第五章 -夢追いの日々-

5-1 : 静かな場所

 ――五日後。

〈ぽかぽかオケラ亭〉。


 その日、昼時のにぎわいを過ぎた店内に、客は一人もいなかった。


 夕暮れ時への仕込みも終えて、店番を一人置き、一同が二階で遅い昼休憩を取っていた折。



「――おんよ、お邪魔すんで」



 のっそりと、その男はやってきた。


 髭面ひげづらの、大男だった。


 ランニングシャツの上にチェック柄の上着を羽織り、ぽっこりと出た腹と丸太のような二の腕をして。

 年は四十代半ばといったところ。


 ギシリッ!


 大男が隅のテーブルに腰を下ろすと、その巨躯きょくに対して小さすぎる椅子が悲鳴を上げた。



「いらっしゃいませ」

 その対応に出たのは店番のエーミール。この五日間でカウガール衣装にも客の視線にも慣れてしまった様子で、彼女の顔にもう動揺の色はない。

注文オーダーを承ろう」



「…………」



 大男が腕組みしたままエーミールを見る。彼女の爪先から毛先までじっくりと。


 その視線は鋭く、エーミールはまるで熊か何かと対峙たいじしているような気分になった。



「……注文が決まらないなら、後ほど伺うが」

 警戒心から、エーミールの声が固くなる。



 ジロリ。

 大男の獣じみた目が、彼女の黒い瞳をのぞき込んだ。



「……エーミール、、、、、っちゅう余所者よそもんは、あんさんのことけ」



 ピクリ。

 エーミールの身体が強張こわばった。


〈ぽかぽかオケラ亭〉でアルバイトを始めて以来、店内で名乗ったことはなかった。



「……。……そうだが、どこで私の名を?」



「ジェッツ・ヤコブソン」

 エーミールの顔をじっとにらみつけたまま、大男が言葉を継ぐ。

「あんの若社長が、あんさんのことを嗅ぎ回っとんぞ」



「!」

 それを聞いて、エーミールの整った眉が怪訝けげんに揺れた。


 ジェッツ・ヤコブソン。

〈鉱脈都市レスロー〉四大鉱夫組合の頂点に立つ巨大組織、〈PDマテリアル〉、CEO。


 この街へ来た初日に顔合わせして以来、エーミールはあの男とは接触していなかった。


 契約関係にはない間柄。サイハとの一件を報告する義務はないし、嗅ぎ回られるわれもない。



 ――なぜ、今になってあの男の名が……。



「その様子んじゃ、〈PDマテリアル〉はここへは来ちゃおらんのんな」

 口髭くちひげをもぐもぐさせながら、大男は出された水をくいっと一息に飲み干した。

「ふぃい……そんならええんよ、そんなら」



 それだけつぶやくと、大男はよっこいせと立ち上がり、大きな手をポケットに突っ込んで小銭をジャラジャラとテーブルに置いた。



「ごっそさん。水、美味かってんよ」



 そして背を向けると、大男はのっしのっしと去っていく。何も注文することもなく。



「ちょ……待て! これはどういう――」



「お天道さんが沈む頃、そこ、、へ来んしゃい、あんさん一人で。あぁそうだんなぁ……〝モグラコロッケ〟を二人前。お釣りはいらんねぇよぉ」



 呼び止めるエーミールへ振り返りもせず手だけを挙げて、そして大男は外へと消えた。


 テーブルに積まれた小銭の山。それがガサリと崩れると、その下から一枚の紙切れがのぞく。


 それは手書きの地図だった。


 大男の見かけからは想像できない、流麗な筆致だった。




 ◆ ◇ ◆




 夕暮れ時。

 空の半分が宵闇に染まり、カラスの群れが夜に溶けてゆく、物悲しい時分。


 エーミールが地図に従って指定の場所へやってくると、ベンチに影法師が伸びていた。



「……あんれ、思ったんよりよ来てくれたんなぁ」



 口髭くちひげをもぐもぐさせながら、昼間の大男がのっそりと口を開いた。


 低くどすの効いた声音とは裏腹に、大男のきついなまりには丸く柔らかい響きがあった。



別嬪べっぴんさんよんなぁ。わしはその格好、、、、んほうが好きやんよ」



〈解体屋〉ので立ちに着替えたエーミールをじっと見つめて、大男は何の含みもなく賛辞を送る。



「それで、余所者よそものの私に何の用が?」



「まぁ、そんなとこん立っとらんで座りんよ。おあ、コロッケあんがとさん」



 昼間の注文通り〝モグラコロッケ〟を手渡して、エーミールが大男の隣に腰掛ける。



「むぐむぐ……わっはは! オケラ亭の〝モグラコロッケ〟はうまいやなぁ。わしはこれんな格好ナリしとんけど、〝ヘビフライ〟は食えんのんよ。ヘビがこおぉてんなぁ。わっはは」



 口髭くちひげに衣をくっつけて豪快に笑う大男。

 その様子は猛獣の熊というより、絵本に出てくる心優しい熊のイメージのほうがしっくりくる。



「ひとまず、貴方あなたのことは何とお呼びすれば?」



「あぁ……わしンことは〝クマ社長〟て呼びやんね。こん街じゃ、みんなわしンことそうとしか呼ばんから、わしも自分のほんとの名前をときどき忘れてしまうやんよ。わっはは」



