早熟は躍動し老兵は威圧する

 火災を告げる鐘の音が響き渡るウィムフレア。

 本来なら夜の酒場を目指す人々や、作品を売り込む若い芸術家たちで賑わいを見せるのはずだが、今は身を隠すように、逃げまとう人々が目につく程度だった。

 東の空は朱色に染まり、傾注した欲望が渦巻く夜の舞台がすでに幕を開けていた。

「それにしても……すごい煙……すでに街全体が覆われている……」

 驚きがシーレの言葉をちぎっていく。

「煙が収まらないのは風が煽って火焔が周囲に広がっているからだ。だが……敵の位置はちゃんと分かる。大丈夫だ」

 ユウの視覚は人の範囲を超え、灰色の煙も無色透明な空気となり、遥か先まで見通していた。

 突如に空気が揺れ動き、前方に見える十字路の左、すなわち東から咆哮の群れが鋭く吹き込んできた。ゆうの左手の親指は自然に鍔を押し上げる。

 振り返ったユウはケレングたちに目で静止の合図を送り、自身は十字路の中心に走り、東に顔を向けた。

 視線の先には、昼間と見紛うばかりに燃え上がる赤明の背景に、深紫色の敵兵が不愉快な笑みを浮かべながら踊り狂っていた。

 枯れ草色の友軍は、くっきりとした動揺を背負って慌てふためいている。

 ユウはとっさにケレングたちを呼び寄せた。

 想定よりも鋭い窮地に、ケレングは焦りを隠せない。

「これは……押され過ぎている。このままでは十字路まで後退するのも時間の問題だ」

 赤く照らされたケレングの顔の陰影は、一層に深くユウの瞳に映る。

「なら余計に急ぎましょう、ケレング。ここで食い止めないと前に進めない」

 リーシュの合図に従って全員が赤い舞台へと向かう。火の粉混じりの空気がユウの顔に刹那の刺激を残していく。

 

 間近に見る戦場は、まさに狂乱の極みを一層に凝縮させていた。

 命を奪われた人々はモノと化して道路に横たわり、その上を誰かが蹂躙していく。モノの色は圧倒的に枯れ草色で、傷口から滴り落ちる赤い液体は石畳の隙間に吸い込まれていく。  

 混乱の根源は、ダストリアの巧みな戦術によるものだった。

 道幅を埋めた矢のような陣形は二列で構成され、一列の兵が肩で息をしだすと即座に二列目と入れ代わり、二列目は脇からも剣先を送り出して相手の隙を突く。常に二人対一人に持ち込む、実にいやらしい戦い方だ。

 そして隙間が生まれたと見ると、矢の陣形は一斉に前進し、踏み鳴らした足音は耳からも相手を威圧する。集団戦では明らかにダストリアに武が微笑んでいた。戦術に飲まれた友軍は策もなくただ突進し、無残にも灯火を自ら消していった。   

 

 悲鳴と剣戟の暴風の中で、研ぎ澄まされたユウの聴覚は、微かな声の違いを正確に捉えていた。その中に特異点が二つ。一つはアティックと同じ声の叫び、もう一つは地響きのような圧音が耳にしつこい。彼がおそらくヤーカトという人物である。

 ヒロミカが叫んだ。

「キークラス司令官!」

 爛れ気味の喉から押しされた呼び名は、最後尾の人物を振り返らせた。逆光の中、振り返った男の右頬は剣による切り裂きが痛々しく、血は止まったようだが、胸当てをどす黒く染め上げていた。齢は四十代中盤といったところだが肌艶は若者のそれであり、鍛え上げられた痩身はユウに近いものがあった。

「その声はヒロミカか! 無事か。後ろは……ケレング殿! なぜ逃げないのだ! そこ左! 陣幕が薄いぞ! 一人ではなく組みで当たれ!」

 キークラスは怒りと困惑が混ざった視線をケリングに投げかける。

「ああ、分かっている。だが加勢する。ここで戦線を押し返さないと、後方の十字路が取られる。そうなると我々は街から出られない」

 キークラスはやれやれといった表情を浮かべたが、やがて蹴返すような笑みに変わった。

「……ではぜひ、ケレング殿の勇歴にこの戦いを加えてください。とはいえ、戦況はご覧の通り。東門周辺の住民は避難しましたが、街は焼かれ、既に六割の兵を失いました。敵の残存兵力はおよそ百五十人。すでに我々は寡兵です……おや、そこのお方は……」

