裏切りの顕在化
アティックを出立する朝、準備に忙しい二台の馬車を眺めながら、ユウは足止めを余儀なくされた一週間の回想にふけっていた。
戦いの翌日、居間を訪れたケレングたちにルティアがリーシュの正体に伝えると、一同が綺麗に固まり動かなくなった。リーシュは素のお気楽さで溶解しようとしたがそれも叶わず、以後の会話は、議事録並みの堅牢さであった。
リーシュは旅に同行することになり、一旦は離れ、今日合流する予定だ。
ルティアは事件日以降、毎日朝晩と駐屯地内の病院に通いつめ、負傷した女の子の世話をやいていた。その甲斐があってか予定より早く昨日退院し、医者によると後遺症もなく、傷跡も髪の毛に隠れて目立たないそうだ。
昨晩のことは……まだユウには振り返るほどの精神的余裕はなかった。
ぱっとユウの視線の中にリーシュが現れた。
「よっ。ユウ……おはよっ」
「リーシュ。おはよう……」
リーシュは、じっとユウの顔を見つめ「あれ、れ……なんか雰囲気変わったね……どうしたの?」
「いや、そう……かな……はは」
言葉を濁すユウにリーシュは何か感づいたようだが、何も言わなかった。
馬車の準備は終わりを迎え、見計らったかのようにケレング、ジュリスディス、ハイアードが集まってきた。
ハイアードはリーシュの姿を見つけると慌てて駆け寄ってきた。事件の翌日、彼は疲れ切ってしまい、一日中の部屋に篭り続けた結果、リーシュと会う機会を逃してしまったからだ。
荒い息のまま、至極失礼だが、らしい言葉で幕を開けた。
「あなたが、はぁはぁ……【人に似た生き物】ですな……はぁ」
「はい? あなた初対面の第一声がそれとは……だいぶ、変わった人ね」
リーシュはからかう新しい獲物を見つけたようで、口元が緩んでいった。
「いや、それはすまない。いてもたっても居られなくてつい。おお……動いている…心が初代女王モアレアルなのですな。いや……生きて来て……うぅ、良かった」
涙目のハイアードに、さすがのリーシュも数歩後ろに退がる。
「な、なに、この人……ユウ、大丈夫、この人?」
「はは、リーシュもたじろぐなんて、ハイアードさんも凄いな。これがこの人の普通だよ」
「え、そうなの……じゃあ、初めまして、ハイアードさん?」
リーシュは鳩に餌をあげるように、そろりと言葉を投げかけた。
「素晴らしい。過去の人間はここまで到達していたのか。あなたは人類の遺産ですぞ」
「それは……どうも。歴史学者でしたね。ルティアをこれからも導いてあげてください」
「もちろんですぞ、その為にここにいます。是非、リーシュ様の話も聞かせてくだされ」
ハイアードは顔の前でわざとらしく両手を組んだ。ほくほくとした赤い頬は、歓喜の蒸気を今にも吹き出しそうである。
宿舎の方からようやくルティアとシーレが荷物と共に現れた。
シーレである赤い衣服は、ユウの視線をすかさず奪っていく。
「おはよう。リーシュ、ユウ」
ルティアの中で呼び方はモアレアルではなく、リーシュで落ち着いたようだ。
「おはよう。遠い孫よ」
「孫っ! って、やめてくださいその言い方。ルティアでお願いします……」
「え————つまない。ま、いいけど。でもね、一応、あなたは————」
始まった二人をそっと遠回りしてシーレはユウに近づき、すこしだけ赤らめた微笑みを寄せてきた。ユウは身体全体で応えるつもりで顔を向けた。
「……ユウ。おはよう」
「おはよう、シーレ」
「そろそろ出発だ。各自、最終の準備をしてくれ」
ケレングの一言がユウを現実に引き戻す。巨壁のように立ちはだかる現実は、これ以上の続きを許さないとユウに迫っているようであった。
短い会話に込められた同じ目線の高さで今はいい、とユウは自分に言い聞かせた。
「シーレ、荷物を積み込もうか……ルティアとリーシュも行こう」
ルティアとリーシュは別々の馬車に乗ることになった。容姿が同じ二人はダストリアへの撹乱になるからだ。先行する馬車はジュリスディスが手綱を取り、ユウとリーシュ、エルシスが搭乗し、後方はケレングが御者となり、ルティアとシーレ、ハイアードという組み合わせになった。
「団長。ちょっといいですか」
ジュリスディスが近寄り、ユウたちに背を向けた。察したのかケレングも背を向ける。
「シラザからの報告が先ほど入りました……あまり良くない内容です」
強張った表情がケレングの顔をおおった。
「そうか……言ってくれ」
「断定はまだですが、おそらく……東方面防衛師団が絡んでいると」
「キタザワ、彼が本命……」
「残念ですが……東方面防衛師団は中隊をアティックとウィムフレアに配置しています……団長」
報告書を持つジュリスディスの手に力が入った。紙は歪み苦しんでいる。
「キタザワの所はダストリアと対峙する前線の師団だ。接触も多いだろう。懐柔されたか」
