第五章 ウィムフレ攻防戦

色褪せない旧懐

 道路の両側で春竜胆が青紫の花弁を揺らしている。

 南風はまるで伴奏のようであった。


 ユウたちの進む先にウィムフレアの街が姿を現した。

 第二の都市ウィムフレアは大陸では古都という位置付けだが、近年は芸術文化を中心とした振興政策のおかげで、芸術を志す者や歌人が集結していた。

 一世紀前に起こった隣国ダストリアとの大規模戦争の名跡として、都市の北——西——南と半円状の巨壁が聳え立ち、今では観光名所としてウィムフレアの財政面を支えている。

 ユウたちが街の外縁部に近づくと、前方から馬に跨ったアルティスティアの軍人が姿を現した。ジュリスディスは道路の左側に馬車を止め、後方のケレングも停止する。

 ケレングは御者台から降りてジュリスディスの方へ歩いていった。

「妙だな。出迎えなど頼んでいない。ケイが頼んだのか……いや、違う。俺が対応する。ジュリスディスは、ルティア様に馬車から出ないように伝えてくれ」

「了解しました。団長」

 ジュリスディスは伝令を持って、後方の馬車へ駆けていった。

 現れた背が高い軍人はヒロミカと名乗り、軍仕様の規律正しい敬礼を捧げた。

「ケレング殿でありまししょうか。お迎えにあがりました」

「任務ご苦労。ところで先行して、ケイという人物が、ウィムフレアに来ていないか」

「ケイ殿……いえ、私は存じておりません」

「そうか。では君は誰の指示でここに?」

「はい。先日、アルティスティアより急遽来られた、キタザワ東方面防衛師団長殿であります」

 ケレングは一瞬だけ顔を強張らせたが、すぐさま頬の筋肉を柔和に整えた。

「それは珍しい。知らなかったよ。彼の任務は何だね……」

「詳しくは聞いておりませんが、エタスブリッシュ女王様の命だということです」

「そうか」

「軍の駐屯地にご案内します。私共が先導いたします」

「少し休憩してもいいかな。せっかくだ。王女様も春竜胆も眺めたいだろう」

「了解したいました。向こうで待機していいます。お声がけください」

「ああ、ありがとう」

 ヒロミカは再び敬礼をして馬の元に戻っていった。

 

 ケレングの後ろにはいつの間にかジュリスディスとエルシスが控えている。

 さっそくとジュリスディスが軽口を開いた。

「団長。きな臭い名前が飛び交いましたね……っと、僕が言ったらまずいですね。失礼しました」

 おどけてかしこまる弟子の姿に、ケレングは不恰好な苦笑いを作った。

「女王様の命というのは、おそらくキタザワの嘘だ。今の女王様は軍の些細な行動には口を出さない。ウィムフレアにいる不自然さを隠すためだろう。誰もがその名を出せば納得する。とはいえ、証拠が無い限り、こちらも弾劾はできないな」

「ウィムフレアの駐屯地は危険な気がします。東方面防衛師団に属する軍人の数は、確か……そう、約三割。となると三百名います。いつ寝首をかかれるか……」

 ジュリスディスの指摘は至極まともなものだった。

 ケレングは両手を組んで眉間に深々と皺を寄せ、妙案などなさそうな状況だが、一転、エルシスが口を開いた。

「団長。街に若い芸術家が集う宿があります」

「しかし……民間の宿は、我々を簡単に受け入れないのではないか、エルシス」

「大丈夫です。その宿の経営者は私の親友です。エルリザといいます」

 選ぶべき明快な理由を示したエルシスに、ケレングは頷いた。

 

 前方を進む先導者のおかげか、あるいは猛将に恐れをなしたか、ウィムフレアの北の検問所は何も調べずに門を開いた。

 四車線の道幅を持つウィムフレアの主要道路は、北から南へ垂直に走っている。最大で五階建てと見受けられる重厚な建物たちがその両脇を固め、サクラミカゲという花崗岩を基調としながらも、巧みに木材を取り入れた独特の構造をしていた。

 馬車は掃除が行き届いた石畳に、蹄音を薄く響かせながら、南風を正面に受けて進む。夕方の空はやや灰色を帯びてきて、いずれ割れそうな雰囲気だった。

「ジュリスディス。あの右の建物です。そう、あの、角の茶色の扉」

 御者台の後からエルシスが指示を出した。

「了解だ! とりあえず、建物の前で馬車を止める」

「ええ、お願い。私はエルリザに頼んでくる」

 ジュリスディスは道路脇に徐々に寄りながら制動をかけた。

 軋む音を立てて馬車は止まり、エルシスは後部の扉を開いて道路に降り立つ。

「久しぶりね。この街も……懐かしい。ほんと」

 ユウはなんとなくエルシスを追うように馬車から降りた。

「この街に住んでいたことがあるんですか。エルシスさん」

「そう。まだ十代の頃に……これでも画家を目指したこともあったのよ」

「そうなんですね……どんな絵を描くか見てみたいです」

 ユウの素直な感想にエルシスの頬は赤く塗り上げ「な、なによ、いきなり……機会があったら……」と口をふらつかせた。

 エルシスが足早に建物の扉に向かうと、ユウはのこのこと追いかける。

 エルシスはちらっと振り返ったが何も言わず、弟のような従順な後追いを黙認した。

 