 ケレングはキークラスの口を塞ぐように、右手で制した。

「この方は、外見は全く同じだが、言うなれば囮だ」

 リーシュはふわっとしたルティアを真似た微笑で応えた。

「これは、これはっ……事情が複雑なようだ」

 そう言いながらも、キークラスの口調は跳ねるように勢いがあった。

「ユウ、どうする? 今のあなたは戦況を把握できていると思う……どうかしら」

 リーシュの問いかけに「こちらは予想外の行動で撹乱……通常なら敵兵が薄いところを狙うのが定石でしょうが、逆で行きます。つまり……」

 ユウは矢の最先端、おそらく最も屈強な敵兵が揃う場所を指し示した。

「先端を叩く。僕とケレングさんが組みとなり交代で。シーレとリーシュはそこから漏れた敵兵を迎え撃つ。予想外に先端が乱れるとヤーカトが出てきます。そこを叩く」

 シーレは「分かった」と答え、リーシュも後を追うようにユウに頷き返した。

「よし。それで行こう。キークラス、いいな」

「わかりました。ヒロミカも後方の二人に加勢を……しかし、声まで瓜二つとは。これは確かに囮になりますな」

「そう願おう」

 簡素に答えてケレングは全員に準備を促した。

 ケレングとシーレは抜刀し、武器を持たないリーシュは、肩を回して準備体操。

 ユウは深く深呼吸をする。脳内で騒いでいた閃光は、いつの間にか消え去 り、アティックと同じ身体感覚がユウに装備されている。わずかなぴりつきが脳裏に疾る。

「僕から……行きます」

 ユウは這うように身を屈め、亡霊のごとき残像を残しながら友軍の陣をするりするりと抜けていく。

 瞬く間に炎天の舞台へとユウは躍り出た。

 ユウは両脇の小太刀を抜刀すると、敵兵は眼前に二人。

 鎌形刀剣を巧みに操り襲いかかる左上からの剣撃を、ユウは最小限の動きで右に逸れて躱して、右足で地面を蹴り上げて敵兵の懐に入る。

 流れるままに左手の小太刀で首元を切り裂いて、勢いよく湧き出す鮮血のしぶき。それは醜い汚れとユウが右前方に避けると、もう一人の敵兵は刀剣を振り上げた。だが瞬時の摺り足で、ユウは再び敵兵の懐に忍び込んだ。

 右手に持つ剣の鋒を正中線に構えたユウは、躊躇など忘れてみぞおちに突き刺した。

 ぷすっと肉を食み、炎を映す銀燭の刃は、赤血を吸う。

 ユウは敵兵の肩に手をかけて押し倒し、刃はまだ足りぬと光ながら抜けた。

 遥か先代の経験は【制配】を通して身体に染み渡り、十割の同調を持って同化している感覚である。いまや総身はむき出しの神経のようにこの場の全てを理解していた。

 ユウはこの先に誰も通さないと誓い、口角を上げた。

 それは内心では勝者の微笑、敵には冷徹な嘲笑い。

「これで二人目……」 

 ユウは大きく息を吐いて呼吸を整えた。熱を帯びた身体から吹き出す蒸気は、冷やされて顕現さを増し、視認できる殺意のようであった。

 

 まだ十分に戦えるユウだが、戦況の撹乱に変化が必要だろうと、相棒と言うには失礼にあたる人物の名を叫んだ。

「ケレングさん!」「おうよっ!」

 ユウの声が響くと同時にケリングが咆哮した。

 鬼の形相をまとうケレングは、剣というより刃金がついた棍棒を正眼に構えて、ユウの後ろに姿を現した。

 間髪入れずにユウはケレングと入れ替わって後退、武勇は敵兵の前に城壁のように聳え立つ。

「こい。虫けらども。一人残らず地面に叩き落としてやる。このケレングが相手だ」

 ケレングは意図的に自身の名を繰り返したようであった。アルティスティアのケレングといえば、かつては剣鬼と恐れた武人であり、その名を知らぬ者など敵軍を含めて存在しない。

 矢の陣形の先端だけでなく、両脇の末端まで轟いたケレングの豪声は、一瞬にして敵兵の足に、脱ぎ難い足枷を取り付けた。

 これを転機と見たキークラスは、大声をあげて前線を押し返す指示を出した。

 触発された友軍は、おのおのに戦況を変えるべく剣戟を繰り広げ、前線は徐々に十字路から遠ざかり、東へ押し返されていった。

「……さぁ、どうした。お前ら来ないのか」

 ケレングからの暗闇への誘いである。

 だが甘言の出所とは反対の方向に、敵兵の足は動き出した。

「……なら、俺から行こう」

 ダストリアの面々は恐怖を宿した瞳を震わせながらも、どうにか抜刀する。鎌形刀剣の背を肩に担ぐように構えた四人の敵兵は、ケレングとの距離を測っていた。

 地面にへばり付くように身を屈めた正面の敵兵は、前後二列で交互しながら攻撃する構えのようであり、左右のそれぞれは、細かい足捌きでケレングの剣戟を誘うようであった。

 ケレングは、こざかしい、と吐き捨てた。

 応じて左右の敵兵は奇声を発しながら、肩に置いた刀を垂直に落としてくる。

 挟むように襲いかかる双刀に、ケレングは素早く剣を右後ろに引いて構えた。

 その動作が既に異常であった。刃金付きの棍棒は、通常の大剣以上に重たいはずだが、真綿のように軽々と後方に運ばれていったのである。

「せいっ」

 右後方から、ぶうん、と鈍い羽音と大剣が敵兵を襲う。双刀がケレングに届く前に、右の敵兵は綺麗に二分され、もう一人は腹部のあたりで丁寧に折り曲がり、宙へと飛んでいった。

 燦々たる状況に、矢の先端はしんとした静けさで包まれた。

 だが正面の敵兵二人はもう止まれないのだろう、ケレングに休む暇を与えまいと前後に重なって一列で突撃を試みた。

 先頭の敵兵は視線を混乱させるように上下左右へと体を揺らしながら近寄り ————急に沈み込んで、後ろから飛び出た二人目の鎌形刀剣が、ケレングの顔を襲う————はずだった。


 蠅は叩かれる運命を逃れられない。

 

 飛び出た羽虫は、無残にも叩落とされ、遅れてぐしゃっと音が聞こえた。

「次は、二匹目だ」

 足が震えて立ち上がれない敵兵を鋭い眼光で見やると、ケレングは無言で追撃の棍棒を頭に落とし、それは、ぐしゃっと鳴いた。

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