3-4 : チンピラ男と暴力女




 ◆




「……オイ、起きろ」

 眠りを妨げて、女の声が聞こえた。

「起きろッての、オラ」



 だるい頭と耳に、刺々とげとげしい声が煩わしい。

 そういや前もこんなことなかったっけ……と、混濁する意識と記憶に流されながら彼は思う。



 ――ああ、ありゃそうだ……勝手にオレの部屋に、上がり込んできやがった、あの女に……顔面踏まれて……たたき起こされたんだった……。



 もしかしたら、あの夜の最低な出会いも含めて全部夢だったりしないだろうかと。そうだここは一つ、思いきり寝入ってみるのはどうだろうかと、彼の意識が深みへ沈んで――


 グビリ。

 液体を口に含む気配。


 そして顔面が、吹きかけられた水でびちゃびちゃになった。



「起きろッつッてンだろが、バァカ!」



 髪を鷲掴わしづかみにされると、左右の頬に強烈な往復ビンタがたたき込まれる。



「――つめった! った!?」



 その段になってようやく、サイハの意識が混濁から浮上した。


 バチン! バチン!!

 往復ビンタはなおも続いている。



「はぶっ! 痛て! ……ぼぶっ?! 痛って!! 起きただろやめろリゼットこらぁ!」



 心地よい微睡まどろみを今回も邪魔され、イラッときたサイハがリゼットの腕をつかむ。



「オッ? ……ハハッ、やァッとお目覚めかヨ、サイハァ」



 サイハのかすんだ視界に、リゼットの小憎たらしい顔が映り込んだ。



「ニンゲンッてのはよォ、構造が複雑すぎてすぐコワれちまう。死ンでンのかと思ッたゼ」



 路地に倒れ込んでいるのを見下ろされる。

 もう見慣れてしまったその悪女ぶり。


 一つサイハの記憶と異なるとすれば、リゼットの白い肌に血がこびりついていることで。



「……怪我けがしてんじゃないかよお前――」

 サイハがリゼットへ手を伸ばすと。

「う゛っ?!」



 ズキリと、サイハの腕に激痛が走った。


 驚いて目をやると、そこには黒い革生地が巻かれていた。



「ケッ! 〈ノーブル〉をかば操者バカがドコにいンだよ! ニンゲンの直し方なンて知らねッての! 買ッたばッかの服がオジャンだ」



 リゼットの肌を赤く染めていたのは、サイハの流血だった。

 見ればリゼットのライダージャケットは左袖が肩口から千切られ、それがサイハの包帯代わりになっていた。


 血でれた自分の手をスンスン嗅いで、「ウェ、鉄クサ!」とリゼットが顔をしかめる。



「アタシのこと吹ッ飛ばして、勝手にあのオンナのタマ食らッてすッ転びやがッたンだゼテメェ」



「……お前は何ともないのかよ……」



 サイハがぶつぶつと文句を垂れる。



「ア゛? ピンピンしてたら悪ィかよコラ」



 サイハの顔の横にヒールを立てて、強請ゆすりをかけるようにリゼットがガンを飛ばした。


 サイハもにらみ返すが。

「……いや……怪我けが、してないんならいい……」



「ム……。…………。……チッ」



 みつく相手を見失い、リゼットが脚を下げる。

 バツが悪そうに銀髪頭をき回した。



「……立てヨ、サイハ」

 それから深紅の瞳で、サイハのことをじっと見て。

「立て、オラ。さッさとしねェと、あのオンナがまた飛び出してくるゼ?」



「だな……」



 その声に促され、サイハがずりずりと立ち上がる。


 あのとき、銃声を聞いた瞬間、考えるより先にリゼットを突き飛ばしていた。

 その際頭を強く打っての昏倒こんとう。腕の傷自体はそこまで深くない。まだ動ける。



「イイか、よォく聞け、バカヤロー」



 立ち上がったことで身長差が逆転したサイハを再び見上げて、リゼットが詰め寄る。



「アタシをかばおうなンて、二度と考えンな。屈辱なンだヨ、ンなことされると……。操者ドライバなら操者ドライバらしく、アタシのコト使い倒す気でいろ」



「だから……何だってんだよそれ……」



 相変わらずわけのわからないリゼットの物言いに、サイハが思わず苦笑する。


 まだ気配はないが、エーミールはここを嗅ぎつけてくるだろう。傷口が熱を持ち、追われる恐怖がつきまとう。


 弱気になっていた。キャッチボールの場にすら立たず、互いに明後日あさっての方向へ剛速球を投げるばかりのやりとりにすら、寄る辺を感じてしまうほどに。


 リゼットのほうも、それは似たり寄ったりのようで。



「アー、もーイイ諦めた。テメェもアタシも、やッぱ言葉じャダメだ」



 リゼットが一歩、前に出る。

 そして無言で、サイハの胸ぐらをつかんで。



「サイハよォ……テメェ、ビビッてやがンのか?」

 彼女の、その真剣な眼差まなざしに。



「……正直、ぶるってるな……」

 彼は不思議と、素直になって。



「フゥーン……。……ナァ、オイ……このままでイイのか? テメェはよォ」



「……よかぁ、ねぇよなぁ……」



 二人の視線が絡み合う。


 メラと、瞳の奥に感情が燃え上がる。



「ヤられたらヤり返すのが、アタシのやり方だ」



「ああ……お前なんかと、意見が合うなんてな……」



 そのまま、沈黙が流れ。



「……クヒヒ、そーいうトコだけ、気に入ッてやるヨ。なら、反撃といこうゼ、サイハァ……」



「くはは……この傷の分、一暴れしねぇとなぁ、リゼット……」



 チンピラ男と、暴力女。


 猛獣二匹が不敵に笑い。

 この土壇場で、互いの呼吸が一つになる。



「そうと決まれば――エェッと、強制接続……コネクターッてドコだ? ココか??」



 そして、リゼットが何やら独り言ち。


 グイッ。と。



 ――は?



 つかんだままでいたサイハの胸ぐらを引き寄せて、リゼットが不意に、唇を重ねた。



 ――……はっ??



 更に。


 舌がヌルリと入ってくれば、それは〝唇を重ねる〟なんて生温なまぬるい表現ではすまされず。



 ――……っはぁぁぁぁああああっ?!



 超展開と、初めての感触。


 サイハは驚きと戸惑いで、身じろぎ一つできなかった。


 間髪をれず、〈グラスホッパー〉の爆音が耳をろうし……

 そして青白い閃光せんこうが、目をいた。

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