意思を持って繋がる

 破損した馬車の修理と、もう一台の調達に一週間がかかるという。

 足止めになってしまったが突然の戦いを経験したユウたちにとっては、ありがたい休暇となった。

 

 ウィムフレアへ向かう前日の夜、ユウは寝付けず、風に当たろうと外に出ていくと、駐屯地の庭に置かれている横長の椅子は、満月に近い月光を一身に浴びていた。

 誰もいない寂しげな椅子を埋めてあげようとユウは腰を下ろす。

 嬉しいのか、椅子の繋ぎ目は、キュッと軋む音が立てた。

 夜空を奪う『灯篭の幻夜市』の明かりをただ眺めていると、心を癒す香りが鼻孔に触れていく。

「夜景を見てるの?……」

 深く座るユウの上に逆さまのシーレが現れ、解いた赤髪は顔に触れそうになる。

「たまにはね……」

 ユウは場所を開けようと椅子の右端に移動する。シーレは無言で隣を埋めた。

「お母さんの行方が少し分かって良かったね」

「……本当に。呑気な人だから、ふらっと外出して、二、三日戻らないこともあったんだよ。置き手紙だけでさ……酷くない?」

「……それはね、ユウのこと、信頼しているんだよ」 

 ユウが向けた視線の先には、月明かりに照らされた陰影の笑顔。

 それはぐずった子の目線にしゃがみ、微笑む母親のような深い慈愛を湛えていた。

「私たち、アルティスティアを出て二週間ちょっとか……結構に濃密な時間じゃない」

「そうだな、色々あった」

「ユウと会ってから、あと少しで一ヶ月ぐらい? かな。結構短く感じる」

 シーレは両足を浮かしてから真っ直ぐに伸ばし、左右の足を交互に揺らす。ユウの視線はサンダル靴から足肌を滑り、膝へとさかのぼる。やがて赤い布地が視線を止めて、ユウはようやくシーレがワンピースを着ていることに気づいた。

 浮かす足の先端から片割れが抜け落ちた。シーレは立ち上がって、けんけんしながら取りに行く。

「ユウ、この前も助けてくれてありがとう……」

 シーレは靴を足に戻したが、ユウに背を向けている。彼女の両手が背後で重なり、せわしく動いていた。

「もちろん助けるよ、あの日は不思議と周りのことが分かって、だからシーレのことも直ぐに分かった。全ての感覚が世界と繋がっていて、あらゆる状況が頭の中に流れ込んでくるような……そう、だからか、途中から頭痛も出た」

「もう大丈夫なの?」

 シーレはようやく振り返った。心配そうな表情がユウ目に映る。

「僕は、大丈夫さ」

「よかった……」

 優しく緩んだ頬が嬉しそうにユウに語りかける。シーレは先ほどよりも狭い距離でユウの隣に座った。ユウの顔は熱くなり、視線は外に逃げ出す。喉は乾き始めた。

「……そ、それよりさ、シーレはどうなの? 旅は楽しい……楽しいっていう表現は違うか。結構、厳しいことの連続だしな」

「想像以上の新しい世界を体験している今は、とても有意義だと思う。世界を知ることは、私にとって生きていく証だったのよ……でも、それだけじゃなかったのよね……」

 ユウはようやく視線をシーレの横顔に戻した。

「合格通知が届くまでの間に一度故郷に帰ったの。もし旅に参加することになったら、とても長い間、戻ることができない気がして。実際どんなに伸びても数ヶ月だから違うけど。でも両親と十歳の妹に久しぶりに会えて時間を過ごして、その時に思った。人に出会うって本当に素敵だって。時間を共有して生きるって素晴らしい。それは家族も友達も、そして」

 シーレが横を向いて視線を合わせてきた。揺れる髪は香料を含んだ空気をもう一度ユウに送り届けてくれた。ユウの乾き切った喉はついにぴりぴりと痛み出した。

「ユウのお母さんがいう通り、その【制配】によってなのかな……私とルティアがあなたと出会ったのは……あ、でもルティアとユウは、遠い過去の繋がりあるから運命か……私は……やっぱり偶然かな……」

 それは小さく消えそうな声。ユウは荒涼と乾いた喉を無理やり動かそうと、赤い思いを心底から引き上げた。それは伝えたい感情のかけらを含んだ精一杯の言葉として、ユウの口元に歩いていく。

「偶然なら、それは奇跡って言うんだ。シーレ」

 はっと胸を突かれたようにシーレの瞳孔は大きくなった。彼女の瞬きは余裕を持った所作で、睫毛は一度、下を向いた。

 アーモンド型の瞳は何かを伝えようと、真っ直ぐにユウに近寄ってきた。


「……じゃあ、私も、言う————」


 明らかに恥ずかしさを含んだ語尾の延長。

 開いた扉の隙間から中を覗くような、不安混じりの期待感がユウの心を叩く。

 鼓動は間隔を縮め、勢いよく駆け巡る血液は手足の末端にちりちりとした刺激を残していった。

「本当は少し悔しいけど私には運命はない。でも意思をもってなら繋がれる。ユウが背負う宿命の半分を、私が背負う。そう、決めたの」

「え……」

 望んでいたものが眼前に飛び込んできた。

 驚き以上に安堵感がユウの心を覆い尽くし、言葉が現れない。

「ふふ……」

 シーレは月夜を背に、流れるように立ち上がった。

 自然の法則に抗することなくしなやかに揺れ動く赤髪はユウの心に手を伸ばし、幻を呼び覚ます。

 それは赤髪を視覚で捕らえる過程で削ぎ落とされてしまった感覚的な根源美。

 七色に輝く幻想の粒子は、赤髪を無限にあやどる。


 もしその情景を言葉で表すならば、一つしか思いつかない。

 ——————美しい。

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