5-3 : ただただ一途な、

「……!」

 慌ててゴシゴシと、サイハが目元を擦った。

「……うるせぇ。何しようがオレの勝手だろが」



「そうかい。……確かに、それはそうだろうね」



 ガシャン。


 何かの詰め込まれた革袋が、無造作にサイハの足元へ放り投げられた。


 ギシリ。


 続いたその音は、サイハの背後。

 図面台に据えたガタガタの椅子に、誰かが腰を下ろした音。



「――なら、私も私の好きにする。おあいこだ、文句なんてないだろう?」



 エーミールの大人びた声が、サイハのみつく言葉を真正面から受け止めた。



「……。……何だよこのボロ袋」



 振り向きもせず、投げて寄越よこされた革袋をにらんだまま、つっけんどんにサイハが言った。



「君たちに壊されたバイク、〈グラスホッパー〉の残骸さ。まだ使えそうなのをき集めてきた。好きだろ? ジャンク部品」



「……。……ふんっ……礼なんて言わないからな」



 そう言いながら、物だけはちゃっかり受け取るサイハである。



「それは残念。まぁ、ここの居候代はそれでチャラにしてくれるとありがたいかな」



「……そういうことなら……考えといてやる……」



 エーミールが肩をすくめ、図面台に頬杖ほおづえをつく気配が続いた。



「……ひどい図面だな。回路図かい、これ? 読みにくいったらない」



「何だよあんた、人の仕事にケチつけ――」

「クマ社長に、会ってきた」



「…………」

「…………」



 ……沈黙……。


 それから。やがて。



「……。…………どこまで聞いた」



 何かにおびえる少年のような声音で、サイハが問いただした。



「それを話したら、君がクマ社長のところに殴り込んでいきそうなぐらいには、いろいろと」



「……余所者よそもんに余計なこと吹き込みやがって、あのおっさん……」



 エーミールの背後で、悪態を吐いたサイハが黙々と作業を再開する音がしだす。



「……あと何日残ってるんだい?」



 誰の、何の日までのことか。

 エーミールはそこには触れず、静かに尋ねた。


 サイハの、随分と悩むような間があって。



「……。…………。………………あと二日」



 不貞腐ふてくされた声音で、サイハがぼそりと言い捨てた。


 はぁ……と、あきれ声を漏らしたのはエーミール。

「……君、ギリギリまで周りに何も言わずに仕事抱え込んで、そのまま納期すっぽかすタイプだろ」



「なっ……う、うるっせぇな! 女に男の仕事がわかってたまるか!」



「心外だな。〈グラスホッパー〉の設計と組み立て。どちらも私の仕事だよ」



「なっ……!?」



 可変戦闘バイク〈グラスホッパー〉。その機動力と変形機構を目の当たりにしているサイハである。


 エーミールの有する、高度な機械知識と技術力……


 言葉が続かなかった。



「鉄と油の匂いは嫌いじゃないと、前に言ったろう? これでもそこそこ腕の立つ技師だと自負しているんだけどね――少なくとも私なら、こんな汚い図面は引かない」



 何度も書き直されて擦れた図面を、ペラとかざして。エーミールは冷たい声で言う。


 それは技師としての言葉。

 勢いと感覚と情熱だけでやってきたサイハには、反論もできなかった。



「……けれど」

 そこでふと、エーミールの声が和らいで。

「不思議だな……滅茶苦茶めちゃくちゃな図面のはずなのに、君がどういうおもいで何をやりたいのかは、なぜだかよく伝わってくる」



 その言葉を聞いて、サイハはゆっくりとエーミールへ振り向いた。



「……。……何やってんだよあんた」



 サイハが見ると、エーミールは雨にれたコートを脱ぎ、ヘアゴムをくわえ、長い赤髪を丸めてめ直している最中だった。



「新しい製図用紙と、製図道具をあるだけ全部寄越よこしてくれ。回路を一から設計し直す。せっかく腕の良い技師が何日も目の前にいたのに、相談もしてこなかったんだ。今夜は眠れるなんて思わないことだね、サイハ」



「っ……!」



 エーミールのその言葉に、どうしようもなく感情が噴き出して、あふれそうになった。


 咄嗟とっさに背中を向け直して、サイハはどうにか誤魔化ごまかして。



「……ふんっ、言われなくたって徹夜する気だっつの」



「いいね。私も久しぶりに燃えてきた」



 バンッ!