「では、クマ社長。改めて私を呼び出した理由をお聞かせ願いたい」



 ヤーギルの重みをコートの内に確かめて。エーミールは交渉事に使う声の固さで切り出した。



「……。……ここんがなん場所か、あんさんわかるけ?」



 コロッケの衣を払い、ふぅと満足げに腹をさすってから、クマ社長はゆっくりと口を開いた。



「…………」

 促されて、エーミールが周囲を一望する。


 そこはこの街の中心地である居住区から、南に下った区画。

 迷路のような街並みは途切れ、開けた造りになっていた。


 タイル細工の施された路面。

 家屋も店舗も、出店の一つすらもない。

 あるのは数えるほどのベンチと、広い敷地の中央に建つ記念碑のようなものだけで。



「ここは、公園……いや、というより、これは……――」



お墓、、なんのよな、こん場所は」



 エーミールの言葉を継いで、クマ社長がぽつりとこぼした。



「お墓? …………誰の……?」



 エーミールが尋ね返す。

 自然と、声が細くなっていた。



大勢、、の、やんなぁ。こんの慰霊区と慰霊碑を建てさせてもろたんは、〈クマヒミズ組うちの組合〉なんだけんども。こん下で何人の仏さんが眠っとんか、そんなこともわからずじまいなやんなぁ」



 クマ社長のひげから落ちたコロッケの衣目当てに、ホッホゥとはとたちが寄ってくる。


 それを可愛かわいがるように優しく眺めながら、クマ社長はゆっくりと語り始めた。



「ここんでな、十年前にえらい事故があったんよ。こん街始まって以来の、最悪の事故が――」




 ◆




 十年前。


 当時、〈鉱脈都市レスロー〉には、三つ、、の鉱夫組合が存在した。


 当時において事業規模最大の組合、〈クチナワ鉱業〉。

 勢力第二位の、〈クマヒミズ組〉。

 そしてフリー鉱夫たちの共同体、〈ジャコウユニオン〉。


 クマ社長は〈クマヒミズ組〉創業者にして、街の礎を築いた最初の世代だと語った。


 この慰霊区の敷地は十年前まで、〈霊石〉の採掘場であったという。


 この場所でかつて、無謀な採掘計画が推し進められていた。


 レスローの岩盤には、〈鬼泥岩きでいがん〉と呼ばれる非常に硬い黒色岩石が含まれている。

 読んで字のごとく、〝鬼のように硬い岩〟。

 採掘作業中にその岩盤層にぶち当たれば、別のあなを掘り直すしかないほどの。


 そんな岩石の密集する層からは、決まって良質な〈霊石〉が採れた。


 当時破竹の勢いだった〈クチナワ鉱業〉はこれに目をつけ、大深度地下に広がる〈鬼泥岩きでいがん層〉の爆砕計画を策定した。


 それがすべての過ちだったと、クマ社長は鼻をすする。


 一次、二次と続いた爆砕計画が成果を上げず、焦った〈クチナワ鉱業〉は過剰な爆薬を投入。〈鬼泥岩きでいがん層〉の破壊に躍起になっていた当時の技術者たちは、そのすぐ隣にもろい岩盤が存在していることを見落とした。


 そして。


 地下に爆音と激震が駆け巡り……

 それは、起こるべくして起きた事故だった。


 ありの巣のように張り巡らされていた坑道の連鎖的な崩壊。

 地上にまで到達した地割れと、それに続いた大崩落。

 あらゆるものをみ込んだ大穴は、ぞっとするほど深く、暗く……静かだったという。


 被災者の救出も、生存者の確認も、亡骸なきがらを掘り返すことすらかなわず。

 災厄を逃れた者たちにできたのは、この場を慰霊区として再整備することだけだった。


 それが、十年前にこの街で起きた、事故の記憶――。




 ◆




 クマ社長の話を聞き終えてからもしばらくの間、エーミールは押し黙っていた。



「……。……わざわざ私のことを探してまで、なぜこのお話を?」



「〝あんさんだから〟っちゅうんは、ちぃっと違うやんなぁ」



 エーミールとクマ社長はベンチに隣り合いながら、けれど互いの顔は見ていない。

 二人ともただじっと、慰霊碑を見上げている。



「あんさんが――赤毛の余所者よそもんの姉ちゃんが――〈ぽかぽかオケラ亭〉で働いとるっちゅうて、わしん耳に風のうわさが届いたでんな。知っとってほしかったやんよ、あん二人んこと、、、、、、、



 とっぷりとが暮れ、辺りが暗闇に包まれると、クマ社長は持参した〈霊石〉に祈りをささげて火をともし、それを献火台けんかだいへ手向けた。


 優しい光が、天へ昇ってゆく蒸気を幻想的に照らしだす。



「あの二人、とは――……あ……」



 疑問を口にした途中で、エーミールの口が塞がった。



「おんよ。サイハと、メナリィのことんだぁなぁ」



 リィ、リィ、リィ……。

 辺りから澄んだ虫の声が、いつのまにか聞こえ始めていた。



「……サイハは元々、孤児みなしごでやんなぁ。あん子を引き取ったんがメナリィの親父だったんよ。メナリィのおかあは、あん子を産んですんぐ亡くなってんで、だから親父は『家族は多いほうがええ』言うてなぁ」



 エーミールは無意識に拳を握る。

 クマ社長の口から次に語られるであろう、過去を予感して。



「……。……メナリィん親父は、〈クマヒミズ組わしんとこ〉で働いてくれとってんなぁ。腕のええ技師やって、あの日、、、〈クチナワ鉱業〉を止めに行ったやんよ……そんで今は、こん下で眠っとる」



 上着から酒瓶を取り出すと、クマ社長は口もつけずにそれをダバダバと足元に流して。



「ほんれ、お前さんの好きだった酒だぁよ。あんさんのいるとこまで、染み込んでいきゃええやんがなぁ……」



 献火台けんかだいの〈霊石〉は、いつまでも明々と赤く燃えていた。

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