秘めたる力の根源
アティックを出てから一週間後、ユウたちはウィムフレア近郊に馬車を寄せつつあった。あと少しで樹林のトンネルを抜け出し、来訪者を出迎える春竜胆の花畑が現れるはずだ。
適度に揺れ動く馬車の中で、ユウは【制配】をあちこちといじっていた。
「リーシュ。【制配】なんだけど、他に何か役に立たないかな」
鍵を解除してから【制配】は僅かに息を吹き替えし、右上のボタンを押すと画面は透明な光を散らした。夜には便利だがこれ以上の変化は見られない。
「一〇〇〇年経ってるからなぁ……故障しているのかも。普通なら【制配】のAIが目を覚ますはず……でもこの光って灯籠の代わりだっけ? 何か違う……あ————思い出せない。私の頭はどうなってるのよ、もうっ」
ユウの向かい側に座るリーシュは、大げさに顰めっ面をもよおして、両足をばたつかせた。
「まあ、仕方ないか……」
ユウは諦め、開いた窓から外を眺めていると木の根元で何かが光った。目を凝らすと兵士が付ける帯革の金属が樹葉の天幕をすり抜けた光を反射している。
帯には黄土色の小さな鞄————ユウは咄嗟に立ち上がり、叫んだ。
「ジュリスディスさん! 馬車を止めてください!」
ユウは叫びと同時に急制動する馬車の中を後ろへ走り、勢いよく扉を開く。
後続の馬たちは何事かと慌てて足を止めた。
「ユウ、どうした!」
ケレングは大声で呼び止めたが、ユウは一瞥もせずに声だけで「ケイさんの!」と答え、馬車から飛び降りて走り出した。敏感に反応したケレングは御者台を飛び降りてユウに続いた。
道路脇にしゃがんだユウの背中からケレングの声が聞こえた。
「ユウ。それは……」
「見覚えがあります。ケイさんの……鞄付き帯革じゃないですか」
突如としてユウの手から帯革が消えた。ユウは立ち上がり振り返ると、駆けつけたエルシスは両手に黄土色を抱え、麗人の顔は無残に崩れ落ちた。
帯革の金属はカチャカチャと泣くような音を立ててている。
「ケイ、ケイっ……」
揺れる声で弟の名を叫ぶエルシスは地面にへたり込んだ。顔は長髪に隠されて表情はうかがえない。
「何かあったと考えるべきでしょう。団長」
ケレングに近づいたジュリスディスは、軍令のように務めて冷静だった。
「ああ、なぜこの場所に……敵兵か。ケイが動くとなれば、それしかない」
「はい。アティックの一件があります。何が起こるかわかりません……くそっ」
冷静を装っていたジュリスディスも、最後には苛立ちを言葉に乗せた。
ケレングはエルシスにそばでしゃがみ、そっと肩に手をかけた。
「エルシス。先を急ごう。ウィムフレアに着けば、状況もわかろう」
「……はい……団長。任務を続行します」
エルシスはかろうじて言葉だけは最後の冷静さを保っていた。
それでも立ち上がりそうにないエルシスにユウは「エルシスさん。その帯革、木の根元に投げ捨てられてはいませんでした。いかにも取り外して置いてあった。つまり、ケイさんは外す理由があった」
エルシスはようやく顔を上げる。少しだけ赤い目元だが、彼女らしく滂沱だけは耐えている。
ユウは道路の左側の藪に入った。エルシスの視線は自然とユウを追いかける。
地面を指し示したユウは「見てください。ここ。踏みならした草と折れた小枝。向こうの林の先まで続いています」
「つまり、ケイは何か確認するために林に立ち入ったということか」
ケレングはユウの考えを延長するように言葉を繋げた。
「そうです。現状から予測すると、やはりダストリアの兵がいたんじゃないかと思います。それを確認するために軽装で林に入った……争った形跡のないですし、ケイさんが馬で逃げた可能性は十分にあると思います。偵察兵は戦わないことが鉄則のはずです」
ユウの言葉にエルシスの蒼白な顔は少しだけ生気を取り戻し、赤みを帯びていった。
「しかし、敵はどうやってここに……国境に壁がないとはいえ、定期的に国境警備兵が巡回しているはずだ」ケレングは極めて一般的な答えに
「手引きがあったと考えるべき」
いつの間にか側にいたリーシュは鋭い眼差しをケレングに向けた。
「おっしゃりたいことは分かります……確かにその可能性を考慮すべきでしょう」
「ケレング。楽観論は常に期待だけで構成されて事実に基づかないもの。気をつけなさい」
「我が軍よる手引きが現実に照らし合わせると、正しい答えかと思います」
「今みたいな状況ではね、普通なら、という思考の外で起こった混乱が、この普通を書き換えようとしているの。だから正しいことすら疑い、その裏側を見ようとした方がいい。わたしたちの教訓よ」
「ケレング様。先を急ぎましょう。ケイさんの行方を確認するために————」
ルティアの声がずれた重ね文字のようにユウの脳で響いた。いつの間にか両足に絡みついている微熱は下半身の落ち着きを奪い去り、ユウの足元はぐらつく。
目に映る光景は溶けだし、視界が白に染まっていった。
誰かがユウの腕を掴んだ。
「ユウ……大丈夫?」
掴んだのはリーシュであった。
「あぁ……ちょっと、目眩が……」
シーレが赤髪を揺らしながらユウに駆け寄り、瞳は震わせながら「ユウ。どうしたの……この前の戦いの時も、頭痛があったんでしょう……」
ユウは心配をかけまいと口元を緩めて笑顔を送り返した。ようやく視界は元に戻りつつあった。
「ありがとう、シーレ。もう……大丈夫さ」
リーシュはユウからそっと手を離した。
「……ユウ。言おうと思っていたことがある。この前の戦いを見て気づいたの。あの動きは一〇〇〇年前、最も優れた戦士だったイユキそのもの。【制配】に保存されているイユキの記憶と経験が、過去の技術によってユウの脳に流れ込んでいると思う。彼の血を引くユウは、その経験を使うことができる」
「そうか……僕も不思議だったんだ。あの時、なぜか周囲の状況が手に取るように分かったのか。僕の先祖イユキ・スリークの力」
「ユウ」
一閃の音感が飛び、萎むようにそれは消え、どこか無意識に誰かを求めるようなリーシュの叫びであった。
ユウは自分の中で誰かの眼が僅かに開く気がした。
それは決して不快さを伴わず、時を超えた再会にさえ感じられる。
「ユウ。【制配】に蓄積されたイユキの経験はあなたを助け、人を超えた能力を与える。でも気をつけて。頭痛が出るということは、脳の処理能力を超えているということ。いずれ慣れるとは思うけど、急激に脳が限界を超えると……人間ではなくなる」
リーシュの顔は絵の具で塗ったような冷たい肌色をしていた。
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