3-3 : 路地裏の攻防
◆
ブリキの空き缶が蹴り飛ばされて、狭い路地を挟み込む壁をカランカランと弾み回った。
「あぁくっそ! やっちまった! ついカッとなった……!」
息せき切って走るサイハが、数分前のやりとりを思い返して悪態を吐く。
エーミールのお高くとまったもの言いと、すぐ隣で威勢良く
二人の女の空気についつい流されて、三下悪党じみた
もっとやりようあったろうがと、誰よりもさっきの自分をぶん殴りたいサイハである。
「サイハァ! 何ケツ向けてやがンだこのヤロー!」
並走するリゼットががなった。
サイハが決め顔で
「あのオンナが売ッてきたケンカに!
「お前と関わってから
「疫病神じャねェ! アタシは〈ノーブル〉で! テメェは
サイハの大声に、リゼットが輪をかけて
「〈ノーブル〉と
「だから〈ノーブル〉って……
リゼットは明らかに、
が、リゼットの言葉はあまりに感覚的で、それがサイハとリゼットの双方を
「アァー……! イライラさせやがッて! フツー
「立ち止まってる場合かよ!」と、振り返ったサイハが
「――イイかよく聞け、このバカが! アタシの権能は、〝形態制御〟!」
それをヒョイと、リゼットまるで氷砂糖を
〈霊石〉は燃料資源である。たとえ天地がひっくり返っても食用になどならない。
「ちょ、何やってんだよお前……!」
サイハが「ぺっしなさい!」と駆け寄るより先に。
「……ウゲェマッズ! ゲロマズ!! オエェッ!!」
リゼットが悪態を吐きながら、
リゼットの瞳が、陽光にかざしたルビーのように赤く燃え、口から蒸気が噴き上がり――
「サイハ……《コード590、『そこから動くな』 》」
「……うっ?!」
それ先の目抜き通りで、サイハがリゼットを振りきろうとした際に感じたのと同じ感覚だった。
リゼットに駆け寄ろうとした途上。右手と左足を上げたまま、サイハが固まる。
全身の金縛り。
『そこから動くな』という、リゼットの言葉そのままに。
「アー……〈
なにがしか説明しようとするも、語彙のないリゼットのそれは
「え? 何て?」
間抜けな片足立ちのまま、サイハがぽかんと
「ア゛ー、クソ! アタシの権能はこンな使い方しねェンだよフツーはァ! イッチイチ口で言わないとダメなバカが、
サイハよりも背の低いリゼットが、ヒールと背伸びでズイと顔を寄せてくる。
魔法のような金縛り、これがリゼットにとってはとびきりの隠し球だったようで、深紅の瞳が悔しげに揺れていた。
「よ、よくわからんが……てことはあの〈
「
サイハとの会話に
機械いじりと鉱石採掘に生きてきたサイハにとって、リゼットの話す内容はまるでお
リゼットの〝権能〟なる、言葉一つで肉体を支配してしまう力には、全く理解が及ばない。
「あーもう! 何だっつんだ!? 想像してたより千倍はわけわか――」
頭から湯気を上げそうになっているサイハが、
ブォンッ!
言葉を遮ったのは、
サイハの記憶に既にある音。
聞き間違えようもない、蒸気エンジンの音……。
「――〈解体屋〉を見るのは初めてのようだね、サイハ」
〈グラスホッパー〉の
「私たちを甘く見ないほうがいい……元々は、周りが勝手に呼びだしたんだ――」
バリバリッ、ゴリゴリッ。
まるで坑道を掘り進める掘削機のような振動が続く。
「目標達成のためならば、いかなる障害も崩して突き進む……だから、〈解体屋〉とね」
〈グラスホッパー〉の履く、極太の金属車輪。
その表面から、無数のスパイクが突き出ていた。
高出力で回転するそれが、狭い路地の壁を容赦なく削りながら迫り来る。
「うげぇ?! 道をぶっ壊しながら走るバイクがあるかぁ!」
「逆だね。この〈グラスホッパー〉は見ての通り、規格外に大きいせいで通れない道のほうが多い。……つまり元々、そこに道なんてない。この子が通った後に道ができるんだ」
「澄まし顔で言う
「ああ、自覚しているよ。これが〈解体屋〉のやり方だとね」
周囲の
ドンドン!
硬化弾頭の二連射が撃ち出される。
サイハとリゼットが左右にそれぞれ飛び
ジャキリッ。
三発目の撃鉄を起こしながらエーミールが振り向いたのは右。
サイハの方向。
「へっ……! やっぱオレかよ! さっきの『
「あぁ、素敵な
「どうせならもっと
「同感だね」
ドンドン! ドンッ!
