赤い絶命

ユウたちを乗せた馬車は街並みを置き去るように南の検問所へ疾走していった。前方の馬車にはユウとシーレ、ルティア、エルシス。ジュリスディスが手綱を取る後続にはハイアードとリーシュ、ケイ、イネスが乗る。ユウは御者台のケレングに大声を張り上げた。

「ケレングさん! ポリアトの姿がありませんでした。既に東門から遠回りに追走しているかもしれません」

「やつらは騎馬部隊でもあるからな。足は向こうの方が早い。できる限り引き離すしかない」

 馬車の洋燈の点滅に従って開いた南門の先には、おいでと手招きする暗黒の大地。

 二台の馬車は門を貫いてイーリーへ突入した。

 荒れすさんだ大地は、フォグリオンに近づくユウたちを拒絶するかのように馬車を揺らした。夕方まで移り気だった空は落ち着きを取り戻し、窓越しの下弦の月は欠けていく命のようにぼんやりと光る。

 揺れる車中で寝ている眼前の二人に、ユウは目を向けた。

 あれだけおかしいと文句を言ったくせにシーレ……と口には出さないが心は訴える。

 ルティアと肩を合わせて寝入る彼女の姿は、ユウを笑顔へと導いていった。

 意識が広がって羽織の裾をふいに見ると、黒色の上に散りばめられた赤色。

 人を切り裂いた感覚が少しだけに手に蘇った。ユウは手を揺らして振り払った。

 戦いは残酷だ。人を殺すなど本質的に悪だと思う。

 だが残酷な判断は誰にも訪れる。誰かを守る為に人を殺す。

 どこかで悪魔と罵られようと、大切な人を守るならそれでいい。

 見たくもない他人の血は生き残った証だ。

 

 ウィムフレアでは、身体に溶け込んだイユキ・スリークの戦闘経験を十分に駆使できていた。だが戦い最中、鋭い眼光を光らせてユウの心底から見上げている何かを感じていた。

 それはどこか狂気に近い薄気味悪いもので、ユウの意識の隙をついて顕現の機会を伺っているようでもあった。

 さすがに疲れているな、と独り言を吐いたユウは、深く椅子に腰かけた。

 揺れは心地よく、意識は次第に薄れ、まどろむ。

 

 気が付くと馬車は停止していた。おそらく馬を休ませるための休憩だろう。

 ユウは重たそうに身を起こしたが、二人はまだ夢の中だ。起こさないようにそっと馬車の扉を開けて、外に飛び降りた。障壁が薄い大地は、南風をさらに早く走らせて、ユウの羽織は荒々しく躍る。

 右腕を見ると午前五時を指していた。

 ユウが御者台に近づくとケレングが大剣の柄に手をかけたまま、周囲を警戒するように立っていた。

「ケレングさん。すみません。寝てしまって……」

「いや、いいんだ。これは我々の仕事だ。後方にはジュリスディスが控えている。ダストリアが追走しているなら、すぐに狙うだろう。定石なら東側から来る。最短だからな」

「わかりました。ぼくも見張ります」

「身体は大丈夫なのか、ユウ。流石に疲れただろう」

 ユウは大きく顔を振った。

「いえ、大丈夫です。だいぶ休めました。東側を見ます」

「わかった。頼む。馬をもう少し休ませないと壊れてしまう」

「ええ、彼らも仲間です」

 ユウは馬車の脇に立ち、窓から中を覗く。

 変わらず、気持ちよさそうに寝ている二人に安堵して馬車から離れ、東の空を眺めた。まだ朝日は登らない。

 それにしてもこの風音は厄介だな、とユウは思った。

 仲間の声さえも至近距離でないと通らないからだ。

 自分の感知能力もおそらく抑えられてしまうだろう。

 地面を踏み鳴らす音が聞こえて顔を向けると、リーシュが歩いて来た。

「なに。物欲しそうに、私をじっと見て。え、ちょっと、三角関係は駄目よ。絶対」

 ユウは思わず吹き出した。からかいが失敗したリーシュは残念そうに眉をひそめた。

「リーシュ、フォグリオンに近づいて来ているけど、何か思い出したか?」

「うーん、ぼやっとしているけど、何かきっかけがあれば浮上しそうな感覚はあるわね。ま、いつか戻るかもしれない…;あ、ねえ、ユウ。【ヘーヴァンリエ】って、本当に過去の技術によって、元に戻ると思う?」

