炎天の舞台が始まる

 宿の扉が激しく叩かれて夜を背負ったような中装備の兵士が現れた。

 ヒロミカである。


 蒼白な彼にケレングは大股で駆け寄り「ヒロミカ。どうした、現状を」

「はい、ケレング殿。キークラス司令官より伝令があります……が……」

 ケレングの背後にいるユウたちに聞かせていいか、ヒロミカは迷っているようだ。

「全員が信頼できる人物だ」

 ヒロミカは、はい、と頷いた。

「本日夜の七時過ぎに……キタザワ東方面防衛師団長の部下数十名が東門を襲撃。応戦しましたが圧倒的な能力差の前にあえなく……全滅しました。門は開かれ、ダストリアの正規軍およそ二百名が街に侵入、現在はキークラス司令官が全兵力を持って交戦中です。ダストリアの部隊は遊撃中隊ザンダート。敵兵の中には双剣使いのポリアト、そしてダストリア遊撃師団長ヤーカトがいます」

 ケレングは外目からも分かるほどに、強烈に両奥歯を噛み締めた。

「あいつが、出て来るとは……」

「ウィムフレアの精鋭たちも応戦していますが、東門付近の住民の避難を最優先にしているため、街の中心部、十字路に後退しながらの防衛戦です。戦況はおもわしくありません」

「しかし他の兵士たちはどうした? 街の駐屯兵は約三千名……数で押し返せるはずだ」

「火を放っているのではないですか? ヒロミカさん。随分と前から焦げるような匂いがしています。おそらく……駐屯兵の分断を狙ったはず」

 ヒロミカはユウの問いに頷きながら「そうです。キタザワ東方面、いや、キタザワの部下たちは、駐屯兵力の分断を狙い、街の各所に火を……住民を狙って火を放っているのです。駐屯兵たちは住民の命を守るために、避難と消火活動に全力を尽くしています。ですので……全兵力が集結できないのです。ダストリアと交戦している友軍の数は、およそ三百名」

「数では勝るが、ヤーカトは一騎当千だ。その兵数の差だと厳しいかもしれん」

「ケレングさん。これはもう、戦争です。どちらが死ぬまで続く」

 ユウは不思議なぐらいに心が揺れず、淡々と戦況を分析していた。

 だが今、ユウの身体はアティックとは僅かに違う感覚に満たされている。鋭い閃光が徐々に回数を増やしながら脳裏に奔り、五感の刃は限界まで磨き上げられていく。それはイユキの戦闘経験がもたらす能力とは異なる、輪郭のはっきりとしないものであった。

「その通りだ。だが……このケレングは伊達ではないぞ」

 不敵な微笑みを浮かべたケレングは、噛みつくような覇気を巨躯にまとい、その瞳からは痺れるような狂気が迸っていた。形相は鬼神のそれ、太すぎる両腕は、決意のように硬く盛り上がる。息が詰まるようなその圧倒的な気迫に、ユウはむしろ安堵を覚えた。これなら万が一でもルティアとそして……シーレを守れると。

「はい。お願いします。ケレング団長」

 ユウはありっけの敬意を込めた、初めて口にする呼称でケレングを讃えた。

「ああ、任せろ、ユウ。ところでヒロミカ、キタザワたちはどこだ?」

「現在は行方不明ですが、街の中に潜伏していると思われます。ただ……」

「どうした。言ってくれ」

「キタザワおよびダストリア軍の目的は、ソリューヴ様の強奪です。目的地は……ここです。すぐにウィムフレアを離れるように……そう伝えてくれと。これが伝令です……」

「そうか……。エルリザ、街の地図はあるか?」

 ちょっと待って、と言い残して事務室に消えたエルリザは、戦利品のように丸めた地図を掲げて戻ってきた。「集まってくれ」のケレングの指示に、ユウとシーレ、リーシュがテーブルを取り囲み、地図が広げられた。