引き金と撃鉄の動きが独立している
が、その不利を背負ってなお、エーミールの三連射は恐ろしく速い。
「だらぁっ!」
サイハのかけ声とともに、飛び散ったのは火花と金属の反射音。
サイハお手製、金属グローブ。
〝かっこいいから〟という理由だけで無駄に両の拳全体を覆う、これまた無駄に分厚い装甲が
しかし直撃こそ防いだものの、飛び退りながらの正面防御では弾丸の衝撃をどうにもできない。
直後、サイハはバランスを崩して転倒してしまう。
ジャキリッ。
六発目の撃鉄が起こされ、弾倉が回転した。
そしてエーミールは目撃する。
向けられた銃口を
「っ!」
駆けるバイクの右側面に乗り出してサイハと
「ハッハー!
躍り出たリゼットが、空中回し蹴りを放った。
「ちぃっ!」
紙一重。
「ナヌッ?!」
「これでぇ!」
ハンドルから両手を離し、車上に完全に寝そべった姿勢で、エーミールが引き金を引いた。
ドンッ!
発砲音と同時。リゼットが
その曲芸に、エーミールの軌道予測が狂い。
必中かに思われた弾丸が、標的を逃す。
「ちょこまかと……脚癖の悪い奴!」
思わず、エーミールの口から悪態が飛んだ。
スロットルレバーから手を離したことで、動力を遮断された〈グラスホッパー〉が自ら生んだ
「六発! 今ので撃ち止めだ! エーミールぅぅぅ!!」
エーミールの動きが止まり、同時に銃が弾切れになったこの瞬間を好機と見て、サイハが飛び出した。
「イイとこ取らせて
リゼットもそれに続く。我先に獲物にありつこうとする山猫のように。
それはチームワークなどではない。
互いが互いを
バイクは停止。残弾ゼロ。
エーミールを丸裸にした。
二人とも、そう考えて疑わなかった。
エーミールがコートから弾丸を
「――ヤーギル!
ガツン!
エーミールが銃身を
ハの字に開いたフレームから空
「ケロロォン!」
銃が気の抜ける声で鳴く。
そして開かれた弾倉から、見慣れぬ
それは
それがエーミールの放った弾丸を正確に捉え、向きさえ
一連の動作は六連一瞬。わずか数秒にも満たない間に、弾丸がフル装填されて。
拳も蹴りも届かない間合いから、エーミールがリゼットへ照準を向けたのを、サイハは確かに見た。
ドンッ!
火薬の
ビチャリ……。
液体の跳ねる音が聞こえ。
「っ……〈煙玉〉ぁ!」
直後、サイハが何かを地面に投げつけた。
表面には意図的に複数の切れ込みが入っていて、
ピシュー!
甲高い音を立てて、球体の中身である〈霊石〉から多量の水蒸気が噴き出し、周囲を塗り潰した。
目抜き通りで使用したのと同じ、蒸気煙幕。
しかし今回は入り組んだ路地内で風がなく、いくら待っても視界が晴れない。
エーミールには、サイハとリゼットがレスローの迷宮へ再び姿を消したのだけがわかった。
深い路地は、ここから更に無数の分岐を繰り返す。
常人による追跡は、ここが限界。
「ケロケロ! 右から三本目の路地へ、エーミール殿!」
が、
『そのさき じゅーじろを ひだり。つづく てーじろを みぎで ありましゅ!』
続いた声は銃からではなく、エーミールの首元。
ネックチョーカーにぶら下げた、空
ぴょこり。
ロケットの中から小さな顔を
「ケロリロッ。我が権能、〝分霊付与〟! 弾丸でさえありますれば、弾頭だろうが空
『そのとーりで ありましゅ!』
ヤーギルと
「泳がせたお陰で、向こうの情勢は
ポニーテールをさっと払って、エーミールが続ける。
「現状、喫緊の脅威にはあたらないと評価する。けれど、人間の生活圏に紛れ込んだ〝ヒト型〟は、存在自体を看過できない。よって当初の行動計画通り、リゼットの排除を継続する」
「ケロリロ! かしこまりまして!」
『いぎなしで ありましゅ!』
三者が方針を確認すると、エーミールは〈霊石〉を取り出した。
精神に感応することで高熱と蒸気を発生させるそれを、素手で
すっと〈霊石〉を額に当てることわずか数秒。赤熱反応に至るより先に、バイクの燃焼室を開けて石を放り込む。蓋を閉めきる直前、〈霊石〉が燃え始めたのが一瞬だけ見えた。
サイハが数十秒から数分かけて、
ドルルンッ。
蒸気エンジンが
「面倒だ。
言うが早いか、エーミールがハンドルを左右に強く引っ張った。
ハンドルのロックが外れ、横一文字の形状であったそれがコの字に組み替えられる。
〝追い〈霊石〉〟によって圧力を高めた動力系が、車体に
ほっそりとしたシルエットだった〈グラスホッパー〉が、仰々しい姿へと形を変えていった。
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