 そこに扉を蹴破ってきたのは、もう一人の居候、リゼットだった。



「……あークソ! ズブれになッちまッた。びネェだろなこのカラダ……」



「冷たっ。ちょ、ちょっとリゼットさん、そんなとこで頭振り回さないでくださいよう!」



 続いてわひゃと上がる黄色い声は、ヨシュー少年。



「リゼット? それにヨシュー? まだ営業中のはずだろう、オケラ亭は?」



 エーミールが目を丸くして尋ねると、リゼットがジトリと目を細め返した。



「ア゛? 今日はもう店じまいだッてヨ。夜の客が最近多かッたの、ほとンどのヤローはテメェのボインカラダ拝みに来てたンだし、主役カウガールがいなけりャヒマなンだッつの」



「なっ……! か、身体目当て!? そ、そんないやらしい目で見られていたのか私は?!」



 エーミールがぎょっとなって胸元を隠した。



「そのう、なので仕込みの料理が余っちゃいまして。持ちきれないからリゼットさんと二人で差し入れにですね……」



 ヨシューがくるりと背を向けると、〝モグラコロッケ〟と〝ヘビフライ〟の入った箱がしこたま担がれていて。〝ミミズヌードル〟に至っては、丁寧に麺とスープが別々の容器に分けられていた。



「オラ、つーワケだ。コレ、オマエらの分!」



 リゼットが、サイハとエーミールへ弁当箱を投げつける。


 エーミールは赤い箱で、サイハの分は黄色。


 仕込みの余り料理はすべてヨシューに運ばせてきたリゼットが、その二箱だけは自分で大事そうに持っていて。


 それが何だかおかしくて、サイハとエーミールはぷっと吹き出した。


 弁当箱を開けると、そこに入っていたのは見慣れない形のコロッケだった。


 赤い箱には、ポニーテールの女性とシルクハットを被ったカエルの形をしたコロッケが。

 黄色い箱には、目つきが悪くて首からゴーグルをぶら下げた男によく似たコロッケ。



「ケロケロ! 小生にそっくりでございますれば!」

「ふふっ、可愛かわいい。食べてしまうのが勿体もったいないな」



 ヤーギルとエーミールがそう言って笑い合っている横で。



「……ふぅ、美味うまかった!」



 サイハは似顔絵コロッケをつかみ、一口で食べてしまっていた。


〈解体屋〉コンビが、そろって目をぱちくりとさせる。



「君……そんなあっさりと食べてしまうんだね……」



「は?? コロッケは揚げたてが一番うまいんだよ。早く食わないともったいないだろが」



 そう言って返す頃には、サイハは再び機械をガチャガチャ分解する作業に戻っていた。



「「…………」」

 エーミールとヤーギルが顔を見合わせ、肩をすくめ合う。


 それからぱっと破顔して、コロッケを一口で頬張ほおばると、彼女たちも持ち場に着いて作業を開始した。



「そんななりで機械いじりばっかしてっから、友達も男も寄りつかないんだぞ、あんた」



「う、うるさいな! 君にだけは言われたくないね。口より手を動かしたらどうだい」



「リゼット氏! 寝転がってなどおらず、小生を手伝っていただけますれば! ケロロォ!」



「ウゲ?! ンッだよアタシ関係ねェじャン!」



「あのう、それではそろそろぼくはおいとましま――」



「ア゛ァン!? ヨシュー、テメェだけ逃げられると思うなよコラァ! アタシと来いッ!!」



「わひゃ! やっぱりこうなるんですかぁ……!」



 その日は朝日が昇るまで、倉庫からにぎやかな声が収まることはなかった。


 今は亡き人と交わした約束を、馬鹿正直に守ろうと十年も足掻あがき続けたチンピラ野郎。


 そこへ急に押しかけて、数日を共にすごしただけの奴らに、彼の十年を理解はできない。


 けれども。

 理解なんてできなくても。


 感じることなら、できる。


 それはのろいと、誰かは言うのかもしれない。

 過去の足枷あしかせと、気の毒がるのかもしれない。


 事実、それはその通りなのだろう。


 否……しかしそれは、それでも否である。


 彼はずっと。ずっとずっと。ずっとずっとずっと……たった一つのことを追い求めてきたのだ――


 そのおもいだけは、誰にも否定なんてできやしない。



「――ごちゃごちゃうるせぇ! こいつはなぁ!」



 リゼットも。

 エーミールも。

 ヤーギルも。

 ヨシューも。

 メナリィも。

 レスローの住人たちも。


 人間も〈蒸気妖精ノーブル〉も関係なく、その湧き上がる感情の渦へ巻き込んで。


 サイハは、その数奇な巡り合わせを、たった一言で片づける。



「こいつは――――――ロマンなんだよ!!」



 だからこれ、、は、〝のろい〟でも〝足枷あしかせ〟でも何でもなく――






 ただただ一途いちずな、〝夢の機械〟だ。

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