これが俺の、〝
それが、ジェッツ・ヤコブソン。
レスローが生み出してしまった、すべてを
「皆既日食まで、あと二十分……前座はお前の
何ものも信じられなくなったその心を食い破り、今ここに、修羅と
「…………潰れろ、エーミール――――マリンと、同じように」
「いやぁぁぁぁあああっ!!」
悲鳴が、露天鉱床の縁に切り取られた丸い空へと吸い込まれてゆく。
雲一つない、空っぽの空へ。
そして、満ちたのは………………
――――――――――――――――――――――――――――――――
「――…………何のつもりだ…………ルグント」
グシャリと、
鉄の
「お取り込み中、恐縮ですが失礼致します、CEO」
ジェッツの手の中、
「
そこからのことは、一瞬のうちのできごとだった。
メナリィの影から伸びていた触手の影が消えて。
〈
露天鉱床の斜面に異形の影が伸びた。
そして、再び〈
「……《
メナリィの声が吸い込まれていった、空の向こう。
チカリと、光の点滅。
そして。
「―――――――――――――――――――《
深紅が、
流星のごとく飛来して、
衝撃波をもたらした。
激震。
巻き上がる
大深度地下に、砂嵐が吹き荒れる。
「ぬぐっ……?!」
その衝撃に、ジェッツの目が
「っ……なぜだ……ッ!」
両腕で顔を
「ズタボロに、してやったろう……!」
ヘビのような瞳が、嫌悪を
「その粋がった性根ごと、へし折ってやったろう……!」
ゆらりと立ち上がるジェッツの背に、殺気が浮かび上がる。
「……お前は、モグラだ! 地べたに
天を
「……そんなモグラ野郎が! どうしてまた立ちやがる! どうして!!
「――えぇっ!? この――――――――――――――チンピラどもがぁぁああっ!!」
「――ハッハァー!」
狂乱するジェッツの、
「ナァ見ろヨ、命中したゼ! ザマァみろ!!」
銀髪を風に踊らせて、女が悪い顔で笑った。掲げたその両拳には中指が立っている。
「しっかり
前部座席から声。
風の音に
風の向きが急速に変わる。
重力があちらこちらへと傾いて、内臓が浮き上がる。
「ドワァッ!? ッぶね……! 少しはマトモに操縦しやがれこのバァカ!」
言われた
「だからシートベルトしろってずっと言ってるだろ?! あと蹴るな!
男は、一振りの操縦
身を乗り出して露天鉱床を見下ろす。
その底に、一度は敗れた相手の気配を確かに感じて。
そして男は、スゥー……と。
胸いっぱいに、息を吸い込んだ。
そして叫ぶ。
「――オレはぁっ! もう絶対にっ! 逃げたりなんかしねぇ! ――」
◆
「――〈これ〉はもうっ! オレのもんじゃねぇ!! ――」
もはや原形を
「……。……何だよ、かっこつけて……主人公のつもりかい……?」
胸に熱いものが込み上げて、声が震える。
「そんな元気が、まだあったんなら…………もっと、早く来いよ…………ばか……」
そう
◆
「――〈こいつ〉はもうっ! オレが独り占めしていいもんじゃねぇ!! ――」
泣き崩れていたメナリィの耳にも、その声は確かに届いていた。
たった数日振りなのに、とてもとても懐かしい声。
まるで、十年振りに再会したような。
メナリィは、彼がずっと忘れたがっているのだと思っていた。
十年前の悲しい事故を忘れて、ただ夢中になれるものを追いかけていたいのだと思っていた。
だからメナリィ・ルイニィは、〝〈ぽかぽかオケラ亭〉の女店主〟という仮面を被ったのだ。
それがどんな夢なのかは知らないけれど、せっかく見つけたあなたの夢を、わたしなんかが邪魔したくはないからと。
わたしのことなんて、忘れてくれてよかったからと。
「……。……そっかぁ……あなたの夢って――」
けれどメナリィは、今、それが間違いだったと知る。
「……お父さんが、ずっとわたしたちに言ってたこと……ずっとずっと、覚えててくれてたんだね……」
涙でぼやけて、見上げた先の景色はもうよく見えなかったけれど。
メナリィには、最初の一瞬だけ見えた〈それ〉のシルエットだけで、十分だった。
◆
「――もう、オレだけのもんじゃねぇ! 〈この機械〉は、
雲一つない、高く突き抜ける天空に――
一筋の、蒸気雲。
「――それが、飛ばないわけがないんだ!! こんな小さい谷一つ、越えられないわけがないんだっ!!」
鋼鉄の翼を広げ、皆の
その目に、
――『サイハ。メナリィ。約束だ。お前らが大人になったら、オレがお前らに見せてやる。オレが見てきた、広い広い世界の形を』
大好きだった義父の声が、記憶の縁に確かに聞こえた。
そして男が――――――〝サイハ・スミガネ〟が、大空に声を届ける。
「――こいつが! 〝世界を見る機械〟! 〈
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