わたしだって

 年頃の男の子と二人で外出するなんて、鉢植えが二階から落ちてくる確率に等しい。ルティアの手のひらは頼んでもいないのにじんわりと蒸れてきて、押し寄せる人波は落ち着かない心を逆撫でしていく。ルティアは何とか静穏な水面を取り戻そうと、平坦な会話に頼ってみた。

「ユウ。どうですか……必要なものは、全て揃いそう?」

「ああ、問題ない。この市場はあらゆるものが揃っている」

 ルティアは周囲を見渡すと、百華の渦に巻き込まれたのかと錯覚するほどに、多種多様な品揃えが一面に咲き誇っていた。

「今、気がついたんだけど、屋根の色で何を売っているか分かるように区別されているみたいだ。赤が食料、青が衣服、白が日用品、遠くの桃色は……なんだろ」

「行って見ましょうよ、ユウ」

「そうだな。少しぐらい見物もしよう。行ってみようか」

「はいっ」

 ようやく乾き始めた手のひらにほっとしながら、ルティアは桃色めがける。

 そこには豊穣なる創意が散りばめられた銀細工たちが、両手を高々と挙げてルティアを待ち構えていた。

 空の灰色はまばらに変化していた。

 天から矢のように降り注ぐ陽光は、銀面に弾かれて閃光となり周囲に飛び散っていく。眩い情景はルティアを誘い出して、銀細工を手に取った。

「凄く綺麗です。ここまで凝った物は、なかなかお目にかかれない……」

「すごいね。僕の山村にもたまに行商人が来るけど、ここまでの物は見たことがない。これ、なんだろう……星……かな」

「あ、うん。そうですね星の連なりみたい。あ……これも素敵ですね」

 ルティアが指差した銀細工の首飾りは、波うつ銀線が引き揃えられ、歪みの美が威を放っていた。うねる曲線の間は僅かに空いている。

 露店の主人は、なぜかさほど売り込みもせずに淡々と説明した。

「それはね、お嬢さん。作家による一点ものなんだけど、【ヘーヴァンリエ】の意味を自分なりに解釈して作ったものらしいよ。わしには理解が及ばずだがね。ははっ————」

「……そうなんですね。南風の」

「似合いそうだ、ルティア」

 横から囁くように聞こえ届く、喉を低く鳴らした男性の声。

 意気込んで少しだけ踵を上げるように、ルティアはその輝きを首元に置いてみた。

 ユウの見立ての通り、神の手で整えられた白肌は銀細工と清雅に抱擁し合う。

「ほら、言った通りだ。似合うよ」

「そっ、そうですか。ありがとうございます……」

 恥ずかしくて裏返った陽愛な声が小さく響く。思わず口元が緩くなった。

 それでも……微笑んで着飾る平穏な未来は未だ無い。

ルティアはそっと痛まないように銀細工を戻して、再来の約束を込めた目線で愛でた。

「ありがとう……また来ますね」

 露店の主人はふらふらと手を振って、またおいで、とルティアを送りだした。

「ユウ。ありがとう……必要なものを揃えて宿に戻りましょう」


 調達を終えて宿に戻ると、軍の駐屯地に足を運んだケレングたちが一足先に戻っていた。

 四人掛けの円形テーブルを囲んでお茶を啜る三人組に、歓喜が口から漏れた形跡は見当たらない。宿の一階、広いダイニングルームには、三人が持ち帰った暗澹な空気が薄く漂っていた。  

 ルティアは事態の暗転を予感しながら空いている席に滑り込んだ。

 ユウも隣のテーブルの椅子に座る。

「エルシスさん……ケイさんは……」

 エルシスは何とか言葉を絞り出した。

「いえ……本来なら我々より数日早く到着するはずですが」

「そうですか。でもきっとケイさんなら逃げ切っていると思います。わたしは信じます」

 最良を言葉にすることも王女たる自身の務めだと定め、ルティアは断言をエルシスの前に置いた。

「はい。私もそう信じています。私が一番に信じるべきなんです」

 整理された言葉でエルシスは応えた。ルティアは少しだけ舌の緊張を緩めて、「エルシスさん。その通りです。皆で待ちましょう。ところで、ケレング様、駐屯地の様子は……」

 長旅で剃り残しが目立つ顎を撫でながら、ケレングは口元をぎこちなく動かした。

「状況は良くないです。キタザワが訪れたことで直属の兵たちは、駐屯地司令官の指揮系統を離れています。駐屯する彼の配下は三百名ですが、ダストリアとの長年の鍔迫り合いで鍛錬を極めている兵が多いゆえ、万が一、敵に回ると……厄介です」

 エルシスは憫笑を浮かべて「まったくもって情けない話です。国ではなくキタザワ東方面防衛師団長に忠誠を使う不届きものたち。我が軍はどういう教育を……」と最後にケレングをひと睨みした。

「いうな。エルシス……まぁ…その通りだ。裏を返せばそれだけ統率に優れた男でもある。だからこそ敵にはしたくないのだが……ええい、くそっ————」

 硬いその声に、ルティア肩を震わせながらも、苦悩が色濃いケレングの顔を見つめていた。

 かつては協心戮力を誓い、双肩を競った同期の逆心に、どれほどの悲嘆を抱いているのだろうか。ルティアは慰めずにはいられなかった。

「ご自分を責めないでください。愚かの行為とて、その方の選択である以上、誰にも止めることはできません。人は変わりゆくものです。たとえそれが許されざるものだとしても」

 ルティアは言葉に労わりを乗せて、ケレングの落心をいくばくかでも癒せることを願った。

「ははっ。これは失礼、ルティア様に気を遣わせてしまいました。大丈夫です。これしきのこと我らの眼前の任務に比べたら雑作もないことです」

 明らかに乾いた笑いだが、それでも気丈さを取り戻そうとするケレングに、ルティアは少しだけ安堵した。意志があれば人は前に進むことができる。


「そう言えば、我々を出迎えたヒロミカという人物は、ハリグレクの指揮系統の人物でした。彼の部下は……まあ、若干の狂人じみた国と王女様への忠誠心で繋がっています。だが確実に信頼はできる。駐屯地司令官キークラスもかつてはハリグレクの部下で、ダストリア軍が迫っている件も伝えてあります。助けになりましょう」

「はい。ケレング様。それでその、今、キタザワ東方面防衛師団長はどちらに? お会いになりましたか」

 ルティアはくすぶり続ける懸念について尋ねたが、ケレングは硬く顔を振った。

「いえ、彼は駐屯地には滞在していません。訓練と称して配下と共にウィムフレアの東門に滞在しています。つまり……東門には二つの指揮系統がある状態です」

「団長、それ、見え見えですよね。ダストリア軍の街への侵入を手助けするという……」

 ジュリスディスは呆れた顔で言い放った。ケレングは沈黙でそれを肯定した。「ハリグレク南方面防衛師団長殿の重装兵大隊、六百名がこちらに向かっているとはいえ、それまで待ってくれますかね……」

 ジュリスディスの答えが見つからない問いに誰も答えず、南風が窓を揺らす硬い音が、断続的にルティアに押し寄せていた。

 努めて空気を変えようと「エルシスさん、他の皆さんは、どちらに? お部屋ですか」

「ええ、それぞれに。二人も夕食まで部屋で休んでください。あそこの受付の方が部屋まで案内してくれますよ。全員が二階の部屋です」

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