裏切りの眼光

 ————ケレングは確実に押されている。このままでは。

 ユウは双方の剣が盛大に弾かれた隙間に滑り込み、小太刀を二刀流に構えてヤーカトに向き合った。

「ケレングさん。交代します。一人でなく……二人で倒しましょう」

 ユウは振り返らずに、勤めて冷静な声を装った。

「……そうだったな。頼むユウ。しばらく代わりを」

「ええ、任せてください」

「ユウ! お願い。気をつけて……お願い」

 シーレは戦場に不向きな、愛おしむような声で叫んだ。

「お前は……知らん顔だな……その軍服も、アルティスティアとは違う」

「ただの民間人ですよ……シーレ。大丈夫。さて、行くか……」

 ユウは鋭い緩急の動きで、自分の幻像を置き去りにしながらヤーカトへと近づいていく。

 僅かに戸惑いの表情に浮かべたヤーカトだが、大剣の鋒をユウに向け、幻像の中にその実体を見つけ出そうと目を凝らしていた。

 三人となったユウは横方向に展開し、ヤーカトの眼前に現れる。

「……どれが本物か、分からんな……ならば、こうすればいいっ!」

 ヤーカトは大剣を右から水平に薙ぎ払う。剣は唸りを上げてユウの幻像を上下に二分していくが、実体を捕らえることなく虚しく左へ流れていった。

「違うよ」

 ユウは不自然にヤーカトの真横から囁いた。

「これは……」

 狼狽とも、血湧き肉躍る軍人の歪んだ狂気ともいえる表情を浮かべたヤーカトは、片手を離して柄頭をユウの顔に叩き付けようとした。ユウはこともなく反応して地面を蹴り、後ろにさがる。ヤーカトは再び両手で構えて口角をいやらしく上げた。

「見事だ。名前を聞こうか……」

「ユウ・スリーク————」

 ユウは重力に任せて身を垂直に落とし、しゃがみ込むに寸前に地面を蹴り上げた。

 砂埃が静かに舞う。

 ユウの疾駆に合わせてヤーカトは両手剣を振り上げたが、その動作が既に後手であった。ユウは右手の小太刀でヤーカトの拳を射抜こうとする。

 事が決すると思われた瞬間———ヤーカトは剣を離して、その手を逃がした。

 剣士の矜持に反する予想外の行動に、ユウは反射的に距離を取った。

「剣を離すなんて。剣士ではなく、だだの人殺しということですか……」

「剣士の誇りなど最初からもたぬ。俺は軍人だが、本質は蹂躙者だ。そして、剣はただの道具。おい! 軽い剣を持ってこい」

 ヤーカトは部下が運び込んだ新しい大剣を鞘から抜き、刀身の根元から鋒に向かって舐めるように見渡す。さらなる殺意を帯びた瞳孔は、魂までも喰らいつく死神のそれに酷似していた。

「軽い剣でないと、お前を捕らえきれない。さあ、楽しい死闘を始めようではないかっ!」

 狂気の深淵に身を落とし、暗黒すら光明と歓喜するヤーカトに、ユウはこの場で倒すべき相手だと強く感じた。この者の存在は何も生まずに全てを飲み込み、彼の言葉の通り蹂躙していく。

 速度を増した荒れ狂う剣戟の群れがユウを襲う。

 ユウは剣を受けずに俊敏な足捌きで躱しながらも、ヤーカトの強さを体感していた。

 ヤーカトの視線から次の動きを予想していたユウであるが、その監視に気づいた彼は、目の動きと剣さばきを分離させ、剣を持つ両手は別の意思を持つかのように動き始めた。ユウは感応を極限に高めて腕の動きを捉え、かろうじて剣戟を躱している状態である。

 張り詰めているユウの精神は少しずつ疲労を覚えはじめ、後方に飛び跳ねて間を取り、呼吸を整えた。

「ユウ。無理をする必要はない。敵は私をソリューヴだと勘違いして、宿に向かう気配は見せていない。足止めになっているから、馬車の準備が完了するまでの時間稼ぎで十分よ」

 リーシュがユウに駆け寄って小声で耳打ちをした。

「ああ。だけど……あいつは、今、倒したほうがいい。もしダストリアが過去の技術を手にしたら、きっと僕の……一族と同じことをする。過ちは一度だけで十分だ。この世界も二度目の破壊なんて大変だよ」

 

 呼吸を繰り替えしながら、ユウは物理の総身に問う。

 あと少しだ、いけるかい。

 ユウは瞼を閉じて荒れる心の水面をそっと撫でていく。やがて荒波は風さえも阻む深森の湖面のような、静寂な水平に生まれ変わっていった。

 ユウはその場で、とんとんと小さく跳ね上がりを繰り返し、ヤーカトの不審な視線を受けながら、何度目かの跳ね上がり直後————膝を沈ませて大きく地面を蹴る。再び緩急をつけながら、距離を詰めていった。