「ああ、少なくても、ルティアやケレングさんは、僅かだけど信じていると思う。といっても、今はそれしかないんだ。拠り所が……」

「そうね、彼らのそうするしかない。ユウは……どう思う?」

「ここだけの話だけど、僕は無理だと思う。風はさ、自然の法則だけが支配する、なんというか、人間の理解の範疇に収まらない存在なんだよ。そうなると、人は【ヴァリ】によって滅びることになるだろうけど」

「そう。風を操るなど、人には超えた所業。ユウ、私はね……毒風【ヴァリ】の存在を疑っているの。本当は毒なんて、ないんじゃないかって。これは直感みたいなものだけどね」

「え……それは……どういうこと」

「感だから説明はできないけど、私の時代には無かった気がする。いずれにせよ、フォグリオンに行けば分かると思う。おそらく超高性能AIがその場所を管理している可能性が高いから、一〇〇〇年分の情報も、保有しているはずよ」

「冷静に考えてみると、南風程度で【ヴァリ】の侵入を防げるとは思えないよなぁ。だとすると【ヴァリ】は————」

 ユウは突然、リーシュの身体をさらって地面に倒れこんだ。

 瞬時の差で、黒い槍がリーシュのいた場所に突き刺ささる。ユウは槍の出先に確かめようと目を凝らすが、遠い暗闇で何も掴むことができない。

 夜明けまで、おそらくあと三十分はかかる。

「もう、なんなのよ————。ユウ。げ、槍……ダストリアか……」

「囲まれている可能性もある。リーシュ、気を付けろ。槍がどこから飛んでくるか分からない」

 正確に場所を補足されているなら、声を張り上げても戦況に変化はないとユウは「敵襲です! 槍の投擲に気を付けてください!」

 ケレングはユウの声に応じて鞘から剣を抜き、馬を守るように構えた。

 ジュリスディスも了解、と声を出せば、シーレが細剣を持って馬車から飛び出してきた。

 ユウは慌てて意識をシーレに向ける。

「シーレ! しゃがむんだ! 敵兵は槍を正確に投げてくる。立つと危ない」

 シーレが急ぎ馬車の後ろに身を屈めたとき、衝撃音と悲鳴が鳴り響いた。

 ユウが音の方向に目を向けると、後続の馬車に突き刺さった二本の槍が微かな月光を浴びていた。馬車の扉を開けると、槍はハイアードの右肩を貫いていた。

 ユウはハイアードを貫く槍の持ち手を切断し、もう一本の槍でケイも負傷していたが、腕をかすめただけで軽傷のようである。

 山猫は幸運にも槍に当たらず、震えて小さく丸まっていた。

「イネス、いいか。床に水平に寝そべるんだ。そして声を出すな……」

 イネスは全力で首を縦に振った。リーシュもユウを追って馬車に飛び乗り、服のポケットから止血用の布を取り出してハイアードの傷口に押し込んだ。

「これは……まずい。治療しないと、そう長くは持たない」

「リーシュ様。これしきで……私は倒れません。フォグリオンの真実に触れていないのですぞ」

「……今は、ウィムフレアに戻らないと駄目よ」

 ハイアードは強い目つきでリーシュを見返したが、リーシュは顔を左右に振った。

「ジュリスディスさん、洋燈に火を! やつらは夜目が効く。こちらの位置はすでに把握されていますから、このままだと的になるだけです! 明るい方が、僕たちは動けます」

 叫びながらユウは馬車の中間地点に移動し、周囲に意識を解き放った。

 風のざわつきが邪魔をするが、ぼんやりと敵兵の位置が脳裏に浮かび始め、囲まれてはいないが、おそらく二十人以上が東側から馬車に近づきつつあった。

