世界の真実
「ルティア。北からの風に……毒などありません」
ルティアはほんのわずかに、ぇ、と呟いた。だが言葉はもう続かない。
困惑の極みに似た色がルティアの顔を埋め尽くし、深赤の双眸は細かく震えていた。
薄桜色の唇は飛び散った地に落ちた花びらように色を失い、ひび割れに似た口の開きだけが残されている。
「毒などないのです。全ては捏造された嘘なのです。ルティア」
冷たい声の一閃がルティアを粉砕して、壊れるようにへたり込んだ。
その可能性を予想していたユウでさえ、旅の目的の消滅に足元がぐらつきそうで、ルティアの心境は想像に難くなかった。だが自分たちはその理由を知る必要がある。
「モノリス。説明してくれ。なぜそんな嘘が、この世界に広まってしまったんだ。僕たちは弱まった南風【ヘーヴァンリエ】を元に戻すためにここに来た。過去の技術を用いれば可能じゃないかという一途の望みに賭けて。僕の母さんからもそう言われている。スリーク一族さえ、【ヴァリ】を信じていたんだ」
モノリスは実に人らしく何かを含ませたような間を置いて「少し遡ってお話します」と語り始めた。
今から一〇〇〇年以上前、この地上には多くの国が存在し繁栄を極めていた。
高度な科学技術によって、【落ちる星の物語】に登場する【空飛ぶ船】などが作られ、天空に浮遊する都市さえ存在していたのである。
やがて到達できる技術の頂点に辿り着いた人間は、その結晶の一つとして【人に似た生き物】である、リーシュの義体や超高性能AIを生み出す。
「その時、人は神へと限りなく近づいたのです。ところが……知識と技術を追い求める一部の集団が最後に残された未知の領域、人体の改造に足を踏み入れてしまいました。それは【人を超えた生命】を創造しようとする狂気です……」
モノリスは暗い声音だけを天高い空間に反響させていった。
「何百という失敗で、何千という命を失っても、実験は止まらず、しかしついに集団の指導者は、最適なDNAの改ざん座標と、薬の投薬配合率を発見しました。【人を超えた生命】が誕生した瞬間です。作られた人の圧倒的な能力は……もうご存知かと思います。この成功は彼らの優越的な意識を増長させ、自分たちこそが人類を支配すべきだという偏った優先主義へと走らせてしまいました。その集団が所属する国は【人を超えた生命】を兵器として使い、精神が耐えられず暴走する初期型を使い捨てにしながら他国を制圧し、領土を拡張していきました。この戦争により、約一〇億人が……殺されました。」
「その指導者が、僕の……スリーク一族。そうだな……モノリス」
「そうです。指導者はヨシロウ・スリーク。イユキ・スリークの父親です。ヨシロウたちは日本という国の、防衛省と呼ばれる機関に所属していました。いわば国の支援を全面的に受けて研究をしていのです。日本国は他国への不可侵と専守防衛、今のアルティスティアに近い理念を掲げていましたが、指導者たちは国の法を変えてまでも、軍事国家への道を突き進み、それがヨシロウの研究と最悪の形で融合してしまったのです……日本国が世界の半分を手にした頃、ヨシロウは研究の集大成として、進化の最終型を完成させます。それがイユキをはじめとした作られた子供たちです」
「息子は製造されたということか。自然に産まれたのではなく……」
ユウの言葉は次第に弱々しく消えていった。
スリーク一族は、まさしく自然の法則を汚した一族であった。
「はい。むしろ、嬉々としてその行為に臨んだと記録されています。息子が人の進化の新しい形となることは、狂気に囚われた科学者には、むしろ喜ばしいことなのでしょう」
ユウは宙に浮いた黒い板を両手で叩きつけた。板は金属特有の振動音を響かせる。しばらくの沈黙のあと、モノリスは再び語り出した。
