灰色の遺産

 随分と西にずれていた影響で、ユウたちは予定よりも遅れて目的地に到着した。

 空気が薄いことも重なり、兵士たちの息は極限に荒々しい。

 ケレングは全員にしばらく休憩を言い渡した。だがそれ以上にユウたちを悩ます難問が待ち構えていた。焦るルティアが誰にでもなく問うた。

「目的の場所は一体どこに……見渡す限り何も。どうすれば……どこに入口があるのでしょうか」

 言葉は風にかき消されて勢いを持たない。誰もが沈黙する状況にルティアは項垂れた。

 時折に聞こえる鳥の鳴き声は寂しく響き、あたりに木霊していった。

「【制配】がフォグリオンと通信しているから、もう少し待ってみて。変化があるはずよ」

 リーシュの言葉に「ああ」と答えたユウは、深く考えずに【制配】のボタンを適当に押した。特に画面に変化は見られないが「——————」

 突然に【制配】から音が鳴った。

 ユウは慌てて右手に耳を押し当てた。

「CAN YOU ……CAN YOU HEAR ME MY MASTER————」

言葉のようだが初めて聞く不思議な音の連なり。ユウは理解できずに沈黙した。

「失礼しました。この言葉なら理解できますでしょうか」

「うぁっ!」

 【制配】が喋るなどあまりに想定外で、ユウはおもわず手を耳から遠のけた。

 リーシュが顔色を変えてユウの右手を掴み、【制配】に話しかけた。

「聞こえる? モノリス。わたしは義体【THENAMEザネム】 にインストールされた【モアレアル人格ニューラルネットワーク】のオリジナルよ。私の個体識別番号を確認して」

「サーチ……IDコードレセプト。番号確認————承認。これは……オリジナルもご一緒なのですね」

「ええ、そうよ。いまはリーシュという名前。扉を開けてくれる?」

「了解しました。言語はこのままでいいでしょうか」

「このままで。わたしの母国語ではなく、でお願い」

 【制配】から了解しましたと聞こえた。

「リーシュ、日本語って何だ……ニアス語じゃないのか」

「今はニアス語と呼ばれているけど、その起源は日本語という過去の言語なの。あなたのユウという名前も、その言語を操る国では、よくある名前よ……」

 知らないという事実は不安よりも背筋を凍らせ、恐怖を掻き立てる。

 開こうとする扉から現れる真実への畏れを、ユウは強く感じていた。


「主要電源の回復まであと五分。管理システム損傷率十五%ですが、使用には差し支えありません。施設内の空気は正常です。下がってください。扉を開きます。場所は——————」

 モノリスの声を聞いてリーシュが扉の場所を指し示したが、そこには扉はおろか岩もない細かい砂利の山腹だった。

「リーシュ。扉は————」

 リーシュは手のひらでユウを止めた。

 地面が揺れ始める。隣で小さく「きゃっ」と声を上げたルティアの身体をとっさに支えて、ユウは地面に踏ん張った。

 どこかに隠れていた鳥たちが慌てて飛び去っていった。

 聞いたことがない複雑な音が山肌の上を滑り落ちていく。

 リーシュが指し示した場所に、地表を縦に切り裂く、黒い線が垂直に走り、線上に乗っていた砂利を吸い込みながら、黒い線は横方向に広がっていった。

 やがて長方形の横穴が現れると音は突然に停止し、つんと耳に沁みるような余韻が残った。

 ユウとルティアは横穴の前に立った。

 ユウは凝視したが、穴の先は暗くて何も見えない。時間の断絶を感じさせる独特の匂いが流れ出てユウの鼻孔に取りついた。

「この先にモノリスがある。行きましょうか……」

 ユウの隣に立ったリーシュは懐旧と悲嘆を混ぜたような声だった。

「リーシュ。聞きたいことはあるけど、先を急ごう」

「ようやく全部、思い出した。確認しなければならないことがある」

 

 ケレングは、この場での待機と警備を部隊に命じた。ヤーカトの追撃の可能性を考慮してのことだ。

 勾配をある程度下った場所から横穴まで等間隔で兵士を配置し、ダストリア兵を目撃した場合は、即座にケレングに伝達する体制を取った。

「ルティア。行こうか……いいね」

 ユウは結末を見届ける覚悟を促すようであった。

「はい。ユウ。行きましょう」

 真実に手を伸ばす意思を忍ばせた深赤の双眸を見つめながら、ユウはゆっくりと頷いた。

 横穴に入る時、ケレングが洋燈に火を入れようとすると、リーシュが止めた。

「必要ない。ライト、ってええとね、壁が光るから大丈夫。ユウ、モノリスに指示を出して」

「え、あ、うん。モノリス? ライト? っていうのをお願いしたいのですが……」

「はい。マスター。初めまして。あなたが今の時代のスリークですね。【制配】の故障により、顔を見ることができませんが、イユキに似ているのでしょうね」

「そうよ……瓜二つよ。顔も、その能力も……」

 リーシュが揶揄ってくると思ったが、声は戦慄を背負ったように重たい。

 横穴の入口付近が突然に明るくなった。後を追うように、奥に向かって一定の区間が連続して明るくなり、延々と続く光の通路が姿を現わした。

 床は鉄のような金属だが光沢のない銀色で、左右の壁と天井は刺さるような冷たい白色であった。天井までは約三メートル程度、横幅はその倍ぐらいの長さだ。仕組みは不明だが、天井全体が発光していて太陽の下と同様に明るい。床に残る無数の擦り跡は、かつてここに人がいた事実を伝えていた。