 ついにユウの目は、近づく敵兵の先頭にポリアトを捉える。

 ポリアトがにやつきながら右手を小さく上げると、後に続く敵兵の半分は、剣を抜いて先頭を守るケレングに襲いかかった。

 シーレは身を低くしたまま援護に向かい、剣戟音が鳴り響く激しい攻防戦が繰り広げられるが、押される戦況を覆すには、絶望的に寡兵であった。

 

 このままでは押し切られる。

 ユウはウィムフレアでの戦闘を思い起こした。

 自分の意思通りに動く手足、見えなくても感じられる敵兵の場所。

 ユウは能力を解放する合図のように、口を尖らせて息を吐いた。

 よし行ける、そう呟いて脇の小太刀に両手をかけた。

 ユウは風のような速さで大地を駆け、頭目のポリアトに襲いかかった。

 だがポリアトも兵を巧みに操る。

 まるで想定していたかのように、ケレングたちとせめぎ合う兵に合図を出して、その矛先をユウに向けさせた。

 突然の変化にユウの足は鈍り、ポリアトとの間に敵兵の侵入を許してしまう。

 壁のように立ちふさがる敵兵を一人、二人と小太刀で地面に落としていくユウであるが、数多の剣戟の豪雨に防戦を余儀なくされた。

「ユウ!」

 シーレはただ叫ぶ。

 不敵な笑みを浮かべたポリアトは右手を大きく上げた。

 その瞬間。

 風を貫く鋭音が左側からユウに襲いかかる。

 起伏の谷間に隠れた伏兵からの残忍な槍の一閃に、即座に避けようとするが剣戟の雨は止まず、ユウのその場から動くことができない。

 駄目だ————避けられない。


 ユウの視界の左端に、白い何か。

 ワンピースの裾は飛び出した勢いで大きく揺れて、広げた身体はユウをかばうように立ちはだかる。彼女は未来の歓喜さえも全て引き寄せたような笑顔をユウに向けた。

 ずぶっ、となんて酷い音。

 白い彼女の中心に黒点が現れ、周囲に赤い花びらが咲き乱れていく。

 それはこの世界で最も醜い鮮血の花。

 シーレは前屈みにしゃがみ込んだが、身体を貫いた槍が支えとなって、地面に倒れることさえできない。

 ごふっ、と口から泥のような血を吐き出し、乾いた大地は嬉々として残酷に血を吸う。

ユウはただ二歩、三歩と、抜け殻のような身体を引っ張ってシーレに近づいていった。

「シーレ……」

 名を呼ぶことしかできず、ユウの血色を失った深紫の唇はわずかに動いた。

 ユウはシーレの正面に跪いた。シーレは微かに顔を上げる。

 口元を汚す血に、乱れた赤髪がへばりつく。やがてシーレの顔は仄かな微笑みを湛えた。

「シーレ」

 ユウは痙攣するように顔を左右に動かした。

 シーレの細い指たちは震えながらユウに近づこうとしている。ようやくの陽光を受けて黒石の指輪は鈍く光っていた。

「あなたが……い……ない、……そんな世界……なんて」

 言葉が引き金となって口から溢れ出す血液は顎をしたたり、襟元の白をどす黒く一瞬に染め上げた。

「わたし、いらないの……ユウ……あ……」

 伸ばした右手とユウの間は途方もなく、永遠に遠く。

 手は灰色に落ちた。

 美しい赤色は、全て消えた。

 

「うぁあああ——————————」

 止められない咆哮とともに、脳に激痛を走った。

 

 一族の罪が濃縮された狂気がようやく目を覚ます。


 この世界の全てが憎い。ならば、すべてを————殺す。

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