 ウィムフレアの市街地を四等分する二本の道路が、東西南北に走っている。

 ユウたちが滞在している宿は、道路が交差する十字路を北に向かって半分程度上がった場所に位置していた。  

 街を脱出してイーリーに進むには、垂直に南下し、南の検問所を抜ける必要がある。

「現在の我々の位置はここだ。そしてダストリアの部隊は……」

 ケレングの右手の人差し指は、地図を滑りながら東門へと移動した。

「ここだ。だが、中心部の十字路が抑えられたら終わりだ。作戦を変更する。我々はアルティスティア軍を後方から支援して戦線を東に押し返しつつ、安定したら宿に戻り出立」

「住民の避難は、どうするのですか」

 シーレがケレングに尋ねると「我々の任務はフォグリオンに辿り着くことだ。駐屯軍とは別の形で国民、ひいてはこの大陸の人々を守ることに繋がる。辛いだろうが、各自の任務を全うしよう」

「わかった。アティックではポリアトって人に遅れを取ったから倍返しね。ふふっ」

 血気を帯びた赤髪が勇み震えているシーレであった。

「シーレ、分かるけど無理するなよ。街を抜けることが最優先だから」

「大丈夫よ。もう心配性なんだから、ユウは。一対一なら負けない」

 シーレは、ふんっ、と小さく鼻を鳴らして、細目でユウを見返した。そんな彼女の態度にも随分と慣れ親しんだユウは苦笑いを浮かべた。


「ケレング。ダストリアの部隊についての情報は? 戦力を知りたい」

 リーシュにケレングは頷き「ザンダートは元々、遊牧の民。特に馬の扱いに優れた遊撃部隊です。老獪な奴らが多く、特に集団戦に強い特徴があります。中でも先日対峙したポリアトは双剣使いとして名を馳せています。そしてヤーカトは、ダストリア国王レイティクから自由な軍事行動を許されている唯一の存在。彼は戦士としても、ダストリアで最強だと思われます」

「そう。なら率直な判断を聞かせて。あなた、単騎で勝てるの?」

 リーシュは鋭く見据えた。

「……相打ち覚悟なら、打ち取れるかもしれません」

「冷静ね……勝機ある。別に一人で戦わなくていいのよ。二対一よ。ケレングとユウが攻撃を交互に繰り返す。私とシーレはそれを援護。頭を取れば形勢は変わる。ただし。それは敵対した場合のみ。別に戦わなくて街を抜けられるなら、それで十分よ。よく聞いて。戦いは生き残ったものだけが勝者なの。誇りや信念は、生き残った人の口から出す言葉」

 簡潔にして明瞭。史実に由来する経験則は圧倒的な真実を伝えていた。

「さ、行きましょう。みんな。さぁてと、一〇〇〇年振りの戦争か」

「ソリューヴ様、失礼ながら、一〇〇〇年前とは……どのような」

 状況がまるで掴めていないヒロミカは、綺麗な誤解をリーシュに向ける。

「私は、リーシュよ」

 へぇえ、とどこか原始的な音がヒロミカから出た。

「わたしはリーシュというの。ソリューヴは……」

 血脈の妙というべきか、実に具合良く、ぱたぱたと階段を駆け降りる音が聞こえてきた。

「あれ」 

リーシュの美しく反った人差し指は、ルティアに射抜いた。

「お待たせしました。直ぐに出立できます。あ、あなたは、出迎えて頂いた……」

「ソ、ソリューヴ様が、二人? あぁ、そうか、僕はすでに戦いで頭に傷を……ははっ」

 ヒロミカは刮目しながら、意識が抜けそうな顔である。

 リーシュはヒロミカの視線を遮るように手を振って「お〜いっ! 戻ってこ〜い。私はリーシュといって、この子の千年前のお婆ちゃん。同じ顔だけど性格も違うし……そう、私は大人の女性よ。気づかない? ふふっ、あれ?……お——い。こらっ!」と生還を促したが、魂ここにあらず。

 ユウはリーシュの肩に手を置いて俯き、顔をゆるりと左右に振った。

 その時、ユウに閃きが訪れる。


 「……これだ、リーシュ。ヒロミカさんも逝ってしまうぐらいに見間違える。リーシュがルティアのふりをすれば、敵も間違えるはずだ」

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