先代王女との逢瀬

「ルティア様、こちらの椅子にお座りになられて、お待ちください。ティルヴィア様はもう少しで、おいでになられますよ。美味しいお茶を用意いたしますね。それにしても、本当に立派になられて……。わたくしもお会いできて本当に嬉しいですわ……あ、用意しないと。それでは失礼いたします……」

「あ、はい、有難うございます。お茶、楽しみです……はは」

 馴染みの給仕によるけたたましい会話から解放されたルティアは、辺りを見渡す心の余裕をようやく取り戻しつつあった。

 ルティアはアティックに居住している祖母の邸宅を訪れていた。案内された部屋の壁には、色彩豊かな絵画、奇怪な仮面、呪文にも見える文様の織物。多文化の香りがする調度品が、至る所に飾られていた。だが光が届かない部屋の隅やカーテンの裏側に、調度品から抜け出した作り手の狂気が潜んでいる気がした。

 しばらくすると、幾何学的な装飾が施されている扉が、苦しそうな音を立てて開いた。

 逢うべき人物は神々しい大樹のごとく、扉の向こうに鎮座していた。

「おはよう、ソリュー……ではなくて、今はルティアね……あなたが小さい頃、よく面倒を見ていたから、その名前で呼べるのは懐かしいし、本当に嬉しい」

 痩身ながら黒々とした樹葉をいただきに抱え、六〇代には見えないアルティスティアの元女王が現れた。

 時間を物語る皺が目尻に刻まれているが、目の形はルテイアとの系統を感じさせた。

「ティルヴィアお祖母様、お久しぶりです」

 ルティアは椅子から立ち上がり、宮廷作法の挨拶を繰り出した。

「あら、その態度。それに王女らしい言い方。今日はルティアなんだから、おばあちゃんでいいわよ」

 ティルヴィアは口元に右手を置いておどけて見せた。

 揺れる青いロングドレスの袖下は燕尾のように長く、その先端は鋭利だった。

「そんな……もう。これでも、一応、王女、頑張ってるんですのよ」

「はは、そうよね。あなたはこの国の象徴。そのお陰で国民が精神的に繋がっているようなもの。今日も……だからこそ、その役割を全うする為に、ここに来たのよね」

 ルティアは深く頷いた。

「はい。その為にアティックに立ち寄りました。それに……今日はこちらも……」

 ルティアは斜めがけの鞄の中から【落ちる星の物語】を取り出して、テーブルの上に置いた。

「まあ……」

 ティルヴィアは本を手に取って頁をめくり、懐かしむように眺めた。

「この本は、アルカーディナル家の母みたいなものね。この千年、全ての女王はこの本から過去を学び、教訓としてこの国を導いてきたのよ……」

「はい。そして今、本に隠された真実に近づき、危機が迫るこの大陸を救わなければならないのです」

 その瞳に決意をまとわせて、ルティアは力強い視線を投げかけた。

「……そう。この本には、沢山の真実が隠されている。そしてそれは、手にする者によって繁栄に繋がる恵みにもなれば、世界を滅ぼす凶器にもなる」

「はい……心得ているつもりです」

「ならいいわ」

 ティルヴィアは成長した孫娘を頼もしく思ったのか、顔をほころばせた。

「お祖母様、この【落ちる星の物語】について、口伝で伝わっている話はありますでしょうか。わたしたちは、南風【ヘーヴァンリエ】が弱まる謎が、フォグリオン山脈にあると考えています。ですが、多くの頁は真っ黒で何も書かれていないのです……」

 ルティアは焦る気持ちを前のめりの姿勢に重ねてテルヴィアに迫った。

「旅の理由は聞いています。大変な事態になっているわね。私の娘……あなたの母は七年前に亡くなってしまったから、口伝で伝えきれていないことはあります。あの時はエスタブリッシュの突然の冠位式など、それどころではなかったもの……過去の歴史より、今を生きる者の役割がいつの時代も大切なの……」

「はい、だからこそ……この世界をどうしても守りたいのです」

 ティルヴィアは、救世主が描かれている頁を開いた。

「この本にはね、知っていると思うけど、救世主の思いが込められているのよ。初代女王モアレアルの願い。それは、二度とあのような悪夢が起こらないようにって。だから、正しく使える人々が現れるまで、過去の時代の知識と技術を隠す必要があったの。この本はそこへ辿り着く為の導きの地図でもあるの……」

