5-2 : 雨
◆
その後もクマ社長は長い時間、エーミールへ昔話を語って聞かせた。
そして手向けの〈霊石〉が、ようやくチロチロと消えかけてくる頃。
クマ社長が去ってからも、エーミールは一人、ベンチに腰掛けたままでいた。
「……ヤーギル」
コートから銃を抜き、ぎゅっと抱き締める。
青い
カエルの姿になったヤーギルが、エーミールの胸に納まっていた。
「ケロロォン……」
「ごめん、ヤーギル……しばらく、このままでいさせてくれ……」
親友と呼ぶ〈
その
「……ケロケロ」
前髪の垂れた主の顔をつぶらな瞳でじっと見上げ、喉袋をぷくぷくと膨らませながら。ヤーギルはエーミールが
「……ヤーギル。私には――」
お互いの顔も見えない暗闇の中、ベンチにかけたままのエーミールが、そしていつ振りかに口を開いた。
「――私には、サイハのように十年も意固地になれる大切な人なんていない……。私にはメナリィのように、そんな
ポツリ。ポツリ。パタパタパタ。
鉱脈都市に、いつ振りかの雨が降る。
荒野へ水が染み渡り、その影を一段と黒くする。
ケロロッ、ケロロッ。
ヤーギルが、雨を喜ぶカエルの唄を歌いだす。
「監視任務だなんて、笑わせる……私は、自分のことしか考えていなかったじゃないか……ヤーギル、君の
エーミールが
ヤーギルの口元に、雨粒が落ちる。
その
「ケコケコ。エーミール殿。エーミール・ワイズ殿」
せめてもの雨
「
そしてコツンと、ヤーギルは小さなステッキでエーミールの額を突っついた。
「ですからほれ、元気を出されい! ケロケケロ!」
「…………」
やがて、パチンッ! と。
ヤーギルを抱き締めていた腕が解け、暗闇の向こうでエーミールが自分の頬を
「……。……ああ、すまない。一雨打たれてすっきりした」
「ケロンッ。それは上々でございますれば! はてさて、すっかり暗くなってしまいましたぞ? 早く帰らねば、サイハ氏が心配しております」
「あいつはそんなこと思わないよ。邪魔者がいなくてすっきりしてるだろうさ、きっとね」
「ゲロロォ……確かにそのとおりやもしれませぬ……」
「……ふふっ」
「ケロケロッ!」
微笑が
脳裏に浮かぶサイハの嫌そうな顔とうるさい声が、今は不思議と懐かしい。
雨を降らせていた薄い雲は晴れ、二つの月と無数の星が夜空をいっぱいに埋め尽くしていた。
「どれ、ただ鬱陶しがられるのも面白くない。少し寄り道して帰ろう、ヤーギル」
「ケロロォ? 何をなさるおつもりですかな? エーミール殿」
O脚でひょこひょこ歩きながら、
「何、大したことじゃないさ――あのチンピラ男に、差し入れでもしてやろうと思ってね」
そう言って歩いてゆくエーミールの脳裏には、クマ社長が去り際に語った言葉が残っていた。
『
◆ ◇ ◆
『――サイハ。聞け』
それは、彼の耳にだけ聞こえる声だった。
『レスローの男の仕事はな、命懸けだ。ある日急に帰ってこれなくなる。そういうこともあるってことを、頭の隅にきちんと入れとけ』
十年前から、ずっとずっと彼のなかに刻まれている声。
何回する気だよ、その話。と、彼はその声を笑い飛ばす。
『だからサイハ、オレと約束してくれ』と、けれどその男の声は、いつも真剣で。
――何だよ。何で「
彼が
――いつもみたいに
少年の声は、いつの間にか叫び声になっていた。
それは記憶のなかへ、空想でもって切り込もうとする行為。
『もしもお前らが
――やめろよ、やめろ! 何でそんなこと言うんだよ! 柄でもねぇのに、オレに頼み事なんてすんなよ!!
少年の声は、涙声になっていた。
『そのときは、サイハ。オレの代わりに……』
――ふざけんな! それは
泣き叫ぶ少年の声は、彼の空想が作り出したものである。
本当の記憶では、彼は義父のその言葉を聞き流していた。
どうせいつもの説教話だと。
だからこの
――オレが
無力な空想を振り上げて、彼の頭のなかで少年が暴れ回る。
十年前の記憶が紡ぐ、
その人の最期の声が、聞こえてしまわないように。
……けれど。
『……そのときは、オレの代わりに、お前が。あの子に世界を見せてやってくれ――こんな小さな街じゃねぇ、だだっ
どんなに、空想のなかで少年が叫んでも。
泣き暴れても。
懇願しても。
義父が
そうして、サイハが
◆ ◇ ◆
――現在。
〈汽笛台〉、倉庫。
サイハは今日も一日中、外にも出ず飯も食わず、機械構造体をひたすらいじり続けていた。
この十年。九歳のクソガキから始まって、十九歳のチンピラに育つまで。ガラクタを
〈クマヒミズ組〉に
けれどそれじゃあコイツを組み上げらねぇと、フリー鉱夫として〈ジャコウユニオン〉の日雇い仕事を自ら選び。
一心不乱。
単純
サイハはこの十年を、目の前に横たわる機械へ、ただひたすらに
大きな背中の男と交わした、たった一つの約束が。こうして彼を、この時点へと至らせる。
それは
「うるせぇ……」
過去の
「うるせぇ、うるせぇ……!」
事実、それはその通りなのだろう――
「だから……たかがそれが、何だってんだ!」
その
「オレが、勝手にやったことだ! オレが、好きにしたことだ! これが、オレの選んだ十年だ! ――誰にも文句なんて、言われて
ボンッ!
何十回と耳にした爆発音を、また一つ積み上げて。
サイハの努力は、また無駄に終わる。
だはー……と、疲労
「くそ……」
けれども。流れる水は、その一度きりでは止まらない。
「くそ……」
ゴシリ。ゴシリ。
何度も拭う。
それなのに……汚れた頬に次から次へと、しょっぱい水が流れてゆく。
「……くそ……くそぉ……くっそぉ……!」
サイハが一人
数か月振りにレスローの地を
窓辺から、湿った冷たい風が吹き込んだ。
そんなとき。
「――……全く……何をやっているんだい、君は」
背後から、
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