強戦士の矜持
敵兵の後を追い、十字路に向かったユウは、視界を濁す煙から聞こえた鈍音に、思わず足を止めた。
それは何かを押し潰すような不快な音である。
微かなうごめき感じて地表を見てみれば、陣形を抜けた敵兵は全て潰れ死んでいた。常軌の線から飛躍したその惨死に、ユウの背後に迫り来る敵兵の足も自ずと止まる。
ユウは最初、熊でも現れたかと勘ぐった。
ユウの山村にも出没するあれである。
だが前方を凝視すると、二足歩行が視線に入り、どうやら人らしいと思った瞬間、聞き取れる人語が発せられた。ユウはその声に、よもやの聞き覚えがあって悪寒を覚える。
やがて煙はその存在に恐れをなしたのか、徐々に尾を巻いて逃げ去り、街灯は浅黒い巨躯をこんこんと照らしていた。
それは十字路を塞ぐように立ちはだかる黒い壁である。
大剣を軽々と超えた黒い刀身は、ところどころ刃毀れが散見しているが、これは刀であって刀ではない。切ることを目的とせずに、ただ叩き潰すだけの金属の塊。
岩のようなごつい顔を持つ男は、あの日に出くわした天災もとい、狂人のような軍人だった。
「俺様が来たからには、もう大丈夫だ。ははっ————」
「どうやら、間に合ったみたいね。もう、ひやひやさせないでよ」
ユウの隣に並んだリーシュは腰に両手を置いて口を尖らす。
「おおぉ、間に合ったか……」
ケレングは目頭を熱くしながら、遥か先まで連なる重装兵大隊の軍列を見つめていた。
巨躯の後ろから頭髪を惜しくも逃がした小柄な老兵、ハリグレク南方面防衛師団長が現れ、大木のような太腿を、ぺちんと叩いた。
「これ。ギリン。言葉遣いに気を付けろと、言ったじゃろうに。軍人は強いだけでは務まらんぞ。馬斬刀がなければ、おぬしなど、木偶の坊だ」
「大将、そりゃないですぜ。せっかくキマったのに……」
「そういうことは、勝ち名乗りでするものだ……さて。全兵士に告ぐ!」
のらりくらりとした口調は、突如として鋭角に研ぎ澄まされた。
「剣を抜いて構え! 敵はダストリア軍とキタザワ以下、反乱軍……全てじゃ」
六〇〇名の重装兵大隊は一斉に鞘から剣を抜き、擦れる金属音の群は、戦慄を敵兵に塗り込むように周囲に響き渡る。ユウの背後で足が止まっていた敵兵は、踵を返し始めた。
最前列の脇に見知った顔があっって、ユウは思わず叫ぶ。
「ケイさん!」
ケイは軽く微笑んで、再び唇を固く閉じた。
「全軍。突撃! 敵を殲滅せよ!」
ハリグレクの暴風のような号令。重装兵大隊は大波のように十字路を越え、友軍が死闘を繰り広げる前線へと押し入っていった。
ハリグレクはギリンと共に最後尾に残り、戦況を俯瞰していた。
「ケイを知っているところを見ると、おぬしがユウ・スクリークだな。王女の護衛、心よりお礼申し上げる」
深く頭を垂れたハリグレクに、ユウは恐縮の一心で慌てふためく。
口籠るユウに、シーレが会話を取って代わった。
「ありがとうございます。本当に……」
「おお、赤髪の。おぬしがディスクリーン家か。苦労をかけて申し訳ない」
「いえ、自分で選択した道です」
「皆さん、時間がありません。僕は宿に行き、馬車を引き連れてこの十字路に戻ってきます。そのまま全員を乗せて南の検問所に抜け、イーリーに。団長、どうでしょうか」
ケイは姉のような理路整然とした工程を組み立てた。
「分かった。それで行こう。我々はこの場所で警戒しながら待機だ」
ケレングの決断にケイは素早く宿に向けて走り出した。
「久しぶりだな。ケレング」
「ハリグレク……すまない。感謝する。キークラスたちは、全滅寸前だった」
「だいぶ押されていたからのう。しかしここに来るのは当然のこと。国を守る。それだけの為に我らは存在する。ところで……ケイがキタザワとポリアトが密会しているところ目撃したそうだ。やつの逆臣は明白。現在、キタザワの系列は、女王の命を持って東の国境沿いの警備に押しやった上で、その中に潜む反乱兵の炙り出しをしておる。首都は無事だ。安心せい」
「助かる。今回はヤーカトが出てきている。ダストリアも本気だ」
「やつがいるのか……そうじゃのう、ケレング。長年の感だけで言うと、これはいずれ、ダストリアとの全面戦争になるぞ」
「ああ。だからこそ、ウィムフレアが落ちる訳にはいかなかった」
「ケレング殿。俺がいるからにはもう安心だ。ははっ」
ギリンは斬馬刀を肩に乗せて、猛獣が吠えるように笑った。
未だあの日の記憶が色褪せないユウとシーレの両足は、主人の意思に背いて二歩、後退りをしてしまう。
獲物を捕らえる目つきで、ギリンは二人の前に歩み出て————
しかし突然に、斬馬刀を地面に置いて跪き、頭を下げた。
「先日の無礼、深くお詫びする。ソリューヴ様を守って頂き、お礼の言葉をいくら積み重ねても足りない。本当にありがとう」
ギリンの荒くれた外見の内側、その芯に秘められた確かな忠誠。ユウはそれを見た気がした。
遥かに年下の自分たちに跪くなど簡単にできるものではない。彼もまた誇り高きアルティスティアの軍人に他ならない。
「この前は、私もおとなげなかった。ごめんなさい。さあ、立ってください。一緒に王女を守りましょう。あなたの力を、皆が必要としています」
シーレの言葉にギリンは豪快に立ち上がり、黒い巨壁は再び聳え立つ。
斬馬刀を構えて猛獣の雄叫びをあげた。
「十字路は、このギリンが受け持った。誰一人として通さん。ユウ、シーレ。王女様を頼んだぞ」
自分の役割を背負い、誇らしげなギリンの背中は、いよいよ強戦士のそれであった。
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