 遠い過去からの陰翳深い真実が這い上がろうとしていた。心の準備をしていたにも関わらず、ルティアの鼓動は一層激しくなる。

「この国の神様モノリスは、簡単に言うと、こうやって生きると不幸なことになりませんよ、と教えてくれているの。その教訓はどこから来たか、もう分かるわよね」

 ルティアは本に深い視線を送った。

「はい。【落ちる星の物語】です。この本のようには、決してなってはいけないと……」

「そう。そして世界を破壊した知識や技術の集合体は、モノリスと呼ばれていた。モアレアルはその名を神様の名前にした。過去の悲劇を決して忘れないためにあえて……さて、この一〇〇〇年で人々はどれだけ学べたのかしらね……」

 ティルヴィアの視線は揺れながら彷徨い始めた。

 ルティアは真実から決して逃げ出さない覚悟を瞳に込めて、テルヴィアを見すえた。ティルヴィアはゆっくりと視線をルティアに戻す。

「モノリスを隠した場所の一つが、フォグリオン山脈。どのような技術なのかは……残念ながら伝わっていません……ルティア、覚悟を持って。あなたは正しく使えるかもしれない。でもね……皆が同じではないのよ……」

 孫娘が触れようとする真実の深淵さを慮ったのか、テルヴィアの表情は薄暗く、声は重たい。ルティアは顎を引いて姿勢を正した。

「はい。そのお言葉、心に深く」

 揺るがない信念だけは燃え盛り、深赤色の瞳は勢いを増した。

「あなたの意志は分かった。本に黒塗りの頁があるでしょう。そこはね、何も書かれていない訳ではないの」

 ティルヴィアは何も描かれていない真っ黒な頁を、ルティアに見えるように広げた。

「この頁は、条件が揃うと文字や絵が浮かび上がる、と聞いている。私も当然、見たことがないけど。そして、どんな条件かは不明。でもね、必要な物が一つ、伝わっている……」

「お祖母様、それは……」

 ティルヴィアは再び本の頁をめくり、物語の主人公の腕を指し示した。

「この、時を告げる黒い布」

 ルティアは数奇な巡り合わせに驚嘆し、目を見張った。

「では既に揃っていたのですね……それは【制配】という名前が付けられています。ユウ・スリークという人物が所有者で……」

 ゆっくりと深呼吸をしてから、ルティアは再び続けた。

「【落ちる星の物語】の内容は千年前に彼の一族が引き起こしたようです。その償いとして南風【ヘーヴァンリエ】を元の姿に戻すようにと、彼は自身の母から言われているそうです」

