双璧の激突
「ねえ、リーシュ、右の奥にいる男……アティックでルティアを奪おうとしたやつ」
ユウとケレングの背後で、前線から抜け出す敵兵を捕らえようと目を光らせていたシーレは、敵群の中にポリアトを見つけた。ユウに助けられた先日の戦いは、尊厳高い彼女にとっては敗北に近いものだっただろう、姿を見つけるやいなや、下唇を噛み締めて左脇の細剣に手をかけた。
シーレは白いワンピースを着たままだ。
彼女の象徴たる赤い上下を着る時間も惜しみ、戦場に赴いたからである。シーレの鋭い睨みを感じ取ったのか、ポリアトはべたつく微笑を浮かべながら前線へと進みでた。応じるようにシーレも友軍を掻き分けて前に行こうとすると、リーシュが止めた。
「シーレ。気をつけて。私の見立てだと……あなたと互角以上よ」
「ええ、分かっている。もう不覚は取らない」
自然に両軍の兵は剣を降ろして、シーレとポリアトは一対一になる。
シーレは鞘からレイピア抜いて、水平に突き刺すような構えを見せた。
背後の火焔がポリアトの表情を闇に沈ませ、眼光だけがシーレに放たれている。ポリアトは両脇の短剣を抜いて、右手を前に突き出し、距離を測りながら身を屈めた。
「これは……先日の赤髪のお嬢さん。また会いましな。白い服など、宴の最中でしたかな」
「ええ、そうよ。だから邪魔なのよ。とっとと、帰ってくれると助かるんだけど」
悪態には相応の態度でからかい返すシーレに、ポリアトは息を吸って引き気味に笑った。
「これは痛快だ。しかし先日の失敗もあって、私も後がない。部族の長でもある私は家族だけを見ている訳にはいかないからな。ここできっちり回収させてもらう」
「あなた、それで家族、ましては部族が幸せを感じると思うの? よく考えなさいよ。奪いとったもので幸せを感じる人が、どこにいるのよ」
「お前も同じようなことを……なんとでも言えばいい。これが私たちの生き方だ!————」
切った会話の裂け目からポリアトが忍び込む。右手の短剣はレイピアの鋒を撫でるように遊んで外に除け、同時に左手の短剣をシーレに突き出した。
対してシーレは素早くレイピアを後方に引き戻し、返す力を乗せた剣尖でポリアトを襲う。刀身の長さで分があるシーレが有利なはずであるが、ポリアトは左手を下方に沈めてから上方へと跳ね上げ、レイピアをさらりと弾く。
まばゆい銀色の一閃は、木霊ように尾を引く音を周囲に響かせた。
その一撃が合図となり、双璧は壮絶な剣激戦を繰り広げていく。
残像が剣戟の軌道を微かに伝え、移動する金属音は押し付けあう死線の場所を明確に示していた。剣士たちの演舞は、両軍の兵の戦意に覆いかぶさって、傍観者へと変貌させる。
ポリアトはまさに老獪な双剣使いだ。
シーレが繰り出す剣筋を的確に読み切って、その剣尖を左右へと弾いていく。
深く伸びたポリアトの短剣は急所を狙い、対してシーレは巧みな剣捌きで弾き返していたが次第に遅れを取り、後退しながらの回避へと追い込まれていった。
時間の経過と共に、優勢はポリアトに傾きつつあるように見えた。
シーレは間合いを取るように大きく飛び跳ねて後退した。
だが、汗で顔に張りつく髪さえも美しい装飾のようで、双眸の微光は失われていない。
「さすがに強い……ならば……」
シーレはレイピアを両手で持ち、右後方に両腕を深く引くと、ゆっくりと腰を落としながら左足を前に出した。それは明らかに異形な姿勢である。レイピアはしっかりと固定され、その鋒はポリアトの両眼を狙っていた。
ポリアトはその独創的な構えに、両目を訝しげに細めた。
「ほぅ。それは……珍しい構えだな」
「ええ、私の家系だけが使う『突き』よ」
「それは面白い! その『突き』受けようではないか」
「楽しんで……ねえ! ソリューヴ! これお願い!」
シーレは腰に巻いた二重の細革帯を解いて、リーシュに放り投げた。
黒いワンピースを隠すために外套を着ているリーシュは、あざとく慌てふためいて両手で掴むと、ポリアトは薄笑いを浮かべた。
「……王女は宿に隠れていればいいものを……まあ、いい。手間が省けた」
赤髪は嬉しそうに揺れ動き、重心を乗せた左足は砂埃を食んで————地面を蹴り上げた。
レイピアは彗星のような尾を引いてポリアトを貫こうとする。
耳を塞ぎたくなるような金属音が鳴り響き、左の肩当てが血しぶきと共に宙を舞った。
「……くっ。なんという速さだ……」
肩から流れる血を右手で押さえ、しゃがみ込んでいるポリアトに、シーレは再び型を構える。
「足りなかったようね。私の剣。もう一度……あげる」
ポリアトは顔をしかめたが何も発することなく、かさつく唇を薄気味悪く真横に開いた。
シーレは終劇となる剣戟を浴びせた————
だが、泣き叫ぶ金属音。
黒い大剣によってレイピアは銀針のように弾き飛ばされ、シーレは無手となって後方に身を引いた。
「どうした。ポリアト。あんな玩具のような武器に、何をてこずる……」
獰猛さを何倍にも凝縮させた、どろりとした人の声。目にした者に強制的な竦みをしいるような威圧をまとった巨躯は、明るい紫色の軍服と、地表にまで届く外套を着ていた。
通常より遥かに長く黒い大剣は、規格外という彼の存在にふさわしい。