 ユウたちは【制配】の指示に従い、光る通路の中を進んでいった。こつこつと聞いたことがない足音が生まれ、僅かに反響してどこかに消えていく。

 ユウは歩きながら左右の壁の様子をつぶさに観察していた。区間同士が接続されて通路となっているが、繋ぎ目は細い線を書いたようで、どうやって繋げているか検討もつかない。過去の高度な技術は、あまりにも圧倒的な存在に思えた。

 四度左折をしてユウたちは黒い壁に突き当たった。

 リーシュが壁の脇にユウを連れ出し「【制配】を四角い黒板に近づけて」と指示を出した。ユウが【制配】をかざすと、上と下を向く、二つの赤い三角形が黒板の中に現れた。

 リーシュが上を向く三角形を押すと、行き止まりの黒い壁の中心に細い線が現れて、壁が左右に開いた。どうやら扉のようだ。

 だがその先は行き止まりの空間だった。全員が中に入ると背後の扉は素早く閉まり、上に動いているような浮遊感がユウの身体を包んだ。

 しばらくするとそれはゆっくりと停止し、再び開いた扉の先にアニアース城の謁見の間を超える広大な空間が現れた。

 

 天井と正面の壁は、黒い正方形の板を規則的に繋ぎ合わせた面で構成され、対して床は通路と同じ銀色の素材だった。

 空間の中心には、黒い長方形の板が浮いている。素材は金属のようだが僅かに透けて見えた。人がいた痕跡は床に放置された書類ぐらいだった。それとて劣化が極端に酷く、千年の時の流れを感じさせ、無数の椅子に座る者はもう誰もいない。

 ユウは床にしゃがみ、書類の文字に目を向けた。

 擦れて読みづらいが、【日本国防衛省所管 科学技術研究所 山梨第二支部2150】と書かれていた。

「リーシュこの……日本国って……」

「一〇〇〇年前に存在していた国。イユキたちの母国よ。そして、戦争で滅んでしまった国。モノリス。聞こえる? 正面のモニターに、フォグリオンから北方向を映して」

 正面の黒い壁が一気に明るくなり、フォグリオン山脈の麓が映し出された。風景をそのまま写し取った絵に、ユウは言葉を飲み込むしかなかった。

 映し出された絵の右上に、鳥たちが群れを成して飛んでいることにユウは気づいた。

「絵が……動いている。あれは……ピナーシの群れだよな、ルティア」

 ユウが振り向くと、ルティアは瞳を震わせながら画面を見つめていた。

「これは映像っていうの。フォグリオンの中腹に取り付けられたカメラという機械が、外の風景を黒い板にそのまま映している。モノリス。山の頂上のカメラに切り替えて、ウィムフレアをズーム」

 リーシュの指示によって正面の風景は瞬時に切り替わり、はっきりとした建物の群れが水平線上に現れた。

「あれがウィムフレアの外観よ。よく見えるでしょう」

「これが、過去の技術なのか……仕組みが全く分からないが、やはり想像できないぐらい技術が進んでいたんだな。これじゃ、使い方を間違えれば、国なんて容易に滅ぶ……」

「そうです。マスター。いえ、ユウ。帰還をお待ちしておりました。そしてルティア。【落ちる星の物語】の継承者。二人が揃わなければ扉は開かれませんでした。技術の継承が許されるには、資格を持つ二人が同じ意志と歩調でなければならないのです。それはモアレアルとイユキが定めた、あの悲劇を繰り返さない為の決まりごとです」

 モノリスの声は誰かに似ているわけでもなく、複数の声を重ね合わせた造形質の音調だった。

「私は超高性能AIモノリス。モアレアルによって造られました。正式名称は【特殊条件付非サーバント型二種2153モデル】です。【制配】を持つ者と、その者から権限を移譲された人物の指示に従うようにプログラムされています。思考パターンはモアレアルを模したものを基礎として自立思考が可能です」

 ルティアは正面の風景に向かって声を発した。

「モノリス。教えてください。わたしたちは、【ヘーヴァンリエ】が弱まる現象を何としても食い止めたいのです。毒風【ヴァリ】の侵入を防ぐ南風がなくなると、人は滅びるしかありません。この優れた技術で元に戻せないでしょうか」

 

 ルティアは懸命さを最大限に振り絞ったような声でモノリスに問いかけた。

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