 ヤーカトはシーレを模倣するかのごとく、肘を後ろに引いて剣を構え、突きを狙う姿勢で言い放った。「次は捕らえる」 

 ユウはふっと足の力を緩め、ヤーカトの目の前でぴたりと静止した。

 それは青年に似つかない狡猾で、おどろおどろしい誘いであり、さあ、射止めてみろと言いたげな視線を放つ。

 通常なら掛からない罠だろうが、好機を掴めていないヤーカトは甘美な刹那に手を伸ばした。

「貰った!」

 ヤーカトの直情的な叫びが、突き刺す剣と共にユウに放たれる。

 だが誘いにはまった剣戟ほど、避け易いものはない。読み切った軌道に従って、ユウは僅かに身体を逸らしただけだった。剣は虚空を切り裂いて石畳に突き刺ささった。

 ユウは新たに生まれた鋼の坂道を、気取った猫足で歩いていく。

 突然のことにヤーカトはたじろぐことしかできない。

 ユウは大剣の根元で身体を捻りながら飛翔し、ヤーカトを飛び超え、後方に落ちる起動の中で小太刀を構え、無防備な後ろ首に斬りかかろうとした。


「ユウ! 左!」

 それは注意を促す警告といより、窮地を気にかける深く赤い叫びであった。

 ユウが意識を左に向けると、白い尾を引く短剣が迫っていた。

 刀で弾けないと、ユウは羽織の裾を掴んで大きく開き、短剣を包み込んで地面に叩きつけ、そのまま転がり避けながらヤーカトの正面に周りこみ、再び対峙した。

 ヤーカトの鋭い視線はポリアトに向けられた。

「ポリアトか。余計なことを」

 縮み上がりながらもポリアトは答えた。

「し、しかし、ヤーカト様。あのままでは……」

「まあ、いい……生き残たったということは、私には王女と本を手にする権利があるということだ。ははっ」

 ヤーカトは傲慢な高笑いと噛みつくような視線をリーシュに向ける。

 リーシュはヤーカトの視線を綺麗に流してユウに近づき、肩に手をかけた。

「やれるものなら、私を捕まえてみなさいよ。ふん」と鼻を鳴らす。

「挑発し過ぎだって」

「ユウ……と言ったな。私が足元をすくわれるとは。脆い平和に腑抜けているアルティスティアに、お前ほどの戦力があろうとは。侮れないものだ」

 ヤーカトに答えたのはユウではなく、割って入ったケレングだった。

「軍を退け。ヤーカト。これ以上、戦況は動かない」

「引いてどうする? また別の機会にやるのか。言ったはずだ。全てを奪うと。それにお前、忘れていないか。我々の手引きをしたお前の旧友を」


「ケレング殿!」

 後方からキークラスが叫び、両脇の建物の隙間から、アルティスティアの軍服を着た兵士たちが溢れ出してきた。

 だが現れた友軍のはずの兵士たちの目には、歴然したユウたちへの敵意が宿っている。

「予定通りの時間か。キタザワ!」

 ヤーカトの呼びかけに、左の脇道からキタザワ東方面防衛師団長が姿を現した。

「苦戦しているじゃないか。ケレング。お前らしくもない」

 キタザワのわざとらしい両天秤な発言に、ヤーカトは笑みを浮かべ、ケレングは引きつった表情で叫んだ。

「貴様っ。軍に入隊した時、女王に誓った忠誠は捨てたのか。国と民を豊かにすると……」

「そんなものは最初から持ち合わせていない。私は自分が豊かになる手段として軍を選んだだけだ。別に貧乏な出ではないが……ただ、もっと欲しいのさ。それだけだ」

 ケレングは無言のままだった。

「あんなちんけな小娘の王女など守ってどうする? さあ、ケレング。こちらに王女と本を渡したまえ。礼はするぞ。金と物。これこそがこの世の全てではないか!」

 ケレングはキタザワの前に歩み出て大剣に向けた。

 呼応するようにキタザワの背後に控える、もはや反乱兵は、一斉に鞘から剣を抜く。

「……そこの女性は、ソリューヴ王女……いや、違うな」

 敵兵の中で最も彼女を知るキタザワは、リーシュの擬態を易々と看破した。

 リーシュは、あらま、と唇だけを動かして、外套を脱ぎ捨てた。

「お、お前は、あの時、私の短剣を掴んだ……」

 ポリアトはあんぐりとして、裏切られたような視線をリーシュにぶつけた。

「正解。そうよ。私はソリューヴではない。無関係でもないけど」

「ははっ。これはやられたなヤーカト。あれはソリューヴ王女ではないぞ。王女はまだ宿にいるはずだ。ここは我が配下が引き受けようではないか。全兵、前線へ! ダストリア軍が抜ける通路を作れ!」

 キタザワは薄く嘲笑いを浮かべながらヤーカトを促した。

「俺もコケにされたものだ……全軍、聞け! 王女は本来の目的の場所にいる。各々に敵兵をすり抜けて前進!————」

 ヤーカトは剣を大きく掲げて一気に振り下ろした。追い立てられた敵兵は奇声混じりの咆哮を飛ばしながら、ユウたちに襲いかかる。


 同じ軍服の反乱兵は騒乱に容赦なく薪をくべる。緑と紫の混色は不均衡に溶け合い、激突する前線は数に押され、じりじりと十字路に後退していった。


 ユウたちは苦戦する友軍の間をすり抜けて後ろに下がった。

 すかさずキークラスがケレングに駆け寄り「ケレング殿、ソリューヴ様を逃がしてくれ。この場は、もはや時間の問題だ。だがいずれウィムフレアの全軍が集結し、必ず奴らを追い払う。そろそろ、馬車の整備も終わるだろう。早く行くんだ」

「しかし……お前たちは全滅するぞ……それにウィムフレアが陥落する可能性もある」

「ああ、そうかもしれんが、そうでないかもしれん。だがなケレング殿。今はやるべきことを、お互いにやろうじゃないか」

「……キークラス。分かった……」

 無念さを隠さないケレング。だがその時、ついに陣形の左側が崩れた。

 この機を逃すまいと、深紫色の敵兵の群は、剣を振り上げて突破を図る。

 一度崩れると陣形は儚くも脆い。

 続けざまに陣形の右側も壊されて、更なる敵兵が雪崩れ込んできた。

「全員退却! 急げ!」ケレングが叫んだ。

 

 状況は最悪に招かれて、深淵に引きずり込まれていった。

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