 四階建ての無機質な外見は、そぎ落とされた余白の美という言葉が良く似合う。建物の前には造形美を自ら語る、円形のテーブルと椅子が道路近くまで迫り出ていた。

 滑るような質感のテーブルにユウが意識を向けると、同化しそうに白く華奢な腕が目に映る。ルティアと同じぐらいの透明な白亜、その源流に遡ると小さな頭部を包む甘栗色の髪が肩口まで伸びていて、黒い瞳はシーレ以上のつり目だった。容姿から想像するにユウより五歳ぐらい年下、つまり十五歳に見える。

 ユウはなぜかじっと見つめられているが会話の材料も無く「こんにちは」と小さく口を動かした。そのまま静かに彼女の横を通り抜ける。

「ここの主人をお尋ねですかぁ……」

 ユウの背後から、とろっとした甘い声。最後の声調は沈んで眠そうである。

 目に染みそうな甘ったるい空気を掻き分けて、ユウは女の子に近寄った。

「きみはここに滞在しているのかい? 宿の主人に会いたいんだ」

「あぁ、そうなんですねぇ————先ほど買い物にいくと、かけてったよぉ————」

 お茶に入れる蜂蜜並みに伸びる語尾だが、なぜかユウの心を逆撫でしない。

「そうか……ありがとう。エルシスさんどうします? 待ちますか」

「そうね……宿を確保しないといけないし、待ちましょう」

「たぶんすぐだよぉ……あ、ほらっ、あそこ」

 女の子は白い腕を浮かせて、馬車の後方を指差した。 

 黒髪を揺らしながら、長身の女性がこちらに歩いてくる。彼女は際どく胸元の釦を開け、スリットが大胆な赤いワンピースを着ていた。

 宿の主人というよりも、舞台役者のような煌びやかな女性は、少し厚めの妖美な下唇を湿らせながら、機嫌よく歌を口ずさんでいた。明らかに化粧映えするはっきりとした目鼻立ちは、ある種の造形美と言える。