ケレングを超える体躯は隆隆した筋肉だけで構成され、荒々しく乱れた黒い長髪は悪神のように見えた。
ヤーカトは貫くような視線でポリアトを見つめている。
「ヤーカト様。申しわけ……ありません。手負いを……これ以上は」
「どうした。聞こえないぞ、ポリアト。何か言ったか。まだ敵はいるぞ」
全てを抑え付けるような絶対の音階に、ポリアトは恐怖だけを顔に塗りたくっていた。
ポリアトは驚き震える声音で「あ、いえ、なんでも……ありません。戦えます」
「ああ、そうだな。よろしく頼む。少し助けてやろう」
ヤーカトはシーレに向きあって一歩踏み出したとき、二人の間に我らの武勇が堂々と現れた。
「久しぶりだな。ヤーカト。三年前の国境動乱以来か」
「おぉ、ケレングではないか。あの時は十分に楽しめたな。お互いに」
鬼に怯む様子などみせないヤーカトは、再会を祝しているようであった。
「戦いと略奪に歓喜するお前と一緒にするな」
ケレングは両手で柄を強く握りしめ、同胞を呼ぶようなヤーカトを否定した。
「お前とて、戦いの中で生きて来たではないか。求めるものは同じ。戦いの中でしか生き方を見つけられんのさ。我々は」
「違う。俺にとうに見つけた。戦いの外に生きるべき理由を……」
ケレングは胸にポケットに視線を柔らかく落とした。
「寂しいことを言うな、ケレング。俺は楽しいぞ。奪い取ることが至高の頂きなのだ。ははっ」
「それほどまでに、なぜ奪うのだ。ヤーカト」
憤慨に瞳を塗りケレングは睨みつけるが、ヤーカトは鼻で笑った。
「ふんっ。いまさら何を……単純なことだよ。人間の欲求に従うまでだ。より豊かになりたくはないのか、ケレング。この世界の富を誰が取るか、そして誰から奪うかだ」
ヤーカトの瞳孔は見開き、悪意で煮えたぎっていた。
「共に分け合うことが人間だ。一つしかないなら半分に。それが人間の共存という……」
「見解の相違だ。一つしかないなら、全て我がものに。それがダストリアだ。我々がなぜここに赴くことができると思う? ケレング」
強い自負を積み上げたヤーカトの態度に、ケレングは沈黙のまま、まなじりを硬くさせた。
「わからんか、ケレング? それは国民が我々を支持しているからだ。この剣や鎧、そして食事。全ては国民からの徴収によって支えられているのだ。ここにいるのは……いわば国民の求めでもあるのだよ。もっと豊かにしてくれ、もっと多く実りを。それに答えるのは公僕の極みではないかね……」
ケレングは大きく、かぶりを振った。
「お前たちが、そのやり方でしか国民に未来を見せないからだ。全ての人々が平等に幸せを求められるようにと、それを示すのが、お前たちの役割ではないのか」
冷え切った空気のような嘲笑いは、ヤーカトによく似合う。
「ははっ。豊かな国は、思考さえも無駄な装飾のようだ。それで人の欲望は満たせるのかね。人の幸福は他人との差が生み出すものだ。隣人よりも豊かに。これだけが明白な人の真実だ」
「豊かさは富だけではない。人の連なりの中にこそ、人間の豊かさの本質があるはずだ! せやぁっ!」
ケレングは正眼に構えた大剣をヤーカトに叩き落とした。ヤーカトも手に持つ大剣で容易に受け切って力任せに押し返す。ケレングは押し込まれて数歩後退した。
「言いながら斬りつけるとは。お前とて、対話を選んでいないではないか!」
「ならばお前は、対話のテーブルに着くかね、ヤーカト」
「これは失礼。私が無粋だ。正しいかどうかは、生き残ったものが決めることだ」
「……ならば、我々アルティスティアが、最後に残ろう」
「私を倒せるのかね、ケレング……まぁ、いい。どちらにせよ、王女と……例の本が手に入れば、我々の豊かさは飛躍する。全てを奪える力が手に入るのだ」
「やはり……知っていたか。本の真実を」
「あの本の内容が真実なら、千年前から続く我らの王家も、いくばくか継承する権利があるはずだ。極めた技術が埋められたまま朽ち果てる道理はない。ダストリアが全てを貰い受ける。心配するな。きちんとお前の国も支配してやろう」
ヤーカトは未だ収まらない火焔を背景に、天高く大剣を掲げた。
強烈な一撃がケレングに落とされて金属音に街がわななく。
ケレングは大剣を斜めに構えて受け切り、力の均衡は二本の剣を空中で固定させた。ギリギリと双剣が噛みつき合う。
「さすがだ。受け切るとは。お前ぐらいだよ。だが……お前は身体を無理に鼓舞しているだけだ。俺はお前よりも……遥かに若い」
不遜な笑みを浮かべた老いた剣鬼は「誰一人とて通さん」と高らかに宣言した。
「ならば、受け切ってみせよ。俺の剣さばきを。三年前より重たいぞ、ははっ」
鋭い剣戟が容赦なくケレングに降りかかった。
ごりっとえぐり削るような重低音が生まれては、燃え上がる背景が吸収していく。ヤーカトはその膂力に頼らずに、外見からは想像できない型のある太刀筋を見せた。二人の立ち位置は次第に変化し、ユウの視界に映るケレングの背中が大きくなっていった。
受け流しているが、耐え凌ぐのがやっとのようであり、ヤーカトの大剣は徐々にケレングの肩を掠め、あるいは腕に切り傷を残していった。
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