武蔵ゆかりの地に住んでるはずだった話
魚田羊/海鮮焼きそば
この文章はむなしさから生まれています
言わずと知れた二天一流の剣客、宮本武蔵ゆかりの地が出身地です。『武蔵ゆかりの地』を称している場所はたくさんありますが、その中のひとつが、わたしの出身地にある寺院です。武蔵はそこにしばしば滞在し、修行を積んだり、自らが開いた剣術を弟子に教えたりしていたとか。
敷地広いし、本当に立派な寺なんですよ。寺院建築とか全然わからないのであれですけど。『宮本武蔵修練之地』という石碑も立っています。『武蔵ゆかりの地』の看板を引っ提げて、観光名所にもなっています。
私自身、けっこう馴染みのある場所です。夏休みの宿題でコンクールに応募する用の絵を描かされた人、多いと思うんですけど。小学校5年生か6年生のとき、わたしはその宿題で、この武蔵ゆかりのお寺を描くことにしました。建物の価値とか雰囲気とか全然わかってない年頃でも、描きたいと思わされる場所だったんです。
寺院の公式サイトにも、宮本武蔵との関わりを説明するページがあります。武蔵の略歴なども載っていて、充実した内容になっています。そのお寺にとって、宮本武蔵はとても重要な存在なんだと思います(若干下世話な話をすると、おそらく観光アピールとしても)
本題はここからなんですけど。
歴史上の人物ってだいたい、根拠のあやふやな伝説や伝承にまみれているのではないでしょうか。今に伝わっている文書の多くも、その伝説がもとになっていたり、書き写しの過程で内容がねじ曲がっていたり、そもそも後世の創作だったり。信頼できるものの割合は、そう多くないと思います。
武蔵関連もそうです。尾ひれが付きまくっていて、経歴すら実は不明なことが多い。実の父すらわかっていないとか。
で、武蔵ゆかりの地とされるその寺院。「○○寺 宮本武蔵」で調べても全然情報が出てこないんですよ。お寺の公式サイトと、地域の人のブログいくつかしか出てこない。
しかも、公式サイトの記述も石碑もかなり誤謬が多くて、確かなのは「武蔵はその寺で剣術を教えた」ことだけ。青年期に修練を積んだ、兵書を書いた、などサイトに記述されていますが、ほぼ全部が誤り、または根拠がない。
宮本武蔵に関する、信憑性高そうでかなり深掘りされたデータベースサイトを見つけたので、それを基にすると、ですが。そのデータベースに誤りがある可能性はもちろんあります。
ただ、少なくとも『宮本武蔵修練之地』という石碑が間違いなのは、確かなようです。
あれだけ地元で高らかに宣伝されていて、わたしも宮本武蔵に親しみを覚えていたのに。少なくともインターネット上にはほぼ形がない。地元で伝説になっているだけのちっぽけなもの。真実なんてひとかけらしかない。
それがなんだか、すごくさみしく思えてなりません。伝説は伝説のままにしておくのも、ひとつの手なんだろうなあ、とか。そう思いました。
武蔵ゆかりの地に住んでるはずだった話 魚田羊/海鮮焼きそば @tabun_menrui
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