交易都市アティックの幻想
「見えてきたぞ、あれがアティックだ」
ジュリスディスは大きく叫んだ。
ユウは窓から身を乗り出して、アティックを視界の先に捕らえる。
地平線にへばりつく街並みは近づく夜に備えて火が入り、幻想的に輝いていた。
アティックはアルティスティアで最大の交易都市だ。古くから貿易の中継地として栄え、誰が名付けたのか屋根裏を意味するアティックに相応しく、良し悪し不明な商品が飛び交う。
ユウたちの到着に合わせたように今日から始まる【灯篭の幻夜市】は、この街が最も賑わう特別なお祭りだ。
ユウたちは街のほぼ中心に位置する軍の駐屯地に到着した。荒肌の道はさして気にならないはずであったが、流石に七日間の旅路は身体に堪える。ユウは到着後すぐに下車し、乾いた粘土のように硬直した臀部をほぐした。
シーレもユウの隣で体を伸ばしていた。
「ユウ。荷物を運ぶぞ」
急かすようなケレングの号令に、ユウが慌てて駆け寄ると、背を向けるケレングの肩越しに、言われれば女性で通りそうな容姿の男性がいた。
着ている服装から男性と分かるが、ワンピースも似合いそうだな、と失礼な想像を脳裏に巡らせる。
ユウの視線は、短刀のように鋭い彼の目尻を捕らえたが、それは既視感があった、いや、むしろ、僅か数分前まで見ていた気がする。これも幻夜の仕業かとユウの心は曇る。
「紹介する。彼はアジャイル・ケイ。先行してアティックに滞在していた我々の仲間だ」
「団長、ありがとうございます。初めまして、皆さん。アジャイル・ケイといいます。よろしくお願いします」
ケイは丁寧な口調で挨拶をした。
「ケイ。後で街の案内を頼んだわよ。あなた、先に来てるんだから詳しいでしょう」
仮面のように硬い表情のエルシスがまさかの親しげな口調。ユウとシーレは、ぴったりの間合いで、互いの双眸を合わせた。
「わかったよ。姉さん。任せて」
「「姉さん!」」
ユウとシーレによる完全に一致した唇の動き。思いの外、連携が優れているようだ。
「え、でも、苗字が違うのでは……」
ユウは考えられる選択肢の中で最も正しい質問を振り下ろした。
「ケイは跡継ぎがいない親戚の家に養子に行ったのです。よくある話です」
ユウを綺麗に薙ぎ払ったエルシスは、いつも鋭い目尻の、そう、我らのエルシスだった。
夕食は祭り見物を兼ねて外で取ることとなった。本来ならダストリアを警戒して駐屯地内で取るべきだが、気分転換も必要と、ケレングが許可を出してくれた。
正方形の積み木を二つ三つ重ねたようなアティックの建築群は、今日から始まる【灯篭の幻夜市】のおめかしを整え、ユウたち一向を待ち構えていた。
建物の間に張り巡らされた無数の太い紐は、蜘蛛の巣のように街全体を覆い、吊るされた灯篭は捕らえられた獲物のごとく、めいめいに生命の色を発している。
色彩が重なり合う幻想的な情景に、ユウは天を見上げて立ち尽くし、口を開けたまま息を飲んだ。
すっと隣に人が立つ気配を感じる。いつの間にか覚えたあの人の香りが鼻孔に届く。天を見上げたままのユウであったが、同じような姿勢で彼女も眺めていると思いたかった。
彼女は先に歩き出し、くるっと回転して振り向く。ユウの視線は追いすがり、その姿その形その色彩は、幻夜市の光景よりもユウを魅了していった。
彼女は口元に笑みを含んで、そっと右手を差し出す。
「行こう、ユウ。皆に追いつきましょう。今日の街は、迷宮よ」
その意味に戸惑うユウだが、右手の指先がぴくりと動いた。
「ああ、わかっているよ」
足だけはどうにか前に動いて、ユウは彼女の後を追った。
「どこなの? ケイ。こう見ていると、どこでも良さそうなんだけど」
未だエルシスの言葉遣いに慣れないユウは、先ゆく仲間の最後尾を歩きながら、繰り広げられる姉弟の会話を聞いていた。
「あと少しだよ。ああ、あそこ。煮込み料理がこの街の名物なんだけど、取り立ててここは人気がある」
ケイが指差す先には、【幻色の食卓】という看板が吊るされていた。二階構造の建屋から想像するに、こじんまりとした飲食店のようだが、磨り減ってくぼんだ石階段が、蓄積された技と味を裏付けしているようだった。
「あなたにしては、良さそうな選択じゃない」
エルシスが褒めるような笑顔を向ける。
ルティアがその会話を、少し寂しそうな横顔で眺めていた。
「良さそうですね。さぁ、入ろう。ルティア、行くよ」
ユウは背中を押して、あわわと口を広げたルティアを無理やり中に押し込んだ。シーレもユウの背中を押すように後に続いた。
「あら、大人数ね。嬉しいわ。いらっしゃい」
赤いエプロンを着た店主らしき女性が出迎えた。店内は二〇人程度が入れる広さで、すでに半分以上、席は埋まっていた。
「えっと、七名様ね。あそこの席をどうぞ、ちょうど座れるわよ」
ユウたちがテーブルに向かおうとした時、ルティアの足元に遊び玉がころころと転がってきた。追うようにトコトコと小さな足音が近づく。ルティアがしゃがみ、玉を拾うと、茶色のワンピースを着た女の子が現れた。ルティアは、どうぞ、と玉をそっと手渡した。
「ありがとう! お姉ちゃん……? あ、お姉ちゃんだ!」
女の子は口を大きく開けて嬉しそうな赤い頬で、二度叫んだ。
「おもちゃ、直してくれてありがとう!」とぺこっと可愛く頭を下げる。
「え、あの……」
ルティアは戸惑いに噛まれて、口籠もる。
ユウは不気味さを感じて取り、後ろから話に割り込んだ。
「知り合いかい、ルティア————」
「————まあ、あなただったのね。ありがとう。直してくれて。多分私じゃ無理だった」
女の子の背後に立っている店主の女性は、悪気なく遮り、丁寧に礼を述べた。
「あ、は……い……良かったです……ね」
たどたどしく言葉を繋ぎ合わせたルティアは、全身が強張りをまとっているようだった。
おそらくこの親子は、ルティアを誰かと勘違いしている。だが、それほどまでに似た人物などいるのだろうか。不可解な出来事はユウの心をかき乱していく。
「ソ、いえ、ルティアさん……僕も昨日、その……見ています……」
背後から届くケイの声はどこか歯切れが悪かった。ルティアはようやく立ち上がり、振り向いた。
「それは……ケイさん、何を見たのですか」
「深赤色の瞳、菫色の髪……ルティアさん、あなたに瓜二つの女性です」
認めたくないが、もはや相棒と呼べる【制配】は、いつもより重たく感じた。
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