「そんなに簡単にされますかね……よほどいい条件を提示されたんでしょうか……ルティア様を強奪する話に乗るとは、心底情けないです……まったく」
ジュリスディスは肩を落とし、吐き出すように溜め息をついた。
「それと、団長。ハリグレク南方面防衛師団長殿からこれを」
ジュリスディスは新たな四つ折りの紙をケレングに手渡した。ケレングはおもむろに紙を開き、読み終わると不敵に口角を吊り上げた。
「我々を襲ったダストリアの遊撃小隊ザンダートが中隊に再編成され、アルティスティアとの国境沿いをウィムフレア方面に向かっているようだ。ダストリアの国王レイティク、大きくでるか」
「団長。いよいよ……戦争ですか……」
ジュリスディスは苦しそうな声を絞り出した。
「覚悟が必要だ。だがハリグレクからの計らいもある。現在、彼の重装兵大隊六百名が南下し、ウィムフレアに向かっている。我々の進路を守るためだ。その中に一名、面白い奴がいる。どうやら懲罰代わりということだ。あのハゲ頭め、やってくれる……」
「え、あ……はは。ところで、それは誰です? 団長」微苦笑のジュリスディスに「あいつだよ。軍で一番の忠実なる狂犬だ。いや熊か。斬馬刀を持ち出しての再会だ。ははっ」
ケレングは暗雲を吹き飛ばすように、高らかと笑った。
同時刻。
先行したケイはウィムフレア近郊まで近づき、あと数時間で到着しそうであった。
アテックから南西に伸びる道路を早馬で駆け、点在する温泉付きの宿場町を惜しくも飛ばしたが、雨に足止めされる日もあり、結局、通常と同じ一週間がかかってしまった。
ウィムフレアへ繋がる道路は、連なる丘陵の谷間を抜けるように延々と走っている。道路の両脇には、この地域に特有なカラマツの樹林を従えていた。
春の穏やかな太陽を求め、我先にと天を目指す樹葉は、左右から道を覆い隠している。
休憩のために馬を停止させ、ケイは地面に降り立った。
耳に届く樹葉が擦れ合う音は、南風の存在をありありと伝えてくれる。
ケイは馬の脇に取り付けた荷物から、使い込んだ革製の水筒を取り出し、喉を潤した。
身体をほぐす溜め息をついたとき、藪の中から音が聞こえた。
ケイは条件反射のように腰の短剣に手をかけ息を呑む。しばらくすると白い野うさぎの耳が挨拶をして、顔も見せずに林の中に消えて行った。
やれやれと安堵しながら銀色の長髪をかき上げた瞬間————立ち並ぶ樹木の間から、動く人影が視界に飛び込んできた。
即座に近くの木を背にして身を潜め、慎重に顔をだして様子をうかがう。
道路の左側、その距離は約五百メール。
偵察兵として訓練されているケイは目と耳が効く。
常人よりも優れた感知能力が捕らえた人影は一人ではなく、集団のようであった。
足枷な装備を足元に脱ぎ置いて、身を屈めながら茂みの中を接近する。踏みつけて折れた枝が小さく音を立てるが、幸いにも南風による樹葉のささやきが掻き消してくれていた。
ようやく影の正体を確認できる場所まで近づいた。
ケイが見たものは先日の襲撃事件と同じ服を着たダストリア軍だった。馬に跨った敵兵は会話をしているようだが、さすがに内容を聞くことはできない。しばらくすると敵兵は場所を開けるように馬を左右にのけた。
そこに現れたのは、あの襲撃事件の指揮官ポリアトだった。
深紫色の軍服は太陽の元では、やや明るく見えた。遊撃に特化した軽装の上に、一切の装飾を省いた銀色の肩当てと手甲。明らかに集団戦を想定したしつらえがケイの心臓を揺さぶる。
やがてその隣に現れた人物に、ケイは全ての意識が奪われた。
呼吸さえも押し殺すおののきが一瞬のうちにケイに襲いかかる。
叩き込まれた偵察兵としての経験値は、強固にその場からの即時撤退を要求していた。
ケイは警戒しながら後退し、馬の元に辿り着いた。
装備を放置したまま馬に飛び乗り脇腹を強く叩く。馬は驚きながらも主人の意を汲んで、力強く四脚を躍動させた。
動揺する気持ちを抑えながら、激しく揺れる馬上でケイは思考を巡らている。
ダストリアが狙うものは本当にルティア様だけだろうか。
樹林のトンネルが終わりを迎え、花畑が見え始めた。
ケイは突然として手綱を強く引き、馬を止めた。視界の先には深紫色をまとう者たちが進路を塞いで待ち構えていた。どうやら感づかれていたようである。
迷うことなく、ケイは道のない樹林へ飛び込んだ。かろうじて馬が通れる木々の合間をかき分けて、ケイはその場から離れることに全ての神経を集中させる。
この事実を団長に伝えなければ。
青々とした豊かな樹林は、出口など見つからない夜の迷路のようにケイを誘い込んだ。
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