「リザ!」

 忘れ得ぬ旧知の念が両手を広げてその名を呼ぶ、エルシスは大きく手を振った。

 呼ばれた本人は声のありかがわからず、顔を右往左往する。やがて扉の前に立つエルシスに気がつくと、石畳を飛ぶように蹴り上げて一気に駆け寄った。

 エルリザはユウに買い物袋を突然に手渡して、エルシスに飛び込んだ。

 慌てて受け取ったユウは思わず中身をこぼしてしまい、赤いトマトが石畳の上を転がっていった。

「エルっ! もう、全然来てくれないんだから。何年振りよっ」

「ははっ。ごめん。忙しくて。リザも元気そうじゃない。相変わらずせわしい」

 抱きつくエルリザを剥がして、エルシスは宥めるように両手を手に取る。

「人の本質なんて変わらないのよ。でもエルは雰囲気が随分と大人っぽくなって」

「そ、そうかしら……ありがとう」

「いやん、可愛らしく照れちゃって」

「もう、からかわないでよ」

「で、で、どうしたのよっ。観光とか? でもその服……軍服っぽいから任務とか?」

 遊んで欲しいとせがむ犬のエルリザを、エルシスはうっとうしそうに手で払った。

「あぁ——もう。静かにして! そう、旅の途中。でね……ちょっと事情があってさ、リザのところに泊めてもらえないかな」

 エルシスはわざとらしくルティアが乗る馬車を見つめた。

 馬車の窓からこちらを覗く不安そうな深赤色の瞳。

 笑顔のエルリザは馬車に向かって大きく手招きをした。

「いいわよ。ただし! 軍だから特別の倍額で泊めてあげる!」

 冗談めかして濃艶なる厚い唇を、横に大きく開いたエルリザ。

 漏れ見えた穢れなき純白の歯は、言葉とは裏腹に再会の驚喜を表していた。

「もうっ。その、意地悪な感じも、相変わらずなんだから……ちゃんと払うから」

「エルちゃん、大好きっ————」

 虹色に駆け寄るようにエルリザは再び抱きつき、エルシスの左頬にキスをした。

「あ、こら、もう……‥」

「お二人さん! 馬車を置く場所はありますか————」

 ジュリスディスのじれた大声が、二人の間に割って入った。

「ごめんなさい! 建物の裏側に納屋があるわ。そう、そこを曲がって!」

 エルシスから離れたエルリザは胸の前で手を合わせ、ジュリスディスに詫びた。

「了解。荷物を降ろすぞ。ユウも手伝ってくれ」

「今、行きます!」

 ユウはトマトを急いで拾い、荷物をテーブルに置こうとして女の子がいないことに気づく。

「あれ。さっきまで女の子がいたはず……消えた……」

「ごめん! いい所にいたからつい荷物を持たせちゃって……あれ、どうしたの?」

 エルリザの声は段々と遠くに聞こえ、ユウは悪寒を覚えていく。

 ユウの肩は不自然に重くなって、よろける声はエルリザにしがみついた。

「ここに……女の子がいましたよね。甘栗色の髪。まさか、幽霊とか……」

 エルリザは、がはっと笑いながらユウの肩を叩いた。

「はは! あなた面白いわね! あの子はうちのお店に良く来る画家志望の常連さん。宿の一階は若い芸術家の溜まり場。だれでも自由にお茶を飲んでいいの」

 エルリザの一撃で祓われたのか、ユウにのしかかる重みはすっと消え去っていった。


「はじめして。エルリザさん。ルティアといいます。急なお願いを聞いて頂いてありがとうございます」

 シーレと馬車から降りてエルリザに近寄ったルティアは、綺麗なお辞儀をした。

「お久しぶりです。もう七年ぶり?」

「あ、あれ……お会いしたことありましたか……」

 ルティアは怪訝な表情を浮かべた。

「私が招待して、王女様の戴冠式を見にアルティスティアに来ていたのです。リザ! いつも説明が足らないんだから!」

 エルシスは呆れたように補足を入れるが、それでも懲りずにエルリザは、感慨深い表情で唇を開いた。

「そうなのよ————あんなに小さかったのに、こんなに可愛くなって。モテるでしょ」

「え、あ、ありがとうございます……そんな機会なんて……ないですよ」

 顔を紅潮させながら答える声は徐々に小さくなっていった。

「あなた、何を言っているのよ! ごめんなさい、ルティア様。リザはいつもこんな感じなんですよ。もう、いい加減にしなさい!」

 ぱしっと肩を叩かれたエルリザはしゅんとして縮こまった。

「ふふっ、構いませんよ。エルシスさん」

「ほらっ、エル。王女様もそう言って……あ、おっと、失礼、えっと、今はルティア様?」

「はい、そうです。ルティアでお願いします」

「じゃあ、もう一度。ルティア様もそう言っているじゃない、なっ、エル‼︎」

「やかましい! もう好きにしなさい。まあ……いつものことか」

 エルシスの口端は諦めて強張りを手放した。

 

 荷下ろしを終えたケレングとユウは会話の輪に参加した。

「突然に訪問して申し訳ない。ケレングだ。よろしくたのむ」

「気にしないで。エルの頼みならね。それに……彼女がいるということは、事情があるのでしょう。駐屯地に入らないなんて余程……でも、訪ねてくれて、むしろ嬉しい」

 旧懐のぬくもりは鮮やかに蘇り、エルシスに差し伸べられた。

 訳も聞かずにユウたちを受け入れるエルリザは、驚嘆の五色という表現がふさわしい。

「……ありがとう。リザ。嬉しい……ところで団長。保存食など日用品が不足気味です。できれば今日のうちに調達を」エルシスの言葉は淡々と、軍人の務めを果たす。

「それなら東の市場がいい。今一番活気があるのよ」

「分かった。私と団長、ジュリスディスに駐屯地に赴くから……えっと……ハイアードさんはアレだし……暇な人は、ユウとルティア様と……」

「私、ちょっと行きたいところがあるから……」

 意外にもシーレが一抜けの挙手をすっと伸ばし、暇だと名指しされたルティアは頬に控えめな高台を作る。

 これは連れ出したほうが万事が事なきを得ると思ったユウは先手を打つ。

「ルティア。行くよ。エルリザさん、場所を教えてください。あ、そういえばリーシュは?」

「はぁ……い。わかりました。リーシュはまだ車両の中ですよ」

 

「いいの? あの二人、行かせちゃって」

 馬車の扉を開けるとリーシュが憂わしげな表情で出迎えた。

 シーレは溜め息をついてリーシュの向かい座り、膝を重ねる。細い赤脚は悩ましく優雅であった。

「まぁ、年上の余裕ってやつよ……って、ここから聞こえていたの?」

「それは豪気な……お忘れ? 私の義体はこの距離なら銅貨を落とす音だって捕まえられる」

「そうだった。過去の技術は星にだって人を運べるんじゃない?」

「そう、ご名答。過去の人々は一メートルの距離で月光を浴びたこともある」

「えっ……冗談なのに。人の可能性は無限か」

「そうよ。全ては扱い方ね。知恵も力も、恋の行方も」

 反動をつけて話題をより戻したリーシュは、カラッとした悪微笑み浮かべた。

「あの子は……というか、私がそういう前提で話さないでよ、リーシュ。ユウとは、別に」

 組んだ足先が投げられた緩火を掻き消そうとしているのか、ふらふらと上下している。

「え、違うの……かなぁ————」

 半信半疑の眼差しは、歪みながら伸びる声音を従えていた。

「ま、いいじゃない。それよりちょっと付き合ってほしい場所があるんだけど……」

 

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