「……そうですか。世界を滅ぼした一族としてその名前だけは伝わっています。彼もまた、過酷な宿命を背負っているようね」

 ルティアは次々と現れる過去の断片に驚倒を抑えきれなかった。首元にじんわりと湧き出る汗に息苦しさを覚える。果たして自分は、真実を抱えきれるのだろうか。

「最後に一つ。に現れる事実の裏に潜む、真実を感じなさい。これは私の人生からの教訓よ」

「……はい、しかと心に留めます」


「あ、そうだ! 聞きたいことがあったのよ。ふふ……」

 雷雲を押しのけた太陽のように、テルヴィアの口調は明るさを取り戻した。

「え、なんでしょう……」 

 ルティアは一抹の不安を抱き、逃げるように椅子を後ろに引いた。

「お茶を飲みながら、じっくり聞かせてもらうわよ。その子のこと」

 誰のことなのか分からなかったが、じっと悩むと癖毛の男子の顔が脳裏に浮かんできた。王女という立場に左右されず、ごく自然に接してくれる二人のうちの一人。

「あ……」

 浮かんだ彼の顔が言葉を押し出してしまった。この展開は非常によろしくない。

「それよ! 一緒に旅をしている男の子とはどうなの?」

 誰よ、ばらしたの! あ、そう言えば……お祖母様の二つ名は聴き漏らさない《傾耳の女王》だ。それは国民の声に耳を傾け続けた証だけど。

 はぁ……とついたルティアのため息は煙のように登り、何処かへ消えていく。

 時すでに遅し、いよいよ始まルティアルヴィアからの笑顔の詰問。

 どうやって回避するか、それが当面のルティアの課題となった。

振舞われたお茶がさらなる時間を奪い、囚われの身が解放されたのは一時間後だった。


「長い……疲れた。別にユウとは何もないのに‥‥ぐすぅん」

 涙目と共に、とぼとぼと邸宅の通路を出口へと向かう途中、ルティアの視界に絵が飛び込んでくる。髪の長さしか、自分との違いが見つからない肖像画。

「これ、わたし……な、わけない‥‥昔からそっくりと言われ続けているのよね……確かに、似ている……」詰まる所、わたくしは未だに存命です。

 金版に刻銘された人物の名前は、建国の初代女王モアレアル・アルカーディナルだった。

「あ、ルティア様」

 玄関で待機していたエルシスが、待ちわびたような声を出した。

「随分と長かったですね……あ、あれ?」

 せっせと駆け寄ったルティアは、エルシスにぐったりともたれかかった。

「ぅがぁ‥‥長かった……う……一割が真面目な話、残りは厳しい詰問よ。あれは。なぜあんなに恋話しが好きなの……わたくしの祖母」

「え、そうなのですか? 誰とです?」

「ユウと! 別に、何もないですのぉ!」

 悲壮感を込めて叫んでみたが、高い天井は音を吸収し、訴えはかき消された。

「はは、ま、そう言わずに、ね。でも、意外とお似合いかも?」

「え〜エルシスさんまで——」

 だがルティアは、エルシスの角がない柔らかい言葉がなんだか嬉しくなって、少し言い返したくなった。

「エルシスさんも、その口調のほうが素敵です。いつも硬いんですよ」

 ひょっとして怒るかなと思い、伺うようにエルシスの顔を覗いて見たが、恥ずかしそうに目を逸らす彼女は、かつてないほどに可愛く見えた。

「なっ、何を……そうでしょうか……軍の任務中なので」

「また固くなった。駄目です! 名ばかり指揮官、私の命令ですっ!」

 ぴしっと右手の人差し指を向ける。その大げさな態度にエルシスの口元は再び柔らかさを取り戻した。ルティアは真に嬉しくて、暖かい眼差しを贈った。


「ただいま……あれ」

 駐屯地の宿舎に戻り、扉を開けた居間には誰もいない。

「アレ……」

 部屋に入って振り返ったルティアの視線の先には、少しだけ穏やかなエルシス。

「今日は……皆さんは?」

「団長たちは、駐屯地の司令官と会議です。ハイアードさんは部屋に篭りきりで、昨晩の食事も来ませんでしたし……」

「残りの、あの二名は?……」ルティアはどうしてか少しだけ焦る自分に戸惑う。

「さあ……特にお願いすることもないので、自由行動ですよ。街にでも‥‥あ」

 太陽は雲に隠れ、ルティアの口は見事な、への字に変化していた。

「え、それはズルいです‥‥わたしも……街に行きたいです‥‥」

「ルティア様、ダストリアの偵察兵も潜伏しています。滞在中はなるべくは敷地内にいてください。それも王女の責務ではないですか」

 いかにも取って付けられた冠はそれでも重く、ルティアは俯き加減で黙り込んだ。

「……ルティア様?」

 エルシスがそっと様子を伺うように近づくと、ぱっと勢い良くルティアは顔を上げた。踏ん張る表面張力に、もう一滴、垂らしちゃうぞ、とルティアの瞳がエルシスに迫る。

「そ、その潤んだ瞳……ずるいですよ……もう」

「いいのです?……」

 あとひと押しとばかりに、今度はエルシスの両腕にしがみ付いて上目遣い。

「……夜の食事だけですよ、ただし、団長が許可を出したらです」

「はい、わかりました! ありがとうございます。」

 ルティアは歓喜で両手を挙げようとしたが途中で迷子になって、やがて両手は力無く垂れ下がった。ティアはぼそっと呟いた。

「ごめんなさい。エルシスさん、わたし、はしゃぎ過ぎですね……こんな状況なのに……」

「いえ、私はむしろ良いと思います。深刻さばかりを背負っても、重圧で何も見えなくなってしまいます。日常の大切さを、私たちが知らなければ、守ることもできませんよ」

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