「子供たちの中には、アルカーディナル家の子もいました。特にイユキとモアレアルは幼馴染みで、子供の頃からとても仲が良かったそうです。この子供たちは暴走することなく、自身でその力を制御して使うことができました」
「そう。ユウは……あんなことがあって暴走してしまったけど、本来は制御できるはずよ」
リーシュの言葉に、ユウは試されていると感じた。
【制配】と過去の技術、さらには自分の身体に刻まれた能力とどう向き合うか。千年を超えて、過去の人々から問われている。呪われた一族は、その呪縛を解き放つことができるかどうか。
「子供たちは兵器として戦争に巻き込まれる中で、自然な疑問を抱きます。人を殺すために生きていく、本当にそれでいいのか、という人間らしい疑問。最初に立ち上がったのがモアレアルです。モアレアルが十七歳の時、考えを同じくする仲間たちと反乱を起こし、山脈を改造して作られたこの研究所を奪い、ヨシロウに戦いに挑みました」
だがモアレアルたちは圧倒的な戦力差を埋められず次第に追い込まれていった。最後の手段としてモアレアルは単独で日本国の首都サカタに侵入し、ヨシロウたちが所有していた超高性能AIモノリスアガリアの破壊を試みたが、失敗に終わり捕らわれてしまう。その時、イユキがヨシロウに反旗を翻し、自身が持つ【制配】を使い、モノリスアガリアを停止させようした。
「それが、世界の崩壊の始まりになってしまったの。ユウ……」リーシュはいつの間にか涙を流し、流れ落ちたそれは、顎はおろか床にまで飛び散っていた。
「イユキがモノリスアガリアの停止を試みた時、ヨシロウが仕組んだプログラムにより超高性能AIは暴走し、世界に向けて荷電粒子砲の豪雨を降らせました。その破壊力はあまりにも甚大で、わずか数時間で世界は滅亡の寸前にまで追い込まれます。ところが暴走は誰の作為も入らずに突然止まりました。その理由はいまだ不明です。これはまさに奇跡でした。しかしほとんどの国が滅び、日本国は北東から南西に島が連なる国でしたが、砲撃によって破壊されて、大地の大半は海中に沈みました。スリード大陸とドリスタ大陸は日本国の成れの果てなのです……」
無機質な空間で反響したモノリスの声は、亡霊の叫びのようだった。
リーシュは泣きながらかろうじて聞き取れる声で、ユウ、と口を動かした。
ユウはしっかりと応えて、リーシュを見つめる。
「私はこの世界を……ぅ、救いたくて。破壊が失敗に終わった時、残された希望は……イユキが持つモノリスアガリアを制御できる【制配】だけだった。モノリスアガリアは全ての技術と知識を記録し、戦略兵器を制御していたヨシロウたちの要。どうしても停止させる必要があったの……だから……私はイユキに叫んだ……アガリアを停止させてと。イユキは両親を裏切るべきか迷っていた。でも最後には……『モアレアルが笑える世界に、僕も一緒にいたい』とイユキはそう言って……私がイユキにそうさせた。だから、彼に罪はないのよ……ヨシロウがモノリスアガリアに暴走プログラムを仕組んでいなかったら、こんな世界にはならなかった……本当に、ごめんなさい……イユキ……」
二人目の崩落は空気に質量を持たせ、ユウの肩にのしかかった。だがユウはリーシュに言うべき言葉を明確に持ち合わせていた。ユウの面影の奥に潜む一〇〇〇年前のスリークに謝るリーシュに、ユウは同じ目線の高さまで下がって柔和な声を聞かせた。
「リーシュ。立たなきゃ駄目だ。リーシュがしゃがみ込んで泣くためにイユキは両親を裏切ったのか? 違うはずだ。一緒に手を取って前に進むためだろう。その願いは今でも生きているはずだ。リーシュの中で。僕の中でシーレの願いが生きているように」
ユウはシーレのように言った。
リーシュは下を向いたまま、小さく「……うん」と言って、震える両手で体を